351. yukikaze 2010/01/24(日) 14:38:11
お待ちかね。長門ネタです

提督の憂鬱  支援SS  諸君。私は戦艦が大好きだ。

海軍の艦政本部には、一人の名物男がいた。
金田秀太郎。史実において、50万トン戦艦を提唱した人物である。
ご多分にもれず、彼もまた逆行者であり、そして筋金入りの戦艦好きであった。
何しろ金田に付けられたあだ名が「天下無双の戦艦狂い」であり、当人もそれを否定するどころか
「最高の褒め言葉」と、わざわざ名詞にまで印刷するほどであったのだから、推して測るべしである。
その為、艦政本部出仕が決定した時は、躍り上がって喜び、周りの同僚が「医者呼ぶか?」
と、囁いたほどであった。

そんな彼が、最初に(色々な意味で)名を轟かせたのは、扶桑建造の時であった。
史実と違い、1年早く艦政本部出仕になった事で(幸か不幸か)扶桑設計に用兵側の立場で
関わる事になった彼は、未来知識を駆使して、様々な提言を積極的に行っている。(湾曲煙突や七脚楼も彼の提言)
最初は金田のその提言を「素人が口出しして」と白眼視していた技術者も、その理論が理にかなっていることから
「金田という人は突飛なことを言い出す。最初は空想的なと思うのだが、結果的には大いに参考になる」
と、彼のことを評価している。(新型装甲板のMNCの早期導入に尽力した事も、彼を好意的に見る要素となった)
もっとも、大蔵省や海軍の予算折衝担当は「あの馬鹿・・・少しは予算の事も考えろ」と、恨み節ではあったのだが。

さて、そんな彼にとって、長門建造は一大ビックイベントであった。
何しろ、長門級以降、日本海軍の戦艦建造は長期間にわたってストップしてしまうのである。
戦艦スキーな彼にとっては、正に無念断腸ではあるのだが、さすがの彼も国家を傾けてまで戦艦を作るべきであると言う考え
には組しなかった。(曰く「国家破産したら戦艦作れなくなるじゃないか」)
故に、彼は自分が現役である間に作られる最後の戦艦(になるであろう)長門級を、自らの理想と言うべき戦艦に仕立てるという
まさに戦艦スキーにとって、最大にして至高の野望を果たそうとしていた。

そんな彼が心血と精魂込めて作り上げたプランは、正に未来知識を総動員した代物であった。
何しろ、このプランを見た辻正信(彼は本プランの予算担当官であった)は「なにこの「ぼくのかんがえたさいきょうせんかん」」
と、(彼にとっては珍しい事に)絶句するほどであった。

勿論、辻はその設計プランの優秀さを理解しながらも、金額がとんでもないことになっていたので、コスト削減を
命じようとしたのだが、最早色々な意味で危ない表情になっている金田大佐から肩をつかまれ、小部屋に監禁され、
3時間に渡り「諸君。私は戦艦が大好きだ」と、大演説を受け、見事にダウンしてしまう結果になった。
余談だが、これ以降、辻正信は、金田が来ると聞いた瞬間、全力で逃げ出したのだが、大蔵省では誰もそれを批判する事はなかったという。
何故なら、大蔵省の役人全員が同じことをしたからであった。

かくして、金田大佐の理想を注ぎ込んだ長門と陸奥は、無事に1920年3月にそろって就役をすることになる。
彼は後々までそのことを自慢し、彼の居間には長門型の写真と、精密な模型が飾られていたと言う。

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最終更新:2012年01月01日 01:24