369 :名無し三流:2013/04/11(木) 11:11:50


 ――――二人に属する者は共に、町で死ねば犬の、野で死ねば鳥の餌食となって果てる
            ――――旧約聖書 預言者エリヤ、イスラエル王アハブとその王妃イゼベルに告げて


          提督たちの憂鬱 支援SS ~半島の烏~


 ――――朝鮮半島北部。


 肌に突き刺さるような冷たい風が吹き荒ぶ中、隙間風の酷そうな粗末な木製駅舎から1人の男が出てきた。

 そして彼が周囲を見渡した時、最初に眼に入ったもの。それは駅舎の壁際に張り付き、筵に包まる子供だった。


 ――――子供には片腕が無かった。



「やあ、どうも」



 不意に後ろから聞こえた声に、男は振り向く。

「この度はわざわざ釜山からご苦労様です」

 振り向いた先にいたYシャツの男が言う。彼は日本人のように見える。
その隣には、30歳は超えているだろうか、煤けた鉱員服に身を包んだ朝鮮人と思しき男もいた。

370 :名無し三流:2013/04/11(木) 11:12:31



 駅舎から出てきた男の名を日野という。ごく普通の名である。

 彼は弁護士だった。


 日野はかつて、釜山で朝鮮人相手にインチキまがいの商売をしていたのだが、
彼はそういった汚い仕事をするには少々優しすぎた。日野は人を騙し続ける事に耐えられなくなり、
日本へ戻って勉学に打ち込み弁護士に転身したのだ。そして再び朝鮮へ戻り、
今度は朝鮮の日本企業と朝鮮人労働者との間で起きるいざこざの解決に精を出していた。

 日野の真面目な仕事ぶりは日本人、朝鮮人双方の信頼を勝ち取り、
もともと朝鮮には弁護士が少なかった事もあって彼は大忙しの身となっている。

 彼がこの寒々とした駅に降り立ったのも、彼の新しい、真っ当な仕事のためだ。


「そうそう、ああいうのには構わない方がいいですよ。
 ああすればどこかのお人好しが金か何かを落としてくれるだろうと踏んで、
 あれの親がわざとやってる事なんです。いいですか、くれぐれも可哀想だなんて思っちゃいけない。」

 Yシャツの男が、筵に包まった隻腕の子を指して吐き捨てるように行った。彼の後ろにいる朝鮮人は憮然としている。
それを知っているのか知らないのか、Yシャツの男は日野に名刺を差し出した。

「どうも、日野さん。黒田鉱業の松井と申します。よろしくお願いします。
 彼は金成柱、うちの鉱員たちのまとめ役で、今回の争議の労働者側の代表です」

 松井と名乗るYシャツの男に紹介を受けた朝鮮人は、軽く頭を下げた。

371 :名無し三流:2013/04/11(木) 11:13:18



「それにしても」

 日野は今回問題が起きている鉱山までの道中、ふとこぼした。

「人間、衣食足りて礼節を知る、というのは本当なんですねえ」

「まったくです。今の朝鮮人は、衣も食も足りてないのがほとんどだ。
 だからああいう、自分の子の手足を切り落とすような真似ができるのでしょう」

 松井は朝鮮人に対し、あまり良い感情を持っていないらしい。
鉱員側の代表である金はそれを感じているのか、黙り込んだままだ。

 後で聞くところによれば、金成柱はもともと半島南部の方で、
民族主義グループの活動に加わっていたらしい。だが仲間割れや当局の妨害などで挫折し、
今はここでひたすら汗を流しているという。彼は生来のカリスマのためであろうか、
他の鉱員達から冗談交じりに「首領様」などと呼ばれているそうだ。


 ここでの日野の仕事も、彼がこれまで解決してきた争議と大して変わるところは無かった。

 鉱員らを宥め、支出増大を渋る会社側を時には人情に訴えて説得し、
双方の納得を目指すというよりは双方がモアベターだと思う結論まで着地させる。
「皆が満足」よりは「皆が今よりましだと思う」ような状況を目指すのが日野のやり方だった。
そもそも「皆が満足」まで辿りつくのは相当に難しい。不可能な事さえある。

 紆余曲折はあったものの、黒田鉱業で起きた争議は、日野の尽力もあって一応の解決を見た。


 一つ日野を驚かせた事には、あの金成柱が釜山に帰る彼を見送りたいと言い出したのだ。
鉱業側の人間も、「まあ金なら妙な真似はするまい」と考え彼に見送りを任せる事にした。

372 :名無し三流:2013/04/11(木) 11:14:14



「日野さん」


 金成柱は、あの駅で日野に話しかける。


「あなたの言う事は正しい。人から衣食を取ってしまえば……人はけだものと化して生きるか、あるいは死ぬしかない。」


 駅舎の向こう、空を3機のプロペラ機が飛んでいく。かなり旧式だ。韓国軍が日本からもらったお下がりだろうか。


「しかし」


 金は3機のうち1機の飛行機が、突然煙を噴き出して墜落するのを見ながら続けた。


「あれを飛ばしている人達……いや、あれを飛ばしている人達の上司、そのまた上司は衣食共に足りている筈だ」


 金は飛行機から目を背け少し逡巡したが、やがて日野の方に向き直ると言った。


「では彼ら――上司の上司の上司たち――は、果たして礼節を持っているだろうか」

373 :名無し三流:2013/04/11(木) 11:14:45



 日野は何も言えなかった。

 ただ見送りに対する一通りの礼を述べる事しかできなかった。



 ――――朝鮮半島北部。


 肌に突き刺さるような冷たい風が吹き荒ぶ中、隙間風の酷そうな粗末な木製駅舎に1人の男が入っていく。

 そして彼がその前に、最後にまじまじと見つめたもの。それは駅舎の壁際に張り付き、筵に包まる子供だった。


 ――――その上には烏が佇んでいた。



「衣食足りて……礼節を知る……か」



 男はあてもなく虚空に呟いた。



                     ~ fin ~

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最終更新:2013年04月16日 22:42