427 :名無し三流:2013/08/17(土) 15:08:10
 ―――Necessity is the mother of invention.(必要は発明の母)
            ―――ヨーロッパの諺


 原子爆弾。


 極東の島国で発明され、その住民によって使われたこの新兵器は、
世界を震撼させるには、いや、畏怖させるためですら十分すぎる威力を持っていた。

 投下されれば町一つを消し飛ばすこの破壊の権化が世に現れてから、
世界中の列強と呼ばれる国々がその秘密を解き明かし、我が物にすべく血道を上げていく。

 しかしこの怪物、想像を絶する難物でもあった。
金と技術と工業力を思い切りがぶ飲みする原子爆弾に手を焼いた旧世界の為政者達は、
原爆よりかは長い付き合いであるもう一つの怪物を引きずり出したのだった……


      提督たちの憂鬱 支援SS ~Mystère de la chimique~


 化学兵器。いわゆる毒ガスだ。


 第一次世界大戦において同盟国、協商国双方により大々的に運用されたこの兵器は、
同大戦から約30年の時を経てもその破壊力故に未だ大きな脅威として世界に認識されていた。

 地獄の独ソ戦を経て満身創痍のソ連でさえ……満身創痍だからかもしれないが、
1944年6月1日に『労農赤軍の塩素ガス砲弾が北満州軍閥へ流出の恐れあり』との情報を得ると、
翌2日朝には秘密裏に特別部隊を編成、7日にこれを奪還、処分する事に成功している。
この迅速な行動も化学兵器が如何に危険視されていたかの証左の一つといえよう。

428 :名無し三流:2013/08/17(土) 15:08:42
 さて、この化学兵器、原爆の破壊力が次第に明らかになってくると、
『原爆に次ぐ(精神面も含んだ)脅威を持つ兵器』としていやがおうにも重要性を増す事になる。

 独ソ戦の天王山であるライヒ・シュラハト(※1)でさえサリンの使用を頑なに拒んだ(※2)ヒトラーが、
『欧州諸国に対する抑止力』を名目に新型毒ガスの開発・製造にゴーサインを出した程だから、
国家指導者が毒ガスに対し特にトラウマを持っていない他国の動きなど想像するまでもない。

 列強の中でもとりわけ毒ガス開発へ力を入れたのがフランスである。
フランスはアフリカ植民地の暴動に対する最終手段、また仇敵となったイギリスに対する必殺兵器、
さらには現状同盟国ではあるが陸空の力で大きく水を開けられているドイツを出し抜くため、
「毒ガス開発を完全に止めれば戦艦か空母をあと1隻は配備できた」と海軍に言わしめる程の資金を投入。
まさに執念の塊とも言えるこの化学兵器開発は、フランス自身も予想だにしなかった程早く結実する。


 かの国が産み落とした怪物の名は、
O-エチル-S-(2-ジイソプロピルアミノエチル)メチルホスホノチオラート。

 史実においてはVXガスとして知られる、凶悪極まりない毒ガスだ。


 揮発性が低いため残留性が高く、無味無臭、さらに化学的安定性も高いこの物質。
呼吸器だけでなく皮膚からも吸収されるほか、親油性の高さから水での洗浄だけでは取り除く事ができず、
温帯気候下では1週間程度、もし木材や皮、布に付着した場合はさらに長期間毒性を維持するという、
大変に始末の悪いとんだ暴れん坊。これがVXガスである。

429 :名無し三流:2013/08/17(土) 15:09:29
 フランス軍は直ちにこの新開発のガスに対し『シュペル・ミステール(超神秘)』という呼称を与え、
アフリカの植民地、その内陸部における暴動で試験的に投入。そしてほどなくVXガスが秘める猛威を知った。

 フランス上層部の多くは独力でドイツのそれに比肩し得る兵器を手にした事をことのほか喜び、
このガスが持つ残留性や洗浄の困難さ等の特質は、野戦よりもむしろ敵銃後の攻撃にこそ最も向いていると判断。
戦略爆撃用としてシュペル・ミステールの量産を開始した。しかしここで邪魔が入る。

 シュペル・ミステールの存在を最初に掴んだのが隣国であり同盟国でもあるドイツだ。
化学的安定性において、ドイツ製化学兵器の中でも最も危険なサリンさえ上回る性能を持つこのガスを知ったヒトラーは、
当然ながらこれを憂慮。フランスのペタン元帥をベルリンまで呼びつけ、かのイーペルの戦いを引き合いに出し牽制した。
「強力な毒ガスを作ったからといって、変な気だけは起こすなよ」といった具合である。

 またイタリアも、日本との外交チャンネル作りのため自国のイメージアップに努めている中で、
枢軸諸国全体の評判を落とすような真似をされてはたまらないとドイツに次いでフランスに同様の懸念を示した。
フランス側は「そう言うお前らは昔エチオピアで何やってたんだ」と眉間に皺を寄せたが……

 ドイツ、イタリアに遅れて情報を手に入れた日本、イギリスはフランスの執念の産物に驚愕、
日本では化学防護部隊の強化にいっそう熱が入り、イギリスの"円卓"では全国民への化学防護訓練の義務化が検討された。
嶋田繁太郎や東條英機も「フランス人の底力、侮りがたし」と会議の席で述べている。

430 :名無し三流(投下終了です):2013/08/17(土) 15:10:17
 とはいえ、同盟国からの睨みによってフランスはシュペル・ミステールの生産を抑えざるをえなくなり、
それを受けてイギリスも一時は真剣に作戦が練られたフランス毒ガス工場の破壊工作という拙速な行動を見送った。
その間にドイツ、日本では水酸化ナトリウムの濃厚水溶液を利用した浄化方法、
イギリスでは過酸化水素水を利用して化学的安定性を低める方法が発見され、
シュペル・ミステールの神秘のベールは急速にはがれていく。


 それでもこの化学物質は「フランスがドイツを上回った成果」として記憶され、
フランス化学界において『不名誉なる名誉』という矛盾した、
しかし彼らの本音を如実に表した皮肉な二つ名を与えられたのだった……


                   ~fin~


(※1)
 ソ連による「バクラチオン作戦」に対するドイツ側の防御戦闘の呼称。
一連の戦闘における多大な犠牲を美化するためドイツ国内で頻繁に使用されているが、
独ソ戦復員兵のPTSDに対し「ライヒ病」「ライヒ・シュラハト病」などの俗称もできており、
国民啓蒙・宣伝省が狙った効果を発揮できているとは言い難い。

(※2)
 メタ的な話になるが、史実後期の悲惨な戦況の中で複数人からサリン行使の進言があったにも関わらず、
これを使用しようとしなかったヒトラーの事、史実よりましな戦況でこれを行使するとは考えられないため、
こちらの第二次世界大戦および独ソ戦においてドイツによるサリン使用は一切無かったという事にしておく。
本編・戦後編において当該期間の毒ガスに関する改訂があった場合はそちらを公式設定として優先してほしい。

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最終更新:2013年08月20日 21:05