389. フィンランドスキー(無修○スキー) 2011/08/02(火) 10:11:51
スウェーデン、それは北欧はスカンディナヴィア半島に位置する無修せi・・・ゲフン!ゲフン!
コホン、スウェーデン、それは北欧はスカンディナヴィア半島に位置する西はノルウェー、東はフィンランドに挟まれた
鬱世界でも、基本的に武装中立政策を取っている国家である。
史実でのスウェーデンは、米国のP&W社のツインワスプ・エンジンをコピーして、半木製の戦闘機FSSV  J22を
作り上げたのだが、この鬱世界では早くから日本との技術交流もあり、そこから手に入れた<金星>空冷エンジンをもって
史実より先行すること数年、SAAB J9を開発することに成功していた。
このJ9なのだが史実のJ22にやや劣る所はあるものの、1930年台の機体としては非常に完成度が高く、それは冬戦争
におけるフィンランド空軍の活躍により十二分に証明された。
そんなJ9を擁するスウェーデンであるが、もちろん後継機の開発に余念は無く、それは冬戦争やカナリア沖海戦で
航空機による制空権の重要性が明らかになるにつれ、さらに大きく加速されていった。
ここで政府から戦闘機の開発を委託されたのは、スウェーデンが世界に誇るHENTAI航空機メーカーSAAB社であった。
そしてこの鬱世界でも、SAABはその名に恥じることなく双胴推進式という世界に類を見ないJ21の開発に乗り出した。
しかし、いくらスウェーデンが先進的とは言っても、この奇抜な形状の戦闘機に国家の安全をゆだねるほど寛容ではなく
その予備としての戦闘機開発計画が立ち上がったのであった。
だが、スウェーデンも戦闘機を何機も同時に開発できるほどの余裕があるわけではない。先にも述べたように、戦争における
航空機の重要性は軍上層部等には十分理解されはしていたが、まだまだ政府一般に浸透しているという訳ではないのだ。
つまるところ開発自体にかける予算の問題であった。
そこで予算も時間もあまりない当時のスウェーデン空軍は、他国の機体をライセンス生産することにしたのである。
しかし欧米各国にその旨を打診をしてみたものの、良い回答を得ることはできなかった。スウェーデンは中立という政策上
特定の国家とことさら接近することは避けていたのだが、ここに来て背に腹は帰られなかった。
結局スウェーデンは再び日本に接近、冬戦争やカナリア沖海戦で勇名を馳せた九六式のライセンス生産を申し込んだのである。
ところが、例によって日本からの回答はスウェーデンの予想の斜め上を行くものであった。

舞台は変わって、真の変態達が国家を指導する鬱日本。
その一翼を担う三菱財閥、維新の志士『坂本竜馬』が立ち上げた財閥であり、一部の口の悪い逆行者には日本のツィマッドとも
呼ばれている。そして、この三菱と倉崎で零式戦闘機を開発した際、その予備計画が存在したことは一部の航空マニアを除いて
あまり知られていない。
その機体の名を『試製零式艦上戦闘機・乙型』、通称『零式・乙型』という。
この乙型であるが、その設計コンセプトを現状の零式(烈風)とは完全に異にしている。
それは烈風が機体サイズを大型化させ、爆弾搭載量の増加および航続距離の延長による艦上戦闘機としての汎用性を高めた
こととは逆に、軽量小型で空力的デザインを重視した機体に高出力のエンジンを搭載することによって、純粋に戦闘機としての
性能を追求したのである。
そして三菱は日本政府を通して、この零式・乙型をスウェーデンにライセンス生産しないかと提案してきたのであった。
390. フィンランドスキー(無修○スキー) 2011/08/02(火) 10:12:55
もちろん、スウェーデン側は最初から難色を示した。彼らが欲しいのは海のものとも山のものとを知れない新型機などではなく
実績のある冒険しなくてよい機体であったのだから。
しかし、三菱も簡単には引き下らなかった。既に軍により機体の評価が終了しており、性能・信頼性共に問題のないこと
そして、あらゆる性能において九六式を凌駕していること等を前面に押し出し、何なら機体の提供と技術的な支援をするから
そちらで確認してみてはどうかという提案までも出して来た。
スウェーデンも三菱がそこまで推すならばと、もしもの場合に九六式のライセンス生産を許可してくれるという条件の元、
零式・乙型の評価を実施することになったのである。時は1941年の春も明けようという頃のことである。

