589 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/01/01(水) 19:06:43
 大西洋大津波とその後の日本の躍進は、これまでの世界の政治的、経済的、
とにかくあらゆる枠組みをひっくり返した大事件だった。その衝撃は当然、宗教界にも及ぶ。


       提督たちの憂鬱 支援SS ~憂鬱世界の宗教模様~


 1930~40年代、特に躍進したのが東方正教会(単に正教会、またはギリシャ正教会とも)だろう。
理由は単純に、彼らがこの時代最大の勝ち組である日本において、仏教や神道に次ぐ第三の宗教として、
その地位を確固たるものにしていたからだ。ロシア革命以降日本に亡命したロシア人達にとって、
正教会はロマノフの忘れ形見アナスタシアに匹敵する(ロシア皇室に縁の無い中流以下の階級にとってはそれ以上の)
精神的支柱であったし、それだけに布教活動も熱心なものであった。

 ソ連国内での宗教弾圧の激化は日本の正教会にさらなる団結と熱意を与え、
八月のクーデターでソ連の宗教政策が緩和される頃には、ロシア正教会と日本正教会の勢力はほぼ逆転してしまっていた。
ソビエト成立前はロシア正教会が日本正教会を支援していたが、今や日本正教会がロシア正教会を支援しているのである。
ソ連では「日本租界に行けば手に入らない物はない」と言われたが、イコンや祈祷の場もそこにあった。

 しかし問題が無かった訳ではない。正教会には彼らの暦の上にある各種の祭について、斎(ものいみ)という
食事の制限(対象は卵、乳製品、肉類、ワイン等)を含む準備期間があるが、これがなかなか日本になじまなかった。
日本における宣教師達は日本に根付いていた供養の思想などを交えるというアレンジで何とか納得させようとしたが、
日本人の間では「断食、食事制限は坊主・修行者のするもの」という意識があった事もあって苦戦を強いられ続け、
日本正教会は他国の正教会、また厳格な聖職者達から斎の不徹底について何度も苦言を呈される事になる。


 ともあれ正教会が日本に確固たる地位を確立した事は彼らにとって大きな進歩には違いなく、
日本正教会は独立正教会の地位を得、名実ともに東洋における正教会の信仰の中心になったのである。

590 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/01/01(水) 19:07:18
 日本に勢力を持つもう二つの宗教である神道、仏教も、正教会に伍する躍進を見せていた。
特に神道のもてはやされぶりは尋常ではなく、史実においては国家の後押しを受け「国家神道」と呼ばれた神道が、
国家の後押しよりも国民の後押しの方が存在感を持つようになり「国民神道」の様相を呈していた。
夢幻会中枢の中には、同じ読み方ができる某政党の事を思い出し軽い頭痛を覚える者もいたという。

 各地の寺社には玉串料や寄進が絶えず、これによって維持が可能になり失われずに済んだ文化財も多い。
ただ寺社仏閣の周りで金が回るようになると、それ目当てのいかがわしい商売や関係者の世俗化を懸念する声も大きくなり、
1946年には政府によって玉串料・寄進その他について節度を保ち、怪しい考えは起こさないようにとの広報が出される。


 正教会、仏教神道と違い苦しい状況に立たされたのがローマ・カトリックやイギリス国教会といった、
西ヨーロッパ中心のキリスト教だ。この時代に起きた戦争・災害の数々は虚無主義や無神論の跋扈とはいかないまでも、
少なくない人々の信心を揺らがせるには十分だった。またかえって宗教への帰依を深めた人々も先鋭化の危険という爆弾を抱え、
人々の心の傷を癒しつつも、彼らが軽挙妄動に出るのを抑えるという難しい仕事を抱え込む事になった。

 この時カトリック圏のために最大の貢献をしたと言われるのが、時の教皇ピウス12世その人である。
枢機卿時代はドイツ、オーストリアなどと政教条約の締結を推進、かの国におけるカトリック教徒の安全を守り、
またヨーロッパ、アメリカへの訪問も頻繁に行っていた事で知られるが、ナチスのユダヤ人迫害には沈黙を続け、
この点で日本でのイメージはあまり良くなかった(右派批評家山口二矢氏の著作、『ヒトラーの教皇』などに顕著)。

 だが大西洋大津波に際しては速やかにローマ教皇庁の財産による被災者支援を決断、
ポーランドのカトリック教徒についてはドイツによる迫害を逃れてきた数少ない亡命者をバチカンにかくまう他、
枢機卿を通じて裏で亡命の手引きをさせるなどの危ない橋を多く渡っている。ポーランドについての一連の動きは、
ナチスが過去にカトリックへ与えた様々な圧力に対する意趣返しではないかという見方もあるものの、
ピウス12世はこれらの業績によってローマ・カトリックの信徒から歴代教皇随一の尊敬を集めた。

591 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/01/01(水) 19:08:08
 ローマ・カトリック以上の災難に見舞われたのはまず間違いなくユダヤ人、
あるいは北アメリカ地域のあらゆる宗教組織であろう。北米において彼らは根幹からと言うのも生ぬるいほどの打撃を受け、
カルト化するか、共産主義者など社会的に悪と見なされていたものを叩く事で何とか求心力を維持できているという状況だった。

 対するユダヤ人もドイツによる迫害はもとより、アメリカ東海岸の壊滅で主だった財政基盤を失った事、
ヨーロッパ大陸では枢軸覇権の確立に伴って枢軸国以外のドイツ寄りの国々でも対ユダヤ圧力が強まった事で、
その影響力は大幅に減衰。イギリス勢力圏である筈の南アフリカでも親ナチス政党「牛車の番人」の扇動を受け、
ユダヤ人を狙った襲撃事件が多発。鉱山事業家アーネスト・オッペンハイマーを始め多くの人々が命を落とした。


 これらの流れからは隔絶し、蚊帳の外にいるように見えるイスラーム圏やインドも、
これから多くの試練を迎えようとしている。モロッコからモーリタニア、さらにその南にかけてのアフリカ西岸では、
津波被害の影響を受けてベルベル人やアラブ人がにわかに先鋭化しており、中東からインドは日英枢軸の利害調整真っ只中、
特に英領インドは独立運動・宗教対立に関する落としどころへ見当だけでも付けておこうという動きがある中、
巨大サイクロンがセイロン、ベンガルを直撃するという天災に見舞われているのだ。これに影響された社会不安は、
宗教家とその信徒たちの血圧を上げ、かわりに沸点を下げるのには十分だ。


 4000年以上の長きにわたって人々の精神的支柱であり、人々を繋ぐ「かすがい」であり、
また人々の対立、戦火の種でもあった宗教。これが20世紀後半に入りどんな顔を見せるかは、まだ分からない。


                      ~ fin ~

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最終更新:2014年01月07日 21:04