122. テツ 2009/04/28(火) 21:04:21
投下します。
本編で固有名詞が出ていなかった為、ネタにしてみました。
ご寛恕下さいw


提督たちの憂鬱  支援SS〜上海事変〜


この時代、多くの貴族や華族の子弟は軍籍を持っていた。
いわゆる「高貴な者の義務(ノーブレスオブリージ)」故なのだが、それでも大半は「籍だけ」置いている状態であった。
殆どの貴族・華族子弟は軍隊という特殊な環境に慣れることが出来ないからなのだが、中には軍人に相応しい人間も少なからず居た。特に親が軍人であった場合、彼らは子弟にも軍人の子として相応しい教育を受けさせることが多かった。


1932年1月。上海において第19路軍司令官である蔡廷『金皆』(さい てい『かい』)の独断によって上海租界に置ける列強と第19路軍の軍事衝突、俗に言う「上海事変」が引き起こされた。
中国屈指の経済都市として繁栄している上海で権益回収デモが多発、それに乗じて上海を手に入れようと画策し、3個師団3万人以上の部隊を上海郊外に展開させたのだ。
これに対し日本は直ぐさま正規空母天城、軽空母鳳翔、戦艦扶桑を中心とした第3艦隊と名古屋第3師団、久留米第12師団、金沢第9師団及び第24混成旅団を上海に派遣した。
123. テツ 2009/04/28(火) 21:05:55
同年2月。
七了口に上陸した杉山一中将率いる別働隊(9師、24混旅)は、橋頭堡に各部隊長を集めて作戦予定の確認を行っていた。
「予定通り損害無しで上陸できたのは幸先がいい。だが、本番はコレからだ」
杉山が上海周辺の戦略地図をテーブルの上に載せて説明をしていく。
「白河閣下の派遣軍主力は順調に第19路軍を上海から追い出しつつある。まあ制空権も制海権も我が軍にあるのだから、当然と言えば当然だ」
幾ら万の歩兵が居ても、対空砲がないのでは航空機にとってただの地上目標に過ぎない。第19路軍に野砲はあっても対空機関銃はない。機関銃その物は世界大戦の中古品があるにしても、専用の機関銃で対空射撃をして1000発撃って1発当たれば感状モノ。何より帝國海軍きっての練達が操る機体である、そうそう当たるモノではない。
地上戦にしても帝國陸軍の精鋭である第3、第12師団の猛攻を受けているのだ。善戦以上のことは出来ないだろうと言うのがここにいる将校達の認識であった。
「だが、このまま南京に逃がすほど我々はお人好しではない」
そう、連中が誰に喧嘩を売ったか骨の髄までたっぷりと教えてやらねばならない。日本軍にとって日本人の命より重いモノは存在しないのだから。
「我が別働隊は12時間以内に上海〜南京間の鉄道線まで前進。24時間以内に第19路軍の包囲を完了させる」
指で七了口から進撃経路を指でなぞる。
従来の歩兵師団では鉄道線まで進むだけでも丸三日かかるだろう。しかし上海派遣軍は高度に機械化されている。それ故に今回のようなミニ電撃戦と呼べる行動可能なのだ。
「我が軍は3月までにこの事態を収拾せねばならない。それ以上かかると列強各国の我が国に対する不信感が芽生える可能性もあるし、なにより政府は新年度まで1個軍以上の戦力を上海に置いておくつもりがない」
新年度予算編成中の辻も煩いし。とは口には出さなかった。
「将兵には無理をかけると思うが、小職は諸君の健闘に期待する」
何か質問は。何件かの質議応答の後解散が命じられ、杉山以下数人を残して各部隊に戻っていった。
そして残った数人は、コレから別働隊の先頭に立って進撃する「槍の穂先」の指揮官達であった。さらに付け加えるなら、夢幻会のメンバーでもあった。
「そう言うことになりましたけど、各部隊問題は?」
「ウチの大隊は問題在りませんよ。彼らならきっとやってくれます」
先遣隊の歩兵第5連隊(青森)歩兵第2大隊長の相沢三郎が胸を張って答える。日本陸軍の至宝、弘前第8師団から派遣された連隊だけに、士気・装備共に最高水準にある彼の大隊はこの作戦の要であった。
「殿下の方はどうですか」
「私の連隊も問題はありません。1時間以内に出動できます」
124. テツ 2009/04/28(火) 21:07:03
夢幻会には「殿下」と呼ばれる人間が2人居る。
1人は夢幻会の幹部でもある伏見宮博恭海軍大将、もう1人は此処にいる閑院宮篤仁(かんいんのみや  あつひと)陸軍大佐。父は日清日露戦争で活躍した閑院宮載仁(かんいんのみや  のりひと)親王陸軍元帥、彼はその長男であった。
閑院宮篤仁は前述したとおり、皇族である閑院宮載仁の長男であるが史実では生後間もなく夭折している。しかし篤仁が亡くなる直前に「憑依」されたため篤仁は死なず、現在まで生きることが出来たのだ。ちなみに憑依したのは現役の陸上自衛隊幹部で夢幻会でも少数派に属する「本職」の人間だった(南雲忠一は元海保職員だったから彼も含めていいだろう)。
そんな篤仁に閑院宮載仁は体を鍛えさせた。夭折しかけた事が余程堪えたのか、病気にならない体にするために、徹底的に体を鍛えさせた。騎兵将校でもあった閑院宮載仁は乗馬は特に仕込んだ。そして篤仁に軍人としての素質があると見いだした後は、篤仁を士官学校に入学させ、自分と同じ陸軍騎兵将校としての道を歩ませた。