果して、スウェーデンに到着した零式・乙型をみたスウェーデンの技師達の反応は、当初芳しくなかったといわれている。
何故なら、零式・乙型の外観はスウェーデンの言葉で言うなら『トゥンナン』、まさしく樽であったのだ。
この当時、1940年代初頭の欧州における単座戦闘機デザインの主流といえば、スマートで細長い胴体に大きな主翼、そして
それと対比するような小さな尾翼というものであった。
対してこの零式・乙型なのだが、胴体はその第一印象そのままな太い円筒型であり、主翼から尾翼にかけては多少絞り込んであるものの
尾翼自体がこれまたかなり大きくなっていたため、やはり全体的な印象自体は変わらず、言ってしまえば小太りでズングリムックリな
戦闘機というのがスウェーデンの人々の総じた感想であった。

この時スウェーデンに持ち込まれた零式・乙型3機には、金星五五型エンジン(九六式二二型に搭載されたもの)が搭載されていた。
このうち1機は分解解析にまわされ、そしてうち1機については、スウェーデンが金星エンジンを独自に改修して作り上げた
1500馬力級のエンジンに換装されることになった。
こうして、日瑞両方のエンジンを搭載した機体はスウェーデン軍上層部の高官立会いの元、公開実験と相成ったのであった。

そして実験が開始されるや否や、いきなり零式・乙型はスウェーデン軍関係者達の度肝を抜いた。
まず日本製エンジン搭載機が離陸直後、いくらも飛ばないうちに翼端からヴェイパーを発したのである。
当時のスウェーデン軍、たとえ空軍の人間でさえこんな場面に遭遇したことは無かった。
これは零式・乙型の抜群な上昇力がなせる業だった。
この他に類を見ない上昇力で一気に高度を上げた零式・乙型は、高度5000mであっさりと600km/h越えを果たした。
同じエンジンを積んだ九六式よりも20km/h以上の速度を叩き出したのである。
この後、急降下急上昇や旋回等の基本的な機動確認を実施したのだが、下から見ていても速度が殆ど落ちることが無く
その傑出した運動性能を軍高官に見せつけることに成功したのであった。
続いて行われた、スウェーデン製エンジンを搭載した機体でも、最大速度は575km/hを記録し、スウェーデン軍上層部のみならず
これに携わった技師達を大いに満足させる結果を残すことになった。
391. フィンランドスキー(無修○スキー) 2011/08/02(火) 10:13:31
しかし、スウェーデン側が気になったのは何故この優秀な機体が日本軍で採用されなかったかということである。
今回、本機に関わったスウェーデンの技師に確認してみても、機体自体には特に問題となるような欠点は見当たらないとの答えだった。
そこで、彼らは事実を聞き出すのは無理だろうとは思ったが、この公開実験の後に催されたパーティーで、零式・乙型と共に
スウェーデンに来ていた、本機の開発チームのリーダーという男にそれとなく訊ねてみた。答えはあっさり、しかも直球で返ってきた。
「航続距離が足りなかった、というのは後付の建て前で、結局は政治的な理由ですよ。」
そこにいたスウェーデン側の通訳の証言によると、彼はやや憮然とした表情と声で、ゆっくり語りだしたと記録されている。
曰く、次期主力機については乙型が先に完成していたこと。
曰く、完成後に要求仕様として2000km以上の航続距離が追加されたこと。
曰く、その要求仕様追加の直後にあちらが完成したこと。
曰く、航続距離以外は、最高速度も格闘性能も乙型が上であること。
曰く、所詮こちらはMS−06R−2・・・いやYMS−15なのさ、?とのこと。
ここら辺りまで喋った後、彼はさすがに内情を明かしすぎたかと口を閉ざしかけたが、それでも最後に言葉を付け足した。
「まぁ、あの娘は航続距離こそ1500km程度ですが、それ以外では間違いなく最高の機体ですよ。
  上昇力や短い滑走距離での離着陸能力を使えば・・・そうですね、例えばこの国は敵に先制攻撃を受ける可能性が有るんでしょう?
  だったら、戦闘機を空港や基地だけじゃなくトンネルみたいなものを国中に作ってそこに分散して配備しておくんですよ。
  別に広い格納庫は必要ありません。あの娘は主翼を折り畳めますから、どこにでも御行儀良く収まってくれますよ。
  整備製だっていいから夜鳴きなんかしません。  えっ?そこからどうやって離陸するのかって?
  そうですね、空戦限定の装備なら150m、安全を見て200m位の障害物のない直線道路があればいいのです。
  普通の道路ですよ、舗装されていれば尚言うことはありませんね。
  なければ作ってしまえばいい。空港作るよりは安上がりでしょう。
  まぁスウェーデンにとって、あの娘は十分役に立つと思いますよ。かわいがってやってください。」
付け足したというには、やけに具体的で長く、最後は呂律も怪しくなっていたが、側で聞いていたスウェーデン軍高官達はとても
冷静ではいられなかった。今しがた彼の口から出た内容は、まさにスウェーデンが目指すべき防衛ドクトリンであったのだから。
彼らはパーティーでの酔いも覚め、今しがた発せられた提案の内容と今後の対応について話し合った。
もう気付かれたと思うが"彼"は逆行者であった。

