142. ひゅうが 2011/12/05(月) 23:40:41
※  涙の雛祭りにかっとなったので書きました。反省はしています。


――西暦1943年3月  大日本帝国  帝都東京

男が、蒼白な顔で廊下を歩いていた。
この帝都の中心にある千代田の城の、そのまた奥座敷であるこの場所は、文字通り帝国の奥の院といっていい。

大西瀧治郎中将は、自らへの沸き立つ怒りと無念さにまみれながらそこを歩いていた。
ここに来るまで彼を見つめる人々の目は厳しかったが、彼の顔を見ると一様に納得した様子になっていた。
かしましいブン屋どもも、文字通り鬼気迫る大西に何も言えなかったほどだった。

「海軍中将大西  まかり越しましてございます。」

「入れ。」

少し枯れた声が響き、扉が開かれた。

そこには大本営を構成する嶋田首相をはじめとする文武の高官たちが集結しており、一段高くなった上座には、彼が尊敬してやまず、また一番会いたくなかった人物がいた。

「臣大西・・・この度の惨禍を防げなかったことを恥じている次第です。」

「大西よ、死ぬ気か?」

主上は、頭を下げた大西をいたわるような声をかけた。

「こうも早く子の後を追うとは、親の不義とは思わんのか!」

主上が声を荒げられた。
周囲に驚きの空気が広がる。

「しかし・・・そこな嶋田閣下の知る通り、私はかつて誤った理論を唱え、帝国の軍備を誤らせるところでした。そんな臣の手腕を嶋田閣下は惜しみ、本土防空の指揮官と航空隊の練成の仕事を下さったのです。であるのに、この度の不始末により息子と妻を毒ガスに倒れさせ、無辜の民を「猿」とさげすむ者どもの毒牙にかけてしまいました――!!」

大西の目から涙がこぼれおちる。
あの空襲から1週間。大西は主上や彼を信じてくれた人々に暇を請わずに死ねないと生き恥に耐えてきた。その思いと無念さは、彼ほどの人物をしても抑えがたかったのだ。

「大西よ、死んではならぬ。少なくとも今は。」

主上は言われた。

「わが不徳であった・・・かように米国は残虐であったか。我が民はしょせん彼奴らにとっては猿であったというのか・・・それを嶋田らは前より言っておったというのに――」

「陛下。私も信じられませんでした。細菌兵器を、化学兵器を無辜の民の上に投下するならまだしも、それを喜ぶような連中がかの偉大な国を作ったなど――」

「嶋田よ。」

「は。」

「こたびの出来事はわが罪なり。大西に、こたびの兇刃への報復の任を与えてやってはくれまいか。」

「臣も同じく考えるところでありますれば――大西中将、『富嶽』を指揮してみる気はないか?」

大西は、ただ平伏することしかできなかった。
御前会議の部屋には、すすり泣きの声が響いた。

――のちに、大西が米本土爆撃部隊の総指揮官へと就任したことを知ったハースト系新聞はこぞって「日本本土を爆撃させた無能者」と己の所行を棚に上げてののしった。
しかし、大西は容赦という言葉を知らず、ロサンゼルス、サンフランシスコと次々にキノコ雲と毒の雲を作り出していく。
誰が言ったか「爆撃王」。無防備都市宣言を出しながらも兵器生産を継続したり、弾道弾攻撃による混乱を利用したいわゆる「100機爆撃」により5つの都市を一晩で廃墟に変えた際も大西は淡々と「次はシカゴ郊外だな。」と言ったのみであったという・・・。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2012年01月01日 19:55