篤仁が自分の連隊に帰り、各中隊長を集めてコレからの作戦行動を説明していた。
「我々24混旅は別働隊の先鋒として行動する。そして我が連隊は更にその先発隊となった。行軍予定は3時間で劉河鎮を突破し、更に3時間で嘉定飛行場を突破する。そして嘉定飛行場から上海〜南京線の線路までおよそ10?。此処までを計12時間以内に抜ける」
七了口から線路まで約35?強。幹線道路で走行するなら1時間もあれば目的地まで付けるだろうが。
「以上が我が連隊に与えられた任務だ。何か質問は?」
彼の指揮する部隊は第1機械化騎兵連隊(習志野)と言い、92式軽戦車3個中隊とオートバイ偵察中隊で構成されている快速部隊だった。
母体が騎兵第1連隊なので連隊と称しながら実質1個大隊規模の戦車しかないが(帝國陸軍の騎兵連隊は他の国の騎兵一個大隊規模)。
しかしそれでもなお、現在の上海周辺では大規模な機甲部隊と言えた。
「質問があります。先発隊は我が連隊だけなのでしょうか。歩兵の同行はあるのですか?」
長身で精悍な面構えをした中尉が質問をしてきた。
「無論。幾ら戦車が強力と入っても、歩兵の支援がなければ真の実力を発揮できない。  ああ、勿論戦車に追随出来るようにトラックを装備した機動歩兵だ。納得できたかな、西竹一騎兵中尉?」
「はっ、ありがたくあります」
そう言って西竹一中尉は洒落っけのある敬礼をする。普通は大佐、しかも皇族にする態度ではないのだが、西はそう言ったことを気にする男ではなかった。
「他に質問は?」
篤仁も気にはしなかった。TPOさえ守ればこう言ったことにはあまり煩くないのも彼が軍人としての資質がある証拠でもあった。
「無ければ始めよう。各自中隊に戻り出撃準備を整えるように。30分後に出撃する。連隊が新編されて初めての実戦だ、総員の奮闘を期待する」
125. テツ 2009/04/28(火) 21:07:51
彼が夢幻会と接触したのは陸軍士官学校生徒時代だった。伏見宮博恭が閑院宮家を訪ねてきたのだ。伏見宮は史実に詳しい。だからこそ、本来であればとうの昔に夭逝していた篤仁の存在に違和感を覚えたのだろう。
伏見宮の誘いに篤仁が首を横に振る理由は存在しなかった。
彼は元々愛国者であったからだ。そして今の時代の日本が好きになりかけていたからだ。
その後は陸軍士官として任官。夢幻会の正式メンバーとして日本の国力増強の為に邁進していくことになる。
皇族でもあったため、外交事で引っ張られることも多かった。その為、彼の細君は日本人ではない。日本人皇族としては珍しい外国要人令嬢との婚姻外交であったが、コレは半分夢幻会からの命令でもあった。
もっとも、当人達の努力もあって夫婦仲は非常に良好であるが。