その月の内に零式・乙型の採用は決定された。
エンジンは持ち込まれた金星エンジンと三菱の意見を参考に、出力を1600馬力台にまで挙げることに成功したスウェーデン製金星。
武装として13.2mm機銃×4門を装備し250kg爆弾を搭載可能で、最高速度598km/hと文句なしの仕上がりとなった。
機体名称については日本側から問題にしないと言質も取れていたので『FFVS J22』とされ、愛称は最初にこの機体に付いた渾名
そのままに"Tunnan"となった。
史実より1年近く早く、史実のSAAB J29の愛称を奪った形での産声となった。
392. フィンランドスキー(無修○スキー) 2011/08/02(火) 10:14:11
しかし、1941年も暮れに迫った頃、"彼"がスウェーデン空軍高官の執務室へ難しい顔をして尋ねてきた。
そう、彼はJ22量産立ち上げのため自ら希望して帰国していなかったのだが、あのパーティで披露した未来知識により、
何かと政府高官の催しに呼ばれるようになり、その都度スウェーデンの国益に適う発言をしていたので、この高官とも友誼を結ぶことに
成功していたのだ。またその態度や立ち振る舞いも、国家的政治的な建て前などにあまり関心が無く、飛行機第一主義である意味典型的な
技術者然としていた為、スウェーデン側もこと戦闘機に関しては彼の意見を積極的に取り入れるようになっていた。
そんな彼の急な来訪に、製造ラインに何かトラブルがあったかと身構える高官に、彼はゆっくりと首を振り、この数ヶ月の滞在で
だいぶ喋れるようになったスウェーデン語でこう言った。
「J22は、このままではまずい。」
何故と問う高官に、彼はBOBで明らかになった独英戦闘機の情報や、日本の情報部に居る知人経由で入手したという
ソ連軍機の情報とを合わせて説明を始めた。
「まず、武装が13.2mm4門では少々貧弱すぎる。
  これでは、やたらと頑丈なソ連軍攻撃機や欧米の大型爆撃機に致命的な打撃を加えることができない。
  また、独英機はエンジンに過給機を取り付け高高度での性能を向上させる腹積もりらしい。
  J22は現状、低空での格闘戦においては他の追随を許さないが、今後空の戦いはより高い高度に移る可能性がある。
  早急にエンジンの改良が必要となる。」
彼はここまで一気に喋ると、ふと思い出したようにSAAB J21ならとその開発状況を確認してきたが
高官は首を横に振るだけで、彼に具体的な案がないか問いただしてきた。
「武装については、"幸い"ボフォースの20mmがそのまま採用可能だ。
  日本の主力機でも採用しているから、信頼性その他に問題はない。
  できれば4門全て20mmに換装したいが、それだと重くなるから現状では2門が限界だろう。
  だが問題はエンジンだ。」
結果は、お互いの苦虫を噛み潰したような顔を見合わせるだけだった。
さすがに、この時点でのスウェーデンには未だエンジンをゼロから設計するという技術力は無かったのだ。
彼はこれ以上の検討がここでは無理だと理解すると、すぐ踵を返して退出しようとしていた。
その背中に何か当てはあるのかと問う高官に、彼は三菱本社に当たってみると言い残し部屋を後にしたのであった。

