577 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2013/12/30(月) 18:46:37
「これはひどい」


 北海道は道北の浜辺、冬将軍もいよいよその本領を発揮している頃。
漁師、郵便局員、巡査――皆分厚い防寒着で見分けがつかないが――達が集まり、口々にそう言った。


     提督たちの憂鬱 支援SS ~極東より信頼をこめて~


 彼らが取り巻いていたものはあちこちに錆の目立つ鉄塊、ありていに言えば難破船である。
ぱっと見、全長が20mに満たない所からして漁船……それもあまり遠くへ出て漁をするものではない。

 しばらくして、取り巻きの動揺を抑えつつ船の中へ入った巡査が外へ出てきた。


「……巡査さん、どうかね」

「まあ、駄目だな……中には仏様しかおらん。誰か郵便局に行って、支庁へ電報を」


 漁村の住人達がそろって眉間に皺を寄せるのは、犠牲者の不運を思ってか酷寒の故か。
それともこれから待ち受けているだろう面倒ごとを思ってか。

 かつて船だった無言の物体には、赤い星が描いてあったのだ。

578 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2013/12/30(月) 18:47:10
 その後支庁、さらに札幌からも人が来て、じっと春の訪れを待つばかりだった漁村はにわかに騒がしくなった。
彼ら来訪者が主に確認したのはその難破船がソ連船籍である事、船内の乗組員が全員死亡している事、またその他の漂着物の有無。
発見直後の状況の記録や漁船が辿ってきただろう航路の推測のため漁民らが協力を求められる事もあったが、
概ねの事はごく事務的に終わり、季節が季節な事もあって漁村への来訪者はすぐに減っていった。

 遭難、漂着したソ連漁船は一ヶ月程度で死体ごと片付けられてその母国へ返還され、
浜辺は綺麗に掃除された(さらにその上に雪が降り積もる事で痕跡はますます微かなものになった)が、
その悲惨な姿はこれを間近に見た村民らの脳裏からは消えなかった。


「まだ霧の酷い季節じゃない。たぶん舵が効かなくなるか何かあってここまで流されてきたんだろう」

「札幌の人に言われて船やそこの漁具なんかを見たが酷いものだった。
 網なんかあちこち擦り切れてて、小さな魚はすり抜けるし大きな魚では穴をもっと大きくされる」

「それに船の中には酒瓶と焚き火の跡だ。もしあれがもう少し大きな火だったら……」


 口々に名も知らぬソ連漁師の不幸を悲しむ漁師達。彼らは皆北海道で生まれ育った純日本人だが、
それ以上に同業者に対する仲間意識は強いものだった。男達は酷い状態の船で酷寒の海に出る事を強いられる程に、
あのロシア人は困窮していたのだろうと思いを馳せ、そしてある結論に達した。


「同じ海の恵みによって暮らす人間として、ボロ船に乗り命を落とす人々を座視する事はできない。
 皆で寄付を集めて、彼らのためによりまともな船と漁具を工面するべきだ」

579 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2013/12/30(月) 18:48:07
 勿論いち漁村でできる事はたかが知れている。しかし田舎漁師達のこの提案は村の巡査や郵便局員の賛同を得、
そこから口づてに札幌の新聞社やラジオ局へ、また内地へと、好意的あるいは消極的な意見と共に伝播していく。
その勢いは言いだしっぺである漁民達本人が腰を抜かす程であったという。

 戦勝や経済的繁栄で国民全体に心的余裕があった事もプラスに働いてこの手の慈善に前向きな人々は多く、
一方でその対象がソヴィエトである事に難色を示す人も少なくない。だが最終的には前者の勢いがこれに勝った。
寄付者には浅沼稲次郎はじめ大物の名もあり、にわか仕立ての『蘇連邦漁業支援委員会』は中型漁船4(新造1、中古3)、
小型漁船21(新造2、中古19)、またこれらのために使う漁具の確保という当初の目標以上に大きな成果を挙げる事ができた。


 日本政府もソ連政府も最初はこれに困惑を示したが、民間で自発的に、彼らの良心に基づいて行われている事であり、
特に実害も見られないためなし崩し的にこれを承認。委員会の集めた漁船は発案者となった漁民とロシア系日本人の協議のうえ、
『ヴェールヌイ(真実の/信頼できる)1号』~『ヴェールヌイ25号』と命名され、ソ連の漁師達へ寄贈されたのである。

 その後、これを機に日本とソ連の間でお互いの漁業に関する本格的な交流・対話窓口が開かれた事、
またヴェールヌイ1号(寄贈されたものの中で唯一の新造中型漁船である)がいつの間にか労農赤軍に接収され、
発動機から構造材まで徹底的に調査の手が入った事、全ての発端となったソ連漁船について「実は亡命しようとしていたのでは?」
という疑惑が出たがメジャーにはならなかった事、逆行者の多くは某ブラウザゲームが登場する前に逆行しているため、
"そちら"方面ではほとんど騒ぎにならなかった事など様々な出来事があったものの、
この寄贈話は多くのソ連、日本国民の間で、典型的な美談の一つとして今も語り継がれているのであった……


                   ~ fin ~

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最終更新:2014年01月07日 21:01