劉河鎮で早速第19路軍の部隊と遭遇した。
だが中隊規模の歩兵の群に過ぎなかったので、92式軽戦車を先頭にした戦車中隊の楔陣形による突入で速やかに蹴散らした。
だが嘉定飛行場付近で大規模の敵と遭遇した。
「大佐殿、オートバイ斥候からの無線連絡です。『我、飛行場付近の道路で移動中の敵の大規模な部隊を発見せり。数は少なく見積もっても一個歩兵大隊規模。上海方面に向かうモノと思われる』。以上です」
篤仁は指揮戦車の中に広げられた地図を覗き込む。
敵の居る位置があまり宜しくはなかった。現在道路付近を上海方面に行軍中。やり過ごすにしても上海防衛軍の味方の負担になるだろう。
そして決断。
「通信士、杉山中将へ連絡。『我、飛行場付近で一個大隊規模の敵軍と発見せり。目的地は上海と思われる。よって先発隊は上海の敵軍への合流を阻止するために、敵部隊への攻撃を行い、これを殲滅する許可を求む』」
返事は直ぐさまやってきた。
「別働隊司令部より入電。『行動を許可する、敵軍を殲滅せよ。加えて24混旅の本隊を速やかに向かわせる。追伸、海軍から航空支援を受けられるように手配した。到着は30分後』。以上であります」
「通信士、第1、第2中隊に連絡。『相沢中佐の指揮下に入り、5連2大隊と共同して西側から回り込み、後方から敵を圧迫せよ。』。続けて第3中隊及びオートバイ中隊に連絡。『丘陵に沿って敵の進行方向に密かに展開し、敵の上海への逃走路を塞げ』。以上だ」
数はほぼ同じだが、こちらには軽戦車とは言え最新型の走行車両が1個連隊。初陣を華々しく飾らせて貰うぞ。
結果だけで言えば、この敵部隊を殲滅することは出来なかった。
空爆を含む攻撃によって指揮系統が崩壊し大隊規模の敵軍ではなく「大隊規模の兵士の群」に成り下がった為、四方八方に数人単位で逃げ散ってしまったからだ。
ようは軍隊としてこの部隊は無力化された事には変わらなかった。逃げ散った敵の大半は元来た南京方面へと向かったので「上海への増援を阻止する」当初の目的は達成されたのだが。
126. テツ 2009/04/28(火) 21:08:36
「あの宮様大佐、思ったよりもやるじゃないか」
杉山は戦略地図に書き込まれた部隊状況を見ながらほくそ笑んだ。
篤仁は皇族故、他の将校よりも昇進が速いので実力の程を疑問視していた人間が多かった。杉山も「幾ら中の人が『元本職』だと言っても、この時代の戦闘に対応できるのか」との危惧はあった。
だが第24混成旅団は途中のトラブルはあったモノの、予定通り第19路軍の包囲を完了させた。
「だからこそ、あの殿下にロシア皇帝の末娘を嫁がせたんだけどな。コレくらいやって貰わないと困るが」
閑院宮篤仁は夢幻会の「身内」であったから、この時代世界一の資産を持っていたロシア皇帝の遺児を嫁がせるには非常に都合が良い存在であった。
その資産のかなりの額が大日本帝国の強化に使われた。ただし世界恐慌のインサイダーでその資産を相当増やしたのも確かだ。
「・・・まあ予想以上に使えると解ったし、コレまで以上に扱き使われるだろうな。彼は」
些か同情を含んだ声になったのは仕方がないだろう。何しろ夢幻会は日本のために使える人間はトコトン使い倒す組織だ(使い潰す、ではない)。
「さて、補給と再編成が終わり次第、白河閣下の本隊と連動して上海校外にいる第19路軍主力を押しつぶすぞ。3日で戦闘にケリを付ける!」


世に言う「上海事変」はこうして2ヶ月に満たない内に収束、日本陸海軍の精強振りを世界に見せつけ、辻が高笑いを上げる結果となった。



終わり


おまけ
第24混成旅団編成表

旅団司令部
歩兵第5連隊(青森)
第1機械化騎兵連隊(習志野)
独立山砲大隊(御殿場)
独立機関砲大隊(御殿場)
臨編輜重大隊(麻布)
127. テツ 2009/04/28(火) 21:12:45
投下終了〜

ウィキで「アナスタシアの婿になったのは誰かな〜」と思い、日本の皇族の一覧から物色していたのですが、丁度良い「閑院宮篤仁(1894年生まれ)」が居ました。
そしてコレ見て「もしかしてネタに出来るのでは」と思い一気に書き上げてみました。
「矛盾はネタの元」とは私のSS書きの師匠筋がよく言っている言葉。
いや全くその通りでしたわw
128. ham ◆sneo5SWWRw 2009/04/28(火) 21:35:46
>>122-126

なかなか良いできですよ。GJ!!

でも、少し言わせてもらいます。

誤字報告
1.「久留米第12師団」⇒「小倉第12師団」
久留米は第18師団です。(宇垣軍縮で廃止になっている可能性あり)

2.「杉山一」⇒「杉山元」

3.「行動可能」⇒「行動が可能」

4.『「将兵には無理をかけると思うが、小職は諸君の健闘に期待する」何か質問は。』⇒『「将兵には無理をかけると思うが、小職は諸君の健闘に期待する。何か質問は?」』

5.第1機械化騎兵連隊(習志野)
騎兵第1旅団と勘違いされているのでは?
当時、習志野にいたのは第13〜16騎兵連隊で第1連隊は東京です。
130. テツ 2009/04/28(火) 21:47:56
誤字脱字が多いな〜(汗

以下ウィキより抜粋
第12師団は、日清戦争後に新設された6個師団の一つであり、1898年(明治31年)に、市制施行前の小倉町付近(現在の北九州市小倉北区・小倉南区付近)に設置され、所属の兵士は主に北部九州方面出身者からなる。その後、1925年(大正14年)には久留米に移転し、1940年(昭和15年)7月には満州に移転、また満州移転と同時に歩兵第14連隊を第25師団に転出させ三単位編制に改編された。なお、満州移転後の代替常設師団として第56師団が設けられた。

第12師団は久留米に移転してます。それと、史実の第24混成旅団の中核部隊は第12師団の歩兵第24連隊(久留米)でした。が、本編では第12師団に動員がかかっていたため、中核部隊に5連隊をあてました
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最終更新:2012年01月03日 21:28