明けて1942年、アメリカと日本との関係が怪しくなり始めた頃、日本海軍からボフォース社に40mm機関砲の大量発注が
舞い込んだ。アメリカとの決戦を決意した夢幻会による海軍戦力整備の一環であった。
時を同じくして、彼は再び高官の元を訪れ、挨拶もソコソコに話を切り出した。
「日本からボフォース社に大量の発注があったらしい。結構な額の取引になっているはずだ。
  その料金の一部について過給器付エンジン(九六式六四型のもの)のライセンス生産権を
  交渉の材料にできないか?」
突然のことに驚く高官に、日本の金星エンジン最新モデルには過給器が搭載されており且つ出力も1800馬力台に上がっている。
これをJ22に搭載することができれば、高高度での性能と20mmを4門載せてもお釣りがくる位の出力を手に入れられる事を
力説したのだ。高官は、さすがにそんな事をして問題はないのかと問いただしたのが、彼の回答は明確でまったくブレが無かった。
「エンジン自体の外径も今のJ22のエンジンと変わらないはずだからから、設置には特に大きな設計変更の必要は無い。
  多少トップが重くなってしまうだろうが、機体内には未だ余裕があるから燃料タンクを移動するなり、
  容積を増やすなりすれば十分バランスは取れるだろう。」
そうではないのだがなと苦笑する高官に、乙型いやJ22の発展性を見越した設計と、スウェーデン航空庁国立工場の技術力なら
問題ないと拳を振り上げて断言する彼であった。
393. フィンランドスキー(無修○スキー) 2011/08/02(火) 10:15:00
そう、スウェーデン軍の高官が心配したのは、彼の日本での立場であったのだ。
いくら技術提携をしているからといっても、過給器付きの大出力エンジンというなら、おそらく国の最高機密に位置するものであろう。
多分、日本の最新鋭機にもそのエンジンが使われるに違いないと想像できる。そんな重要な情報を三菱財閥がバックにあるとはいえ、
一個人が他国に流してよいものではないのだ。
しかし、既に彼はこのエンジンによるJ22の強化のことしか頭に無い様子であり、高官の方も短くない彼との付き合いの中で、
彼がこと飛行機のことになると、こうなる人間であることは十分理解できていたので、軍上層部や政府に掛け合ってみるという
回答をだして、その場を締めることにしたのだった。

