361. 辺境人 ◆WvgPQuc/WQ 2011/06/21(火) 21:55:32
<提督たちの憂鬱  支援SS  〜地震列島〜>

  1943年9月12日

「そうだ、無事な基地を確認できたなら手近な部隊から出動体制を取らせ準備ができしだい鳥取に派遣しろ!  工兵と衛生兵を優先、食料や医薬品などの物資を持てるだけ持たせるように。鉄道連隊も国鉄と協力して鉄道の復旧も急がせろ。民間の協力も得られるならばそれらを効率よく動かすために司令部で統括できるよう体制を整えろ。現地でプレハブ住宅を建設して倒壊しかけた家屋で寝泊りせずにすむように計画を立てろ。美保の航空隊に夜間飛行のできるパイロットを選抜して偵察機を出せ。日が昇ると同時に輸送機を発進させ物資を投下できる準備をするよう通達も出せ、現地に送る物資の優先順位と管理も忘れないように」

  もう夜に入った帝都東京の首相官邸で嶋田は軍と内務省からの報告を受けて災害対策本部の設立を命じ、矢継ぎ早に指示を出していた。
  地震の発生が夕方だったために首相官邸まで通報があった時点ですでに日が暮れており、混乱している現地からの報告を待っていたのでは状況把握も難しいために見込みで救助計画を立案せざるをえず、戦時の総理大臣として異例なほどに強い権限を持つ嶋田が強権を振るい矢継ぎ早に命令を出すことで強引に関係省庁を掌握していた。


「鳥取地震が史実通りに起きたということは大西洋の大噴火もさすがにまだ太平洋プレートまで影響を与えていないということか……まぁいずれは些細なズレが溜まっていって半世紀後には地震の内容も変わってくるのかもしれんが……」

「逆に言えば東海地震などの地震は避けられない、ということもありますね。やれやれこれからの震災で一体復興費用にいくらかかることか……災害復興予算を何か別の予算案に分散してあらかじめプールしておく必要があるかもしれませんね」

  嶋田の言葉に辻がため息をつきながら返す。

  日本はすでに対米戦においてアメリカ合衆国自体が事実上崩壊した状態の中で圧倒的優勢に進めていたが問題が全く無いわけではなかった。それは史実の大戦末期前後において起こった四大地震と呼ばれる災害である。43年の鳥取地震を始めとして44年の東南海地震、45年の三河地震、46年の南海地震とほぼ一年ごとに千人を超える死者を出した大地震が連続で起きるという平時でも苦しい、戦時ともなれば悪夢としか言いようのない災害イベントである。特に名古屋などは工場が多く、愛知航空や豊田自動車など大手企業では防災対策は過剰なまでにされているとはいえ中小企業まで行政指導で厳しくするわけにもいかず、一般住宅も含めて相応の被害が出ることは避けられないと判断されていた。故に夢幻会は事前に対策を練り、戦時における避難訓練などと合わせて災害対策を充実させていた(なにしろアメリカという大国が自然災害で首都を含め壊滅したのだから反対意見も少なかった)。

「境港の海保基地から消防飛行艇を出せるとの連絡が入りました。胴体内に水を補充したまま発進して可能なら消火活動を行いたいと」

  海保に出向中の南雲が会議室に入ってきて報告する。
  海保は基本的に海軍からのお下がりの九五式飛行艇を使っていたがメーカーが改良した新品も保有していた。それが胴体内に貯水タンクと放水用の開閉ドアを設けた九五式消防飛行艇である。九五式の機体を改造したもののため2トン程度の水しか投下できないものの緊急時の火災において空中から2トンの水を狙って投下できるというのは大きく、それだけに山林火災などの大規模火災時には期待されていた。
362. 辺境人 ◆WvgPQuc/WQ 2011/06/21(火) 21:56:35
「消防飛行艇か……だが夜間飛行は大丈夫なのか?」

