331 :第三帝国:2013/12/28(土) 01:34:48

大陸日本史~銀髪美少女のための年代考察(ネタ度強)

・紀元前1200年頃
殷王朝の誕生に従いコーカソイド系遊牧民族がシベリア=樺太=蝦夷亜大陸、あるいは東シナ海、日本海経由で逃亡する、彼らは所謂スキタイ人でが渡来し日本大陸北部~東部に定住。
シベリア経由は史実でもロシアのコサックもしたように深いシベリアの森林の中、アムール河に沿って移動を続けた末かと考えられる。そして一番狭くて7キロ程度先にある樺太に上陸してからさらに南下をつづければ、特に冬ならうまくすれば徒歩でも上陸可能。
同じく戦乱が続く中華世界から連れて来た、あるいはのがれた人々が農業、主に麦の生産活動に従事し人口の増大が進む。

・紀元前660年
皇紀元年にして神武天皇が即位。
このころ東西日本、さらに近畿、九州では諸民族が入り乱れており、神武天皇は後世に言われるような絶対王政的な権力者というよりも利害調整役兼宗教的指導者であり、農耕、騎馬、漁労、に各部族、豪族の取りまとめ役で確かに言えることはこの頃に大和朝廷が成立したことだ。
これまで麦中心であった東北で米の生産が東北まで一気に広がり明治を待たずに蝦夷亜大陸で米の生産が開始する(転生者が頑張った)
人口は牧畜と合わせて更に増加、そのうち財産を受けることが出来ない次男坊、三男坊が傭兵や交易に従事し、中華世界=シベリア=樺太=蝦夷の海洋交易ルートが沿岸部のツングース系民族との融合もあって船舶建造技術が強化される。

・紀元前221年
始皇帝による中国統一、除福が銀髪幼女等各種民族の童女3000人を引きつれて亡命し成功。
以後、加熱する中華世界の戦乱に伴い大陸日本に亡命し治金技術、農業技術が飛躍的に向上。
が、大規模な流民発生と除福が戻ってこない事に激怒した始皇帝が本気で大陸侵攻を計画したため、街道、港湾、城塞整備を本格的に開始、中華世界からもたらされた最新の土木技術を用いて大宰府が建造される。
近衛として大々的に東北や蝦夷からコーカソイド系騎馬民族が雇われる、ようはビザンツ帝国のヴァリャーギだと思えばいい。

・紀元前120年
史書で大陸日本の記述が初めて記載される。
この時に大陸日本東部には白匈奴が居住していることを指摘する文があり、彼らは匈奴と同じく牧畜を生活の糧にする一方で交易や傭兵、あるいは略奪を行うと記述。
白匈奴の中には北の海を越えて中華世界に来る者もいるためそちらは海人(あば)と区別されることもあり。

・紀元前~紀元後
大和朝廷による統治がほぼ確立。
が、所謂豪族による連合体なので朝廷の本当の支配権は東北まで及ばず。
この頃から古墳が各地で建造されるのだが、転生者のせいで石壁にアニメ調な絵や埴輪の代わりにねんぷちが設置され、「どう見てもミクダヨーです、本当に(ry」等と後世の夢幻会が盛大に罵倒し胃を抑える事態となる。

・紀元後180年
三国時代に突入、さらに流民が発生し大陸日本の技術が底上げされる。
が、現在の樺太の豊原、新潟・佐渡などのルートで楽浪郡と交易をおこなっていた東北、蝦夷のコーカソイド民族がその消滅を確認。
大和朝廷軍が朝鮮半島に出兵、高句麗との間に不可侵の約定を結び以後は最低限の交易を除き引きこもりのタイムに突入。

・紀元後200~250年
『魏史倭人伝』における倭国大乱勃発、
疫病に増えすぎた人口による飢饉で、宮廷政治の問題にとどまらず大和朝廷の主導権をめぐり内乱が発生。
倭の八王が互いに覇権を巡り争う戦国時代に突入する、東北では阿武里亜琉王(あぶりある王)須歩尾瑠王(すぽおる王)などコーカソイド系の血を引いた王が大規模な騎兵戦を仕掛け中華世界に引き手を取らない大規模な野戦が幾度も発生する。
が、最終的には近畿中心に女帝(三輪女帝)をたることによりこれを治め、国号を大和と定める。(いわゆる邪馬台国である)

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最終更新:2014年05月22日 21:39