果して、スウェーデンは2段過給器付の金星五五型エンジンのライセンス生産権を、多数のボフォース40mm機関砲と引き換えに
入手することに成功した。
もちろん、当初は日本側のみならずボフォース社側も大いに難色を示した。しかし、日本側はボフォース40mmを格安で多数入手
できるということもあって、フィンランド等友好国以外の第三国には絶対に輸出しないとの条件付でライセンス生産権に許可を出した。
また、ボフォース社については軍・政府側から料金の一部肩代わりと、今後J22の武装を20mm×4門に更新していくことを
条件として納得させたのであった。
そしてここに、<金星五五型>空冷エンジン2段過給器付を搭載した『FFVS J22−2』が完成したのだった。
1850馬力の新型エンジンは最高速度625km/hを叩き出し、1万メートルを超える高高度においても十分に性能を保った。
また、武装についても20mm機関砲×4門を装備し500kg爆弾の搭載も可能となったことで、史実のエンジン出力に比して
世界最速などという、ただし付きキャッチフレーズを用いる必要など無く、まさに世界トップクラスの戦闘機となったのであった。
スウェーデン軍は先に生産途中だった初期型J22(J22−1と改称された)についても、順次J22−2仕様に換装していき
これらとJ9とあわせることで、空の防衛力に絶対の自信を持つに至ったのである。

そして1942年の北欧の春も終わりを告げようという頃、J22−2の最初の量産機体がロールアウトするのを待たずして、
彼は突然に日本へと帰国していった。

場面は変わって、日米開戦直前の鬱日本夢幻会の会合の場。"彼"が嶋田や辻といった主要メンバーの前に引き出されていた。
彼は右手を高々と上げると、開口一番
「我等の、MMJの為にっ!!」
とのたまった。
思わず体が傾く嶋田を尻目に、辻や牟田口といった面子は同じく右手をやや軽めに挙げると渋く抑えた声で短く返答した。
「「「MMJの為に。」」」
「何をやっているんですか辻さん!今はそんな場合ではないでしょう。」
不屈の精神で復活した嶋田が苦言を呈すも、MMJの面子はどこ吹く風であった。
「いやいや、同志の帰還と功績を称える儀式ですよ。」
「光栄です、会合の皆様方。不詳この山田次郎、MMJと日本の為に頑張って参りました!」
笑顔で頷くMMJのメンバーとは逆に、顔を引きつらせてしまう嶋田であった。
ところで、この山田次郎なる男であるが史実では存在しない・・・いや存在したかもしれないが余りにもありふれた名前なので
実際いたとしても、どの山田次郎さん?と言う所になっていた。取敢えず、多分、有名な山田次郎さんではないのだ。
「ま、まあ、それはともかくスウェーデンの強化はうまくいったようですね。」
何とか気を取り直して嶋田が言葉を搾り出すと、辻もそれに答える。
「ボフォースの機関砲も随分安く手に入りましたし、独逸やソ連への牽制にもなるでしょう。
  スウェーデンとの技術交流もできましたし、いやいや良い仕事をしてくれました。
  本来なら英国相手にアジア辺りの一国くらいと取引にしたかったところですが・・・」
そう、今回の零戦・乙型に伴う一連のやり取りは、実は夢幻会主導で行われた鬱日本の自作自演であったのである。
その目的は辻が述べたとおり、スウェーデンの強化による独逸・ソ連への牽制と、さらなる友好関係を構築するため。
そしてアメリカとの関係が怪しくなってからはスウェーデン製の兵器を安く入手する為の環境作りであった。
394. フィンランドスキー(無修○スキー) 2011/08/02(火) 10:17:01
零戦・乙型は、実際には烈風(隼)の対抗機でもなんでもなく、当初から史実のF8Fを参考に小型の護衛空母でも運用可能な
迎撃専用の戦闘機として開発されていた。エンジンも烈風と同じく栄エンジンを搭載し、小型機に大出力エンジンを搭載した場合の
性能試験や練習機、海軍ではアグレッサー機としてなどに利用する予定であったのだ。
まぁ、実際の所は
「倉崎がムスタングなら、ウチ(三菱)はベア・キャットで逝くずぇっ!「「イェ〜〜ッッ!!」」」
といった技術陣のノリと勢いなのであるが・・・