「航法は海軍出身のベテランです。多少年はいってますが問題ないと言っているそうです」

「だが現地の連絡はどうなっている?  山林火災と違って都市火災では下手すれば消火活動をしている人間を数トンの水で押しつぶすことになるぞ」

「夜間ですから火災は目立つのでなんとかなると言ってるようですが……」

「……さすがにそれでは許可はできん。夜間放水は操縦する方も放水される方も危険が大きすぎる。無理をして被害を拡大しては本末転倒だ。火災がそれまで続いていたらそれはそれでまずいが、出動は朝まで待たせろ。その間に地上との連絡手段を確保して放水する場所の指示や避難誘導ができる手段を確保できないか検討してくれ。爆撃機の誘導を行う前線航空統制官(FAC)と同じ要領でなんとかなるかもしれん」

「海保のパイロットは爆撃誘導訓練などしていませんから難しいかもしれませんが……軍から人員を派遣できないかやってみましょう」

  南雲が頷き、会議室から出て行く。軍のルートを使って海保の共同作業について打ち合わせにいくのだろう。軍と海保の連携は海上護衛に関しては十分に練られていたが災害時の救難作業に関してはいまだ経験が少ないために混乱をきたしており、南雲が軍との調整を行うことでそれをなんとか治めているのが現状であり、ここ数年ずっと海保に出向して海保の指揮を取っているため最近は周囲から海保の親玉として認識され海軍軍人だということを忘れられかけている南雲であった。

「他に何か案はないか?  この際、使えるならなんでも構わん」

「東京と大阪の特救隊(レスキュー隊)を軍の輸送機で機材とセットで運べないか打診中です。救助犬などがいるのはまだこの二つの隊だけですから移動手段があれば役に立つかと」

「呉に寄港している海鷹の対潜ヘリ部隊が地上基地に上げられていますのでこれを輸送ヘリや救難ヘリとして使えませんか?  輸送量は大したことはありませんが軍医や重傷者の輸送くらいはできるはずです。野戦飛行場設定隊が途中に補給と整備できる拠点を用意すればピストン輸送も可能になります。夜間飛行はまだ無理ですので明日の朝になり次第ということになりますが」

「現地の鉱山などにはには密入国している朝鮮人や福建人などが働いている可能性があるため被災に乗じた治安の悪化の恐れがあります。戦争で肉体労働者が足りなくなっているためある程度は大目に見ている面もあるのですがこの状況では不安要因にしかなりません。軍には最低限自衛のための拳銃程度は持たせ、同時に警察も派遣して治安回復をはかるべきかと」

  様々なプランが出ては検討され、修正され、そして実行されていく。陸海軍のみならず消防庁を擁する内務省や警視庁、海保など様々な役所が手柄を立てる機会と見て積極的に介入しようとしてくるが、これまでの地震の度に改訂されてきたマニュアルはあるがマニュアル通りにしか動けない傾向のある官僚に対してそれ以上のことをさせるには嶋田たちが介入する必要があり、会議は日付が変わる深夜まで続いた。
363. 辺境人 ◆WvgPQuc/WQ 2011/06/21(火) 21:58:58
「やれやれ、戦争は待ってくれんし誰かに災害担当を委任しないとな。時間に余裕ができ次第、私か皇族の方にでも現地入りして視察をする必要もあるがとりあえず誰か適切な人間を防災担当大臣を臨時に任命して任せないとその余裕も作れん。戦時のために予算問題があるからと処理に時間を稼げば次の地震の時にそのまま対応できるかもしれんし今のうちに防災関連の人材を召集しておきたいところですが……」

「4年連続で大地震とか勘弁して欲しいですね……まぁアメリカ人からすれば贅沢ぬかすな、という感じでしょうが。不幸中の幸いとでも言うか今は戦時体制ですから緊急事態に対する備えは出来ています。関東大震災からこつこつと経験と実績を積んできた日本の災害対策システムは伊達ではありません」

