220 :yukikaze:2011/12/06(火) 21:56:53
ロングが弾劾されても戦争続くかどうかちと考察。
ちなみに→136の設定を利用しています。

1943年3月13日。
この日、アメリカ合衆国大統領ヒューイ・ロングは、合衆国史上初めて
『弾劾裁判により罷免された大統領』という汚名を残して、ホワイトハウスより
叩き出された。
前年の大津波により東海岸が壊滅したことで、合衆国民の間では「ジャップと
戦争するよりも東海岸を救え」という声が強かったのだが、アメリカ軍の連戦連敗
の報に、ますます厭戦気分が強くなっていった。
政治的に追い詰められていたロングは、起死回生の手段として、日本本土に対する
化学兵器攻撃を行ったのだが、大部分は阻止され彼の目論見は失敗。
それどころか、日本の更なる激昂と、同攻撃によって犠牲になった捕虜の怒りを買うことになり
「だから反対したのだ」と、陸軍参謀総長が吐き捨てる結果になったのだった。

こうしたロングの醜態に、議会の議員たちは、政党の区別なく、彼を見限った。
彼らにしてみれば、ロングの愚行にこれ以上付き合うのはまっぴらごめんであり、
さっさと日本との戦争にけりをつけて、国土の復興に勤しんだ方が重要であった。
第一、戦争の原因であった中国での発砲事件が、彼らの自作自演であると暴露された以上、
議員たちからすれば、自分たちを騙した連中をわざわざ助けてやる必然性はどこにもなかった。

かくしてアメリカはロングを切り捨てて、この不毛な戦争を終わらせようとした。
だが、彼らは一つ重要なファクターを忘れていた。
彼らのこうした考えは、全て彼らの都合によるものであり、そしてそれを日本が
順守する義理も義務もないという事に。(続く)

225yukikaze 2011/12/06(火) 22:17:56
前述したように、ロングの化学兵器攻撃は日本を激昂させた。
彼らはこれまで「戦争は軍人がやるべきものであり、民間人を極力巻き込むべきではない」
という思想の元で戦っていた。無差別爆撃や無制限潜水艦作戦を行わなかったのがその例である。
彼らはそれを対外的には「武士道」と説明し、諸外国でも評価されてもいたのだが、
夢幻会の本音は「手当たり次第にぶっ壊したら、戦争終わった後で取立てなんてできないし、
無用な恨みを買うだけだろうが」という、崇高な理念など欠片もない打算的なものだったのだが。

だが、アメリカのこの掟破りな攻撃は、彼らが「外道」であると強調するのに十分であった。
彼らの怒りがどれほど凄まじかったと言えば、日本本土から後退するアメリカ艦隊に対して、
当時アラスカ攻撃をしていた第二艦隊が、対地攻撃を第三艦隊に任せて、ほぼ全速力で
突撃を開始。発見するや否や、ほぼ全力の航空攻撃を繰り出し、更には護衛部隊までもを
追撃部隊として突撃させ、それこそ1鑑残らず全滅させた。
この時、臨時砲戦部隊を指揮していた西村祥治少将は、日頃の温厚さをかなぐり捨てて
「全艦、弾がなくなるその瞬間まで、怒りを込めて奴らに撃ちまくれ」と命令したほどであった。

そしてアメリカは、日本のこうした怒りを知ってはいたものの、理解まではしていなかった。
彼らは、元凶であるロングさえ排除できれば日本の怒りは抑えられると判断していた。
例え民衆が激昂しようとも、国力差を理解している日本の首脳部は理性的な判断を示すであろうと。

彼らのこうした思いは、致命的な間違いを引き起こすことになる。(もう少し続く)

226 :yukikaze:2011/12/06(火) 22:47:51
1943年3月15日。
副大統領より昇格したガーナー大統領は、日本に対して停戦を訴える演説を行った。
タイミングとしてはそう悪いものではなかった。だが、彼はここで一つ間違いを犯した。
仮にこの停戦演説で、言い訳も何もせずに心からの謝罪をしていれば、また反応は違っていた
かもしれない。
しかしながら、ガーナーが重要視していたのは、日本の反応よりも、これまでほとんど負けたことがない
アメリカ国民に対して、いかに不利な情勢での停戦を受け入れさせるかという内政面での問題であった。
そうであるが故に、ガーナーの演説は、「アメリカはまだ戦う力は残しているものの、この戦争はロングが
引き起こしたことであり、そしてロングの愚行にアメリカ国民が付き合う必要性はどこにもない」という、
全ての責任をロングに押し付け、アメリカは日本に停戦をしてやったとみなされるような代物になった。