−閑話休題−

これがスウェーデンに提供されたのは、北欧における独逸の侵攻が史実より優勢であることや、冬戦争で国力の落ちたフィンランドを
援助できる勢力の構築といった目的があった。
そこで、史実のスウェーデンが苦しい立場ながら中立を貫いたことを知る夢幻会は、零戦・乙型がレシプロ機としてもう殆ど発展性が
無いことや、高い技術力を誇るスウェーデンからのフィードバックなどを期待して、表向きには三菱財閥からのライセンス生産の
売り込みとして、軍事的梃入れを謀ったのである。
しかし、さすがに栄エンジンを渡す訳にはいかなかったので、金星五五型エンジンに載せ替えて尾翼のドルサーフィンなどを撤去し
日本軍視点でそれなりの性能に抑えた形でスウェーデンに提供したのだ。
その後、アメリカとの開戦が避けられなくなると、海軍の対空戦力整備の為に多数のボフォース製機関砲等が必要となったので
これまた恩着せがましく、2段過給器付の金星エンジンを取引材料にしたのである。
もっとも過給器については、その技術が独逸に流れること、具体的にはFw190の欠点であった空冷エンジンの技術的ブレイクスルーに
なることを恐れた為に、輸出禁止という条件をつけたのだ。
腹黒紳士も真っ青な今回の所業は、やはり我等がMMJが音頭を取って完遂したものだった。

「さて、山田君。今回の君の功績には賞賛に値するのだが、他に何か報告すべきことはないかね?」
疲れ切った様子の嶋田を尻目に、伏見宮が問いかけた。
「今回のJ22によってスウェーデンの航空兵器開発に帝国が十二分に影響力を持つに至ったと自負しております。
  今後のJ22の強化においてもある程度こちらがコントロールできますし、そこから利益を得ることも十分可能でしょう。
  他には、SAAB社で開発中のJ21についてもハインケル博士の三輪式降着装置や射出式脱出装置等のノウハウを提供すれば
  さらなるイニシアチブが握れるのではと愚考いたします。さらに付け加えれば・・・」
「つけ加えると何だね?」
「ハッ、今回の滞在でスウェーデン軍上層部だけでなく、かの国の上流階級の方々に既知を得ることができました。
  このまま両国の友好を維持していけば、わが国の女子高大に北欧系の美少女を在校させることも夢ではないかと!」
もう視界すら暗くなってきた嶋田を無視して、近衛が山田に衝撃の事実を伝えた。
「実は君にスウェーデン王国から招待状が届いておる。差出人は国王グスタフ?世陛下だ。
  何でも君に直に勲章を授けたいそうなのだが・・・ナニヲしたノダね?」
何か最後の方が片言になっており、さすがのMMJ構成員である山田も冷や汗をかき始めた。
「えっと・・・さすがに国王陛下や王族の方々にお会いする機会はなかったのですが・・・」
シドロモドロになりかける山田に、辻が助け舟を出した。
「落ち着いてください山田君。どうもスウェーデン側は、あなたが強制的に帰国させられたと思っているようなのです。」
「は?自分がですか??・・・」
395. フィンランドスキー(無修○スキー) 2011/08/02(火) 10:17:51
そう、どこでどう間違えたのか、今回の山田の突然な帰国を、航空庁国立工場で山田と共にJ22の生産に携わった技術者仲間や、
彼と親しかった空軍高官達は、過給器付エンジンの情報をもらした件での更迭であると誤解したのだ。
これは、既に女性の職場進出が少ないながらも進んでおり、結構キレイどころの多かった国立工場の職員相手に山田が今回の帰国を
ちょっと悲劇的(厨二的)にエエかっこしたのがそもそもの発端であったが、本人はその事実をすっぱり忘れていた。
まぁ、とにかく山田が更迭されたいう噂は人口の少ないスウェーデンではナパーム弾の炎のごとく広まった。
スウェーデンは古くから人道主義に重きを置いた国家である。
そうでなくとも、山田がスウェーデンにもたらした功績は大きく、ましてや友誼を結んだ人物を見殺しにするほどスウェーデンの
人々は無常ではなかった。彼らは政府関係筋に彼の助命を求める運動を起こしていったのである。
そして、その声は時の国王、国王グスタフ?世を動かすに至ったのであった。

