685 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/05/22(木) 22:44:08
(「あなたは何故砂漠に引きつけられるのですか?」と訊ねられて)
――清潔だからだ。
――映画『アラビアのロレンス』より
ネフド砂漠に夕陽が沈む。砂礫は陽の光を受けて、これから流れる血を想起させるような鈍い赤色を示していた。
1917年7月、アカバへの道半ばにキャンプを張っているのは老帝国オスマントルコに反旗を翻すアラブ人達の集団だ。
いや、アラブ人だけではない。そこにはアラブ人と共に、イギリス人、そして何十人かの黄色い肌の男達もいた。
提督たちの憂鬱 支援SS ~熱砂と熱意~
「ホウェイタット族が加わってくれたのは良いが、元からいた部族との仲はまだまだ良いとは言えないな」
「アラブは昔からそういう所です。そう、最初の十字軍の頃からね」
小さな日の丸の旗が立てられたテントで、イギリス人と日本人が1対1で話し合う。
日本人の"最初の十字軍"という言葉に、イギリス人の方はやれやれといった表情で肩をすくめた。
「しかしアカバ攻撃を目前に控えた今、不安定要素はできるだけ排除しておきたい。
私も君もアラブの人々とは長い付き合いになるが……君の国でも"一寸先は闇"と言うだろう?」
「そうですね……確かに彼らの中には、沢山の諍いや争いが地層のように積み重なっている。
しかも個人や家族、一族のレベルで……となれば」
「その"地層"を持たない我々が、彼らに対し指導力を発揮せねばならない、か」
我が意を得たり、と膝を叩く日本人。イギリス人は半ば自嘲気味に微笑むと、彼をじっと見つめた。
「我々――いや、もしかすると君が一番適任かもしれないぞ。なにせ私はイギリス人だ。
アラブの"地層"には、イギリス人についての事もしっかり刻み込まれてるだろうから」
「ロレンスさん、ご謙遜を」
第一次世界大戦が始まると、イギリスはオスマントルコがスエズ運河へ侵攻するのを防ぐため、
トルコの支配下にあるアラブ人達が反乱を起こすように仕向けた。フサイン=マクマホン協定の締結を始めとして、
イギリスは(様々な問題を抱えながらも)これに成功し、2人の男をアラブへ向けて送り込む。
1人は軍人にして考古学者のトーマス・エドワード・ロレンス。そしてもう1人が、
日本人でロレンスの同期の友人だった。イギリスは他にも多くの支援をアラブへ送っていたが、
この2人はいずれもアラビアやアラブ人に関して深い知識を持ち、反乱の頭脳として機能する事を期待されていた。
日英同盟に従い参戦した日本も、この日本人を助けるため少人数の選抜部隊を派遣している。
686 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/05/22(木) 22:44:53
彼らはイギリスの期待に十二分に応え、アラビア各地で巧みな非正規戦を展開しトルコ軍を苦しめた。
特にヒジャーズ鉄道は集中的に破壊され、トルコは鉄道沿線へ彼らの十数倍の戦力を展開させる事を強いられる。
これは幾つかの戦略上の拠点を手薄にせざるを得ない事を意味し、ロレンス達もこの事をよく分かっていた。
その戦略上の拠点こそ、他ならぬアカバだったのだ。
「謙遜などしていないよ。私はただ、日本はアラブの良き友人になれるだろうと思って――」
ロレンスの言葉を銃声が遮る。
「外だ!」
テントから跳ね出る2人。2人が見たものは、胸から血を流して死んでいる1人のアラブ人と、
そしてライフルを手に立ちつくすもう1人の、別な部族のアラブ人だった。他のテントからも何事かと野次馬が集まる。
「いったい何があった!?」
「奴はハイサムの銃を盗んだ!それを咎められて逆上したんだ」
「違う!これは元から俺のものだった。因縁を付けられて奪われそうになったから」
撃たれた側――ハイサムと同じ部族であろう男と、銃撃した側の主張は真っ向から対立する。
「まあ待て、その銃はイギリスから配給されたものだな?ちょっと見せてみろ」
撃った男からライフルを受けとるロレンス。ロレンスと日本人達はこのような事態を予期して、
配給する武器には部族ごとに固有の印を付けていた。2人は印の一覧とライフルの印を照合する。
「…………盗品ですね」
「さて、どうする?」
「口で言っても無駄でしょう。となれば」
ロレンスとライフルが盗品である事を確認した日本人は、やおらアラブ男の前に歩み寄り、強い口調で言った。
「このライフルはお前自身のものだ、というのは本当かね?」
「そうだ」
「真実であると、何者にも誓えるか?」
「アッラーは偉大なり!」
ハイサムを撃った男はなお強い口調で返す。"アッラーは偉大なり"はアッラーへの帰依のみならず、
自らの真剣さ、本気度、また正当性を主張する際にしばしば枕詞として使われる言葉だ。
