89 :ひゅうが:2016/07/10(日) 00:19:12
艦こ○ 神崎島ネタSS――幕間「帝国政府の憂鬱」


――1937(昭和12)年1月9日 午後4時

閣議は、重い沈黙をたゆたわせていた。
紫煙は最盛期ロンドンの「霧」のように閣議室の空気を見たしている。
実際、シャアロック・ホウムズが見つめていたあの霧の主成分がのちにスモッグといわれるものであるから、大した違いはないのだが。

それを示すかのように、大日本帝国政府の中枢である内閣を構成する人々の顔色は一様に悪い。


「陛下は…」

首相 廣田弘毅は重苦しい口を開いた。
当年とって58歳。ひと月後には59になるあたり、政治家として脂の乗り切った時期にあたる。
彼の顔色が悪いのは、つい数日前まで帝国議会で続けられていた見苦しい二大政党の上げ足の取り合いだけが原因ではなかった。

「ことのほかお怒りであられる。」

「何と。」

陸相 寺内寿一大将が驚きの声を上げた。

「陸相もご覧になっただろう。あの惨状だよ…」

「あんなものは…」

口を開こうとして寺内は気付いた。廣田は、怒っている。
彼は、疲れた表情の中で「眼だけで」寺内を睨みつけていた。

帝国議会開会中に海軍省から駆け込んできた武官から文書を手渡されたのは昨日午後1時。
これを受けていったん休会を挟んで閣議決定で新領土編入を行ったのが同日3時だった。
それから万歳三唱に送られて帰る段になり面々は満足して帰った。
しかし、この新島対策のために翌日の参集を強く言いつけ、官邸へ集まった面々を半軟禁状態に置いたのが廣田だった。
それからが彼らの悪夢の時間だった。

彼らは、帝国が滅ぶ様子を映像で見せつけられ続けていたのだ。
途中、何度か海軍将校が往来してはいたが、誰も気にも留めなかった。


「信じられませんかな?」

「特殊撮影では?そういうものがあると聞いたことがあります。」

そう言うと思っていた。と、廣田は一冊の本を取り出す。
なぜか平仮名が多いその本には付箋がしてあり、赤い線が引かれていた。

「…!?」

評伝 廣田弘毅。
そう題された書籍の中ほどには、こう書かれていた。

「ほかならぬ宇垣に懇願し現役にとどめられた寺内は、宇垣内閣を流産に導いたのである。
これは、後年インパール作戦を黙認し…」

「で、出鱈目…」

「まだ言うか!軍部大臣現役武官制を復活させたのは君が強く望んだからだ。
だがそれを利用して政治干渉をするつもりだったとは…
『生まれる前から陸軍に育った私です』との言葉にほだされた相手に対してこの仕打ちか。」

寺内は恐怖と怒りで立ち上がった。
なぜ、まだなしていないことを理由に詰問されねばならないのだ。
いやまて。
なぜ宇垣さん相手にいったことをこの外交官上がりの小男が知っている?

なぜ、一部でささやかれるという内閣倒閣の方法が…

90 :ひゅうが:2016/07/10(日) 00:21:00
「いや…まだ為していないことを理由に問うのは不公平だな。」

すまない。と頭を下げた廣田は二回りも小さくなった。

「もう一度、言おう。陛下は、たいそうお怒りであらせられる。」

はっとなった。
陛下が?

「ご覧になられて、おられたのですか…」

そうだ。と廣田はちらと海相の永野修身をみた。
そうか。報告をいれてきたのは連合艦隊の米内長官。海軍は実戦部隊の指揮官の裁量により…
そうか。侍従長の百武は予備役海軍大将。
先代は肝胆相照らしたといわれる鈴木貫太郎予備役大将。その繋がりか…。

「そうだ。すべて目を通しておられる、とのことだ。」

思わず、寺内は顔を覆った。

「何たることか…」

真実か、真実でないかが問題なのではない。
この時代の日本の軍人にとって、恥という概念はすべてを超越するものだったからである。

「このままいけば、君は1月21日に『腹切り問答』といわれる議員との挑発合戦に激怒。
内閣を崩壊に追い込み、閣内不一致で内閣は総辞職する。
そればかりではない。『あの』近衛公が政権を担うことになるが…」