「とにかく、国家元首のお招きを断る訳にもいくまい。
  スウェーデン国王から直々に勲章を頂くというのも両国間の関係に悪くは無いだろう。
  しかし、全てはコチラを片付けてからだ。」
近衛の言葉に、それまでのC調な雰囲気がガラリと変わり一同の間に緊張が走る。
「それでは開戦は直ぐと・・・」
山田の顔にも心なしか緊張の色が見て取れた。
ここで、ようやく精神的に復活を遂げた嶋田が首相らしい言葉をかけた。
「詳細は明かせませんがその通りです。
  山田君は三菱に戻り、スウェーデンで得た技術のフィードバックと
  引き続き、航空機の開発をお願いします。」
山田は声を出して返事をすることも無く、ただ唾を飲み込んで頷くしか余裕が無かった。
「さて皆さん、我々に残された時間は余りありません。
  各々の義務と勤めを果たしてください。
  全てはその後ということになります。」
嶋田のこの言葉を締めに、日本は建国以来最大の戦争へと突入することとなったのである。
396. フィンランドスキー(無修○スキー) 2011/08/02(火) 10:18:42
ところで件のJ22であるが、高性能で価格も烈風ほど高価ではなく、小型の護衛空母でも運用可能であることから、結構な数が
逆輸入され物資輸送等の護衛空母の主力機として利用された。もちろん日本では栄エンジンに換装した上である。
ただ当然のことながら、その機体形状というか遠目に見えるシルエットがアメリカ軍機に酷似しており、敵機と誤認されることが
少なくなく、時には味方から銃撃されることさえあったとされている。この問題に対しての対策がまた問題であった。

「私にいい考えがあるっ!機体を識別しやすいように"特徴的"なペイントを施せばいいのだっ!!」

上記の発言を誰がやらかしたのか、残念ながら記録には残されてはいない。
そう、確かに史実のプライベート・ライアンな作戦でもP−51に、識別用のインヴェイジョンストライプという縞模様を描いたことは
有名である。しかし、この世界は鬱世界、この機体を運用するのは鬱日本、そしてそれを指導するのは真の変態達である。
結果として、鬱日本で運用されるJ22には常識人なら目を背けるか寝込んでしまうような痛い塗装が施されるようになった。
その痛っぷりときたら原色蛍光色の使用はデフォであり、擬人化した動物や萌化した戦国武将を筆頭に、もうこれでもかというくらい
HENTAIな前衛アート群であった。そう、当時の護衛空母の甲板は、まさに史実の晴海駐車場を半世紀先取りしたものだったのである。
これには、かの第7飛行集団第3飛行戦隊第2中隊の『社長』さえも、「海軍さんも、中々やるじゃないか」と感想を寄せている。
そのエスカレートしたペイントは、ノーズや胴体部はいうに及ばず主翼や特徴的な大きな尾翼、時には着陸輪のホイールにまでも及び
同じ塗装の機体が3機と存在しないとまで言われたという。そしてその魔の手が日の丸の国籍マークにさえも及ぶようになるにつれ、
さすがに一部の良識的な人々からは苦言が出されるようになった。幾らなんで国籍分からなきゃまずいだろうと。
しかし、このようなHENTAIアートを軍の戦闘機に施すような国家は他には存在せず、任務自体も商船護衛などいった準軍事的な運用
であったため、国際的にもそれほど大きな問題にはならなかったとされている。

ついでにこの機体アートに触発され、若かりし頃の夢再びと、どっかのチョビ髭が匿名で機体に自身の作品を描こうとしたのだが
現場のパイロット達にあまりに不評で、あっさり却下されたという話が残っている。

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最終更新:2012年01月03日 01:05