191. New ◆QTlJyklQpI 2009/06/01(月) 00:47:46
乃木ネタ投下
支援SS  乃木希典のハルピン戦闘記
1905年  ハルピン近郊  日本軍陣地
「よっしゃぁー!!叩きのめせぇー!!蹴散らせぇー!!」
ロシア軍に打ち込まれる無数の砲弾幕。本日は日本軍がロシア軍のアジア進出の拠点の1つハルピンを制圧しようと
している頃。日本の司令部が設けられているここで大声を上げている人が1人いた。
「閣下、静かに願います。お願いですから。」
参謀の1人がそう言うがこの人には届かないらしい。
「今まさに、今まさに砲が戦場の神である事が証明されてるんだぞ!?ここで騒がずしてどこで騒ぐ!?」
「・・・・・前も騒いでたじゃなかとですか・・・・。」
参謀たちは天を仰いだり、胃がある箇所をおさえたりしていた。そんな彼らの姿が見えないのか
騒いでいる御仁は自分で持ってきたマントを靡かせながら更なる大声を上げていた。
「くぅ〜、その○、歴史が動いたとは正にこの一瞬!!地球に生まれてよかったぁー!!」
御仁の名は乃木希典。彼は逆行者であった。逆行者たちが明治維新を早期に達成し、旧士族の
雇用もある程度保障したため、西南戦争は起こったが規模は小さく、西南の乱とこの世界では呼ばれた。
その時乃木はまだ逆行してなかったが初戦で流れ弾を受けて生死の境を彷徨った時に逆行者になった。
中身は軍オタであり、引き籠り中に心臓発作を起こして気づいたら乃木になってたらしい。
それでもめげることなくこつこつ仕事をこなしてドイツへ留学、塩分高めの食品とドイツ将校の精神論に霹靂
したが軍事・政治・経済を学び帰国そこで日本が史実と違うこと、同じ仲間がいることを知った。
何しろ機関車の線路が広軌になり、史実より労働時間や待遇も多少ましになっていたからである。
その後、夢幻会が発足すると初期メンバーに入り、伊藤や坂本と面識を持ったあと台湾統治を任される。
この時、児玉源太郎を連れて行って彼と共に飴と鞭で台湾を統治し、海南島の開発の為に港湾設備を
中心に整備した。彼は引き籠りだったせいか無口であったがよく散歩に出かけ話しかけられれば
和やかな雰囲気で話すので台湾人にも受けが良く、陸軍では自分は口を閉じて泰然として、部下に
意見を出させてやらせるので部下からも受けが良かった。
軍事でも初歩的だが料理経験をある者に料理器具を持たせて給食部隊を設置したり、
騎馬部隊を減らして馬車を改造した兵員輸送車を提案したりし部隊の機動力を上げた。
そして彼は日露戦争を指揮することになった。旅順要塞は早期に無力化したので陸軍は
ロシア軍を求めて北上を続け、ハルピン攻略に着手することになった。
「閣下、戦闘は終了しました。敵が後退していきます。」
部下がそう言うと「うむ。」とさっきのはしゃぎっぷりはどこへやら無口な彼に戻る。
どうやら戦闘時のみスイッチがONになりハッスルするらしい。
その後乃木は学習院院長になり後の昭和天皇らを教育し、明治天皇が御崩御しても殉死はせずに
陸軍の砲火力を高めるよう活動した。彼は一般に好評価を得ているが一部では良い評価は得られなかった。
「くっそ〜。こんなに砲弾使いやがってどんだけ金がかかんだよ〜。」
殺気満ちるこの場所は大蔵省。彼が砲火力を強化したので史実より恐ろしい費用を使ったのであった。
結局この世界でも彼の評価は賢将・愚将に分かれたのだった。

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最終更新:2011年12月31日 19:33