832. 名無し三流 2011/02/14(月) 22:03:11
イギリスといえば変態紳士と腹黒紳士と・・・


***


  20世紀のイギリスの流行語の1つに、
「インターバル・オブ・ドーバー」という言葉がある。

  英独がバトルオブブリテンの後にこぎつけた停戦は、
イギリスにとってはドイツへの雪辱戦の準備期間に、
ドイツにとっては来る対ソ戦において後顧の憂いを無くす事に繋がった。

  その準備期間。それを1秒たりとも無駄にしてはならないという、
イギリスの危機感がこの「ドーバーの小休止」という言葉を作り出したのである。


  残念ながら雪辱戦を挑む目論見はカナリア諸島の火山噴火と、
それに連動して発生した大西洋大津波によって出鼻を挫かれる事になったが、
そうすると今度は「雪辱戦への準備」を「植民地の安定と国力の復旧」に変え、
やはりこの言葉はイギリス各所でスローガンとして使われ続けた。


  この「インターバル・オブ・ドーバー」の期間は、
第二次大戦の勃発直後と併せて「イギリスの最も面白い時期」と揶揄されてもいる。



            提督たちの憂鬱  支援SS  〜小休止、そして木の奇跡〜



  小休止の期間中にイギリスが最も力を入れたのは、
本土防空システムの構築、諜報と防諜、植民地の治安維持、そして新兵器の開発。
特に新兵器の開発については、軍が民間の企業や技術者まで含めて広くアイデアを公募したために・・・


  案"だけ"はとにかく大量に出た。


  ドイツ軍の上陸用舟艇を水際で破壊する墳進爆弾「パンジャンドラム」、
強力なドイツ戦車に火の雨を浴びせる「かんしゃく持ちの八連装ビン投射機」、
船体が氷でできており、簡単に再生が可能な究極の不沈空母「ハボクック」。


  ドイツでも超重戦車など奇天烈なアイデアの兵器がいくつか提案されていた事もあってか、
この時期には「机上の兵器開発競争」という別名もある。
「机上の」というのは、ほとんどが企画だけで終わった、という事だ。


  だが、そんな徒労の多い状況の中で、
イギリスの兵器開発史の中に燦然と輝く物が生まれたのである。


  モスキート。


  マーリンエンジンを両翼に一基ずつ搭載、
コクピットには操縦士と航法士が並んで座る並列複座機。

  驚くべき事に機体の殆どが木製となっており、
金属資源を節約できる、木工分野の工場も動員することができる、
レーダーに察知されにくい、空気抵抗が優れると、正に「一木多鳥」な機体。

  物資の供給源である植民地が不安定で、
バトルオブブリテンで工場も爆撃からは逃れられないという戦訓を得、
それでも少しでも高性能な航空機が欲しいイギリス空軍にとって、
これほど都合の良い機体は無かった。

  極めつけに1940年中には初飛行を成功させていたそれは、
速攻で戦力化できる(と目される)というラッキーぶりだった。


  そんな事情があってかモスキートは史実以上の激しいラブコールを受け、
一躍、グレートブリテン島を守る新しい期待の星へと躍り出た。

  500ポンド爆弾を胴体部に4発搭載できる爆撃機型、
対戦車砲を搭載した地上襲撃型、高速性を生かした写真偵察機型、
戦闘機型には多数の小口径機関砲で弾幕を張るタイプと、
少数の大口径機関砲で一撃離脱を狙うタイプの2つが存在した。

  試験飛行でそこそこの性能を発揮したこれらの機体を、
(少々過大に)評価したイギリスはさらに調子に乗ったのか、
爆雷を搭載した対潜哨戒型、魚雷を搭載した雷撃機型まで作り、
しまいにはレーダーを搭載、通信機能を技術の限り強化して、
地上の電探網を補強する電探型というものも製作した。

前述の通り基本的に機体を作るのが用意な上、拡張性もある程度あったがために、
モスキートは日本の倉敷にとっての飛燕のような扱いを受け、
毎日のように愛国意識に燃える若手技師の練習場となった。


  しかしかの機はその二転三転する仕様に(概ね)よく応え、
ハリケーンやスピットファイア等の花形戦闘機には無い汎用性を見せたモスキートは、
後世まで「木の奇跡」として長く語り継がれる事になるのであった・・・


                  〜  F  i  n  〜

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最終更新:2012年01月03日 00:30