見たまえ。と廣田はもう一部の書籍を手渡した。
その題のは、「ゾルゲ事件」の文字。
ご丁寧に、複写版らしいものが他の面々にも配られる。
いや待て。なんだあの白い紙は?
いや、今はこの付箋の先を…


「わかっただろう。近衛公のブレエントラストはアカい連中の巣窟だ。
彼らが主導する新体制運動は…考えたくもないが、わが帝国を赤く染める手段の可能性が高い。
そして、今年7月…帝国はシナとの泥沼の戦争状態に突入する。」

30分後、肩をふるわせる閣内の人々の顔にはぬぐい難い恐怖が刻印されていた。
内閣書記官長の藤沼庄平などは「そんな…そんなバカな…」とうわごとを繰り返している。
彼は、くだんの昭和研究会の一員だった。

91 :ひゅうが:2016/07/10(日) 00:21:31
「けさ早く、私は極秘のお召しにより参内した。畏れ多くも陛下は…」

全員が姿勢を正した。

「『このようにしてはならぬ』との聖慮をお示しになられた。」

「なんと。」

のちに昭和という元号を冠されることになる当代の帝は、めったにこのような意見を出すようなことはない。
田中義一が死んでからは特にそうなっている。
ただし、昨年の2.26事件のときは別だった。
かの方は烈火の如く怒り、自ら近衛師団を率いて鎮定するとまで述べられたのだった。

「すなわち、我々に安易な閣内不一致による倒閣は許されぬ。
…くだんの島の首長が親書を送ってよこし、帝都へ来ようというところではな。」

「お待ちを!得体のしれぬ…とは言いにくいまでも、外務省を通さずにこのようなことをしては…」

有田八郎外相が目を剥いて、同じ外交官出身の廣田へ詰め寄る。
だが廣田は、徹夜明け特有の据わった目で彼をはねつける。

「拙速が必要なのだ。先の記者発表後、米国大使が深刻な懸念を伝えてきた。
領有権について問題化されるやもしれぬ。」

「閣下。それは私も初耳であります。」

永野海相が苦言を述べた。

「君らは、神崎島の海軍艦艇の分析にかかりきりになっていたようだからな。」

少し皮肉交じりに廣田はそう返す。

「アメリカは、我々の発表、すでに数万単位の日本人がいるというやつを信じていないようだ。
島の『中立化』を要求してきた。どうやらわが海軍がいち早く占拠したと思っているようだな。まぁそうなるだろう。」

「と、いうことは、現地の酋長の来朝をもって領土を確定すると?」

「彼らを南方や樺太の土人たちと一緒にするな内相。列強が持つような超弩級戦艦を複数保有し、地図が正しいなら北海道に匹敵する面積の本島と合計すると四国に匹敵する付属諸島を有する強力な武装集団なのだ。」

永野海相にたしなめられた瀬恵之輔内務大臣は素直に「考え違いをしておりました」と謝った。
党派色の薄い内務官僚出身であるため、彼は昨今の革新官僚のようにガツガツとはしていないのだった。

「…ほかならぬ、陛下が親書の通り会いたいと前向きなのだ。」

つまり、陛下自らが、会うべき対象として認識したということである。
一昨年来日した満州帝国の皇帝溥儀のときのように、彼を劣位において陛下の苦言をいただくようなことは御免ということか。

「神崎島本土へ赴く米内長官からの詳細な報告を待ってからだが、間違っても早まった行動はとってはならぬ。
…たとえば、血気に逸る部隊をひきつれての『進駐』。あるいは先行探査名目での勝手な測量などは。
各自、そのように願いたい。
これは首相としての『お願い』だけではない。…左様心得られたい。」


念を押した廣田首相の懸念はあたっていた。
すでに港湾には「新領土開拓」を名目に神崎島へ向かおうとする山師や、つられた陸軍の一部部隊、さらには海軍陸戦隊や、境界画定に執念を燃やす内務省の人々が集まり始めていたのだから。

92 :ひゅうが:2016/07/10(日) 00:23:16
【あとがき】――要は、無主地なのだから先に占拠してしまおうという人たちがけっこういたというお話でした。

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最終更新:2023年11月05日 16:44