687 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/05/22(木) 22:45:35
これを聞いた日本人は意を決したように頷き、再び男へ向かって言う。
「ならば、お前の拳は私に尻餅をつかせられるはずだ。もしそうでなければ……
逆にお前が尻餅をついたならば、お前はハイサムの銃を盗んだ嘘つきだという事になる」
そして男の"アッラーは偉大なり"と同じぐらいに強い語気で続けた。
「お前が盗人の嘘つきだと明かされれば、お前は今持っているものを何でも盗まれるだろう!」
野次馬達が一斉に息を呑んだ。ロレンスも固唾を呑む。
この日本人が言っている事を簡単に要約すれば、次のようになる。
『1対1、拳と拳で決闘をしよう。お前が勝てばお前は無実、つまり無罪放免。
逆に負ければ、他の者たちがお前の持ち物を好き勝手に奪ってよいものとする』
野次馬は息を呑んだ次の瞬間には、もう略奪の算段を立てていた。
「奴のラクダはどこそこに繋いである」「奴の財産はどこそこのテントにある」などといった情報が錯綜している。
一方挑戦状を投げつけられた男は、やる気満々でその両拳を構える。
「言っておくが俺はここらの部族の中じゃ一番腕っ節が強いんだ。後悔するなよ」
「そうかそうか、実は私も日本人の中ではそれなりに"出来る"方でね」
間合いを取りながら互いに1回ずつ口撃すると、アラブ男の方から日本人へ殴りかかっていった。
体格差から、まともに入れば日本人の敗北は免れない。しかし日本人はここでロレンス、また他のアラブ人を驚かせて見せた。
日本人は急速に間合いを詰めてきたアラブ人の腕を掴むと、その勢いのままに背中の上で半回転させ地面へ叩き付けたのだ。
「な……」
「意外と早くついたな?」
「いいや、これは"背中から"ついたから"尻餅"じゃあない!」
アラブ人は体勢を立て直すと、再び日本人目掛け突進した。今度は雄たけびのおまけ付きだ。
そして相手の攻撃を素早く学習したのか、腕は突き出さない。脇腹の所に付け、丁度のタイミングで突き出そうという算段だろう。
だがこの時も、日本人の方が1枚上手だった。
日本人はアラブ人が攻撃モーションに入ったその時、素早く身を屈めて彼のみぞおちに肘鉄を叩き込んだ。
助走による加速が乗って、その衝撃の前にアラブ男は今度こそ"尻餅"をついて倒れる。
そこから動かない所を見るに、どうも気絶してしまったようだ。
688 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/05/22(木) 22:46:37
決闘を見守っていた野次馬がわっと倒れた男、そしてその男の財産へ群がっていく。
それを尻目にかけながら、勝者となった日本人はハイサムの属していた部族の所へ行った。
「これでこの銃が盗まれた物だと証明された。ハイサムの事は残念だが、銃は彼の部族のもとへ」
「いや、素晴らしい技を見せてもらったよ」
銃をハイサムの部族へ返した日本人へロレンスが歩み寄り話しかける。
「君達の勇敢さは分かっているつもりだったが、これほどとは」
「ありがとうございます」
ロレンスの惜しみない賞賛に、日本人は少し照れながらも深々と頭を下げた。
そしてはっと何かを思い出した顔をする。
「そうだ!アカバを落とした後で、貴方に渡したいものが」
陽は既に沈みきり、キャンプの焚き火が2人の顔を照らしていた。
――時は流れ、1936年。イギリスの片田舎。
小さな一軒家で、トーマス・エドワード・ロレンスは新聞記者の取材を受けていた。
「…………なるほど、かの日本人はあなたと、そしてアラブ人達の良き親友であった、と」
「ああ。私は片時も彼の事を忘れた事がない。昨年も彼の墓へ行ってきたよ」
「アカバの戦いで日本人部隊が見せた敢闘については、私もカイロで聞きました。
もし彼が戦死されていなければ、彼と共に何かしたいと思った事は?」
「彼が生きていたら?そうだな、学生の頃のように、十字軍の――あるいはまた別な時代の遺跡を巡りたかったな」
「きっと素晴らしい旅になっていた事でしょうね……ところでそのアクセサリーは?」
「……彼の形見だよ。"アカバ"の直前、戦いが終わったら私に渡したいと言っていたものだ」
ロレンスが大事そうに手にしているお守りには、漢字で『交通安全』の4文字が刺繍されていた。
~ fin ~
689 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2014/05/22(木) 22:47:33
これで投稿は終わりです。
念のため、この"日本人"は薩摩治郎八や土肥原賢二ではありませんのでご了承下さい。
最終更新:2014年05月23日 19:29