423 :名無し三流:2013/08/15(木) 18:54:02
ソビエト連邦は極東、ウラジオストク。『東方を征服せよ』という意味の名を持つこの町は、
今やソ連国内でも有数の規模を持つ日本租界が存在する町となっていた。
そして、日本租界からそう遠くない所にある労農赤軍兵舎(木造平屋)。
ここで一人の男――階級章は軍曹だ――が懐から煙草を取り出し、机に置いてある蝋燭で煙草に火を付けた。
提督たちの憂鬱 支援SS ~ある労農赤軍兵舎の一夜~
煙草を一服した男は少し咳き込むと吐き捨てるように言う。
「畜生、また混ぜ物が増えてやがる」
そして吸い終えた煙草を陶器製の灰皿(金属製の灰皿はとうの昔に纏めて鋳潰されている)で潰すと、
男――ミハイル・ポクリシュキン軍曹――は隣の部屋が何やら騒がしいのに気づいた。
外はもう夜の帳が降りており、日本租界と工場だけがそれを知らぬかの如く明るい。
424 :名無し三流:2013/08/15(木) 18:54:34
(何だ?喧嘩でも始まったか?)
隣の部屋の班は荒っぽい人間が多い事を知っているポクリシュキンは、隙間風の多い壁にそっと耳を当てる。
直後、彼の耳に飛び込んできた会話は、彼の予想とは違っていた。
『ようしお前ら、これから俺がいい物見せてやるからな……
一生に一度お目にかかれるか、かかれないかのお宝だぞ。』
野太い声が終わるや否や、鈍い音がする。ガラス瓶を机に叩き付けた時の音だ。
『ぐ、軍曹!これって……それにこの文字は』
『おうよ、見ての通り酒だ!それもヤーポンスキー(日本人)謹製さ!
『『『『おおおおーーーーっ』』』』
酷い訛りの入った声に、隣の部屋で一斉にどよめきが起こっている。
向こうにいるのはだいたい7、8人ぐらいだろうか。
『これは日本製なんだ、小便一滴混じってない正真正銘の酒だぞ、きっと』
『お願いです!同志軍曹!』『同志軍曹!』『カミンスキー軍曹!』
おそらく兵卒達であろう、あの酒の持ち主たる隣部屋の軍曹に必死で懇願するのが聞こえる。
沢山の声がない交ぜになっているが、十年以上のキャリアを持つベテラン軍曹ポクリシュキンにはその内容が容易に想像できた。
そしてそれは、おそらく隣部屋のカミンスキー軍曹も同じだろう。
425 :名無し三流:2013/08/15(木) 18:54:58
『……ようし、分かった!俺にカードで勝った奴に、この酒を味わう権利をやろう!ただし水割りで、だがな!』
『さっすが~、軍曹殿は話が分かるっ!』
『水割りなんざ泥水割りやら小便割りなんかに比べたら屁でもねえぜ!』
『イカサマで抜け駆けしようとするなよ!同志軍曹はそういうのが一番お嫌いだ!』
『おい、誰か雨水タンクのとこ行って来い!憲兵サマに見つかるんじゃねえぞ!』
――隣部屋での騒ぎにポクリシュキン軍曹は軽い頭痛を覚えた。
カミンスキー軍曹にしてみれば、いつも苦労をかけている兵卒達を労おうとしてやった事だろうが、
これが露見すれば彼らはただでは済むまい。最早混ぜ物の方が多い酒・煙草、それに謎の缶詰が横行するソ連国内では、
『日本製』とは『贅沢品』と同義であり、贅沢品は軍の下層部では軍規を乱すものとして取り締まられるのが常だった。
ここに『日本製=贅沢品』『贅沢品=禁制品』、そして『日本製=禁制品』の推移関係が成り立つのである。
隙間風の十字砲火もそれほど辛くは感じられない夏の夜、
ポクリシュキン軍曹にできる事は隣部屋の面子の幸運を祈る事だけだった。
~ f i n ~
最終更新:2013年08月20日 21:02