  関東大震災は夢幻会が最初から再建による首都の都市計画まで計画された上で不自然ではない程度に待ち構えていたこともあって史実よりも被害は抑えられていたもののやはりそれでも日本史上最大規模の損害を出した。戦時中にまた地震が起きることを知っていた夢幻会は日本では地震から逃れて生きていくことはできないと震災のあった9月1日を防災の日として制定、災害訓練を定期的に行うこととして東京帝国大学にあった地震研究所を国営の研究機関として独立させ、耐震建築や発生が分かっている場所で事前に観測データを取るなど対策を立てており、消防庁も史実よりも早く内務省管轄化に設立され救急隊やレスキュー隊など様々なシステムが史実以上の早さで実施された。
  そうした積み重ねにより1933年の三陸地震や1935年の新竹・台中地震などでは被害を史実の半分以下に減らすことができ、日本の震災対策は間違いなく世界でもトップレベルにあったのである。

  特に大西洋大地震の大津波によるアメリカ大陸東部およびアフリカ西部の壊滅によって自然災害への備えを求める声が国民の中からも自然に出てきており、それらを追い風に防災グッズなどの製品化だけでなく、より大規模な防災対策として富士山の気象レーダーの建設計画なども戦争でローペースではあるものの研究だけは進んでおり、富士山だけでなく台湾の新高山など軍の防空レーダーシステムと平行して気象観測レーダーシステムも計画されていた(同じく研究段階ではあるが宇宙衛星の研究でも気象観測衛星が研究されている)。

「戦時中ということ逆には軍を自由に災害支援に投入できないということでもある。大西洋の津波の被害を参考に今回の被害を過大評価して狼藉を働く勢力が出ないとも限らん。全軍の警戒体制レベルを上げて臨戦態勢にする必要もあったし正確な情報を流しデマの発生を防ぐ必要があるからマスコミにも通達が必要だし……まったく、やれることはいくらでもあるができることには限界があるな」

「相手が自然では仕方ありませんよ。そもそも日本じゃ自然災害と無縁に生きてくなんて無理なんですし。カムチャッカ半島も確か50年代に史上最大級の地震があったはずだし台湾も何度か大地震があります。領土が増えた分だけ史実以上に震災対策も必要になるってことです。そして戦後、超大国の一つとして生きていくことになるだろう日本は震災で大被害を受けても日本に恨みを持つ者たちに隙を見せるわけにはいかない立場でもある。水と安全はタダじゃないんだってことを国民に徹底的に教え込まないといけないでしょうね」
364. 辺境人 ◆WvgPQuc/WQ 2011/06/21(火) 21:59:57
「将来原発を建てるようになったら震災対策も含めて厳重にやっとかんとまずいだろうな……少なくとも911テロみたいにジャンボジェットが体当たりしたりバンカーバスターで爆撃されても大丈夫なくらい頑丈に作って原子炉も安全装置や警報機を過剰なくらいにつけとかんと。テロ対策も必要だし放射能防護服を装備した原子力事故の対策部隊くらい必要になるか」

「まぁ安全とコストの釣り合いを取るのは大変ですけど危険度によっては安全重視でいかなければならない分野もありますからね。とはいえ安全を考えるならあまり原発をポンポン作るよりも火力発電や水力発電の比率を高めた方が楽かもしれませんが……」

「まぁそれは将来の課題だな。今は目の前の仕事を片付けよう……やれやれ、何時になったら引退できるのやら」

  こうして鳥取地震は戦時内閣に相応しい迅速な対応によって処理された。戦況も余裕があったこともあって新聞にも普通に記事が掲載され、役所間の勢力バランスを取るために軍以外でも海保、消防庁といった普段裏方仕事が多い部署もその活躍が報道された。そしてこの迅速な対応によってやはり非常時には軍出身の政治家が一番頼りになる、そうしたイメージが大衆に浸透していくこととなる。それは同時に夢幻会の存在を知る村中大佐など親夢幻会派にますます「やはり夢幻会は頼りになる。この国を導くのは彼らしかいない」と夢幻会を表に出すべく活発になっていくことを意味していた。対米戦を率いた嶋田が彼らに英雄視され、その後始末に奔走されるのは後のことである。

<完>

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最終更新:2012年01月01日 23:12