国内向けには満点と言える中身ではあった。だが、対外的に見た場合には最悪であった。
大の日本嫌いで知られていたヒトラーですら「仮に余が日本の指導者であったのなら、
それこそ国を灰にしてでも戦争を継続するわ」と、側近に呆れ果てて告げたほどであり
何より、日本国民はこの傲慢ともいえる演説に、「停戦だと? ふざけるな!! 
戦う力が残されているというのならば、徹底的に叩き潰してやるわ」という声一色であった。

そして日本政府は、このアメリカ合衆国の声明に対し、こう返答することになる。

「ロング大統領を選んだのは誰か? アメリカ国民である。 ロング大統領の戦争を支持したのは誰か?
 それもアメリカ国民である。にも拘らず、ロングを選んだ過去は忘れ、自分たちはロングの被害者であるという。
 世間ではこれを恥知らずであるというのだが、アメリカではそうではないらしい。
 だが、我々はアメリカ国民に対して償いの機会を与えよう。以下、述べる条件を順守するというのならば
 停戦を受け入れる」

そして日本が出した条件は、彼らの怒りを示すかのように厳しいものであった。
「ロングをはじめとする戦争指導者の処罰」を皮切りに、「アメリカ軍の軍備制限」
「戦争を推進した財閥やハースト系新聞の解体」「太平洋の非武装化」
等を要求として掲げ、更にそれらが成し得るまで、列強による査察団の常駐を
義務付けたのである。(後、1回続く)


236 :yukikaze:2011/12/06(火) 23:09:25
この日本政府の声明は、アメリカ国民に冷や水を浴びせるものであった。
彼らにしてみれば、元々戦争には乗り気ではなかったという観点から、
「ロングの馬鹿の行動をこちらで止めてやったんだ」という意識が強く、
日本側のこうした反応は、「こちらが譲歩してやっているのに、何を
調子に乗っていやがるんだ」という不快さを抱かせるものであった。

そしてこうした世論の動きを助長させたのが、名指しで批判された
財界とハースト系新聞であった。
彼らは口々に「道義的責任を盾にとって嵩に着る日本」というネガティブ
キャンペーンを大々的に巻き起こし、停戦を撤回するように訴えた。
そして合衆国政府も、先の日本の回答を不快に思ったことから、こうした世論に乗る形で
「道義的責任を盾にとっての無法な要求は受け入れられない。平和を望むなら無条件で停戦を受け入れよ」
という宣言を出すことになる。
アメリカとしては「平和を愛するアメリカ」と「強欲な日本」というイメージを打ち出すことによって
国際的同情を獲得し、日本に対する圧力にしようと考えていたのである。

だが、アメリカの目論見はまるで役に立たなかった。
日本政府は、先の宣言に合わせる形で、英独伊仏に対して「我が国は貴国らと関係改善をする用意がある。
貴国らが、海軍力をまるで失ったアメリカ東海岸に攻め寄せ、大津波の被害を補填しようと
我が国は一切それを邪魔するつもりはない」と、秘密裏に宣言。
更に、これらの国の駐在武官たちを招いて、3式弾道弾と核実験を見学させ、「日本はアメリカ本土奥深くまで叩ける
槍を十分に確保している」ことを見せつけたのであった。

未だ潜在的な実力はあるが、回復するまでに多大な時間を要するであろうアメリカと、
強大な牙を有している日本。
国力に全くの余裕がない欧州各国がどちらかを選ぶかは自明の理であった。
彼らは明日のパンよりも、今日のパンこそ欲していたのだ。

世界各国が「アメリカは道義的責任感をまるで有していない」という批判の演説を
出す中で、日本が最初のーそしてこれから4ヶ月ほど続く攻撃が開始されたのは
1943年4月15日、デトロイトに叩き込まれた三式弾道弾の発射によるものであった。

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最終更新:2012年01月05日 16:17