253. 名無しさん 2011/07/25(月) 20:54:25
ちょっと考えてみた、嶋田さんのアンサイクロ風な解説。



◆嶋田式潤滑油(シマダシキジュンカツユ)

*概要
嶋田式潤滑油(シマダシキジュンカツユ)とは、日本が生んだ驚異的性能を誇る潤滑油である。


*生い立ち
明治維新という近代国家への産みの苦しみを経て成立した新政府は、
旧体制側の勢力を同化もしくは打破して新たな政治を作るための地ならしを済ませたが、
ある1つの問題が残っていた。それは、近代国家における複雑化した各省庁や政治機関、
また経済界などの間の関係をいかに円滑にするか?という問題である。

この問題を解決するために新政府が出した答えとはずばり『組織間の潤滑油を作る』という物であった。

"機械の"潤滑油は列強から輸入して研究する事ができたものの、
"組織の"潤滑油は当時まだ列強さえも開発した事が無かった未知の領域であり、
開発にあたっては多大な艱難辛苦が伴ったが、ついに明治某年、
世界初の組織間潤滑油『嶋田繁太郎』、通称『嶋田式潤滑油』が完成したのである。


*"嶋田式"の躍進
この嶋田式潤滑油は、最初は性能評価として海軍に供給され、
日本海海戦(第一次フルボッコ海戦)では搭載艦の被弾により少なくない損害を被ったものの、
残りの潤滑油は以後非常に良い働きをし、当時流行っていた戦闘機無用論を粉砕したことから、
組織間関係の円滑化のみならず組織方針の正確化にまで効果を発揮する事が判明。

これらの功績から日本政府は内閣にもこの潤滑油を導入する事を決定し、
ここに嶋田式潤滑油の栄光の歴史が始まったのである。

内閣に導入された嶋田式は早速『大蔵省の魔王』辻政信らとその他大勢の予算交渉や、
機動部隊の編成などを始めとする海軍の近代化など大車輪で仕事をこなし、
ついには昭和の一大クライマックスとも言える日米戦争において、日本圧勝の立役"油"となった。


*他国の試み
組織間潤滑油は、日本が導入を始めてから欧米など他国でも開発が始められたが、
やはりこの技術においての後進国ということもあって期待された成果が挙がる事は無かった。

第一次大戦で日本兵の強さを危険視したドイツはいち早く組織間潤滑油の開発を始めた国だが、
完成した『アドルフ式潤滑油』は日本のそれに比べ酸性が強かったために、
組織間の円滑化は思ったように行かず、かえって組織を磨耗させる事の方が多かったと言われる。

日本と地理的に近いソビエト連邦でも、レーニンの指導により『ヨシフ式潤滑油』と、
『トロツキー式潤滑油』の開発が同時に進められていたものの、トロツキー式の開発チームが、
全員謎の失踪を遂げたために(ヨシフ式開発チームの陰謀という説もある)、ヨシフ式だけが完成する事になった。
しかしこのヨシフ式は先述したアドルフ式の下位互換のような存在であり、
開発を指導していたレーニンさえもが「あーもう、ダメダメです」とコメントを発したのだが、
失敗を認めたがらない共産党幹部によってこれらの事実は全て抹消されてしまい、
以後長い間ソビエトはこのヨシフ式の扱いに苦しめられた。

また、中華民国(軍閥)などはこれの導入に最も派手に失敗した例の一つである。
最初に開発された『張作霖式潤滑油(張一式潤滑油)』はアメリカ合衆国との関係円滑化に貢献したが、
その後継として開発された『張学良式潤滑油(張二式潤滑油)』は全くの失敗作であり、
ソ連や日本に無茶な攻撃を繰り返させて最終的には民国政府自身の手によって全て爆破されてしまった。



これまでの話で書けるのはこのくらいかな

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最終更新:2012年01月02日 18:19