81. 名無し三流 2011/04/17(日) 13:25:42
  SSって書けない時は全然書けないん物なんですね。
とりあえず、前回予告したSSまでの繋ぎとしてソビエトロシアが誇る"例のアレ"のSSを。



***



  人と犬との主従関係は古くから育まれてきた。
人は犬に狩猟の補助、事件の捜査、家族の一員などの様々な役割を与え自らの社会に組み込み、
また並行して軍隊とも深い繋がりを持つようになっていた。そして20世紀のソビエト連邦。
かの国で、犬にまたひとつ新たな役割が与えられた。


  "対戦車犬"。"スイサイド・ドッグ""自爆犬"という俗称でも知られるそれは、
爆薬を背負った犬を敵戦車の下に潜りこませ、そこで爆薬を起爆させる事で敵戦車を破壊する、
というもので、これが当時の赤軍内部では有力な攻撃手段として実際に使われたのである。



                提督たちの憂鬱  支援SS  〜対戦車犬にまつわるある逸話〜



  最初に対戦車犬による攻撃が始まったのは1942年。独ソ開戦の後になる。
実戦への投入に遅れが出たのは、当時の赤軍にいわゆる"冬戦争ショック"の影響で開発された
新型兵器があったこと、そしてソ連上層部がドイツ軍の能力を軽視していたことが原因として挙げられている。
何にせよドイツ軍をなかなか撃退できず所持戦力を磨り減らしていた赤軍は、
企画止まりとなっていた"対戦車犬"計画を"安上がりだから"という理由で採用した。


  そして、記録されている中で初めて対戦車犬の攻撃を受けた部隊は、
すぐにその意図を見抜いて車載機銃などで銃撃したが、不慣れな攻撃への戸惑いから、
うまく迎撃する事ができず3台のトラックを破壊されてしまったという。

  以後対戦車犬に遭遇した部隊はエンジン音で嚇かして追い払おうとしたり、
中には近隣を飛行していたスツーカに急降下と超低空飛行を要請したり、
果ては戦車へ火炎放射器を搭載する事が真剣に検討されたが、
1943年に入ると「食べ物(肉など)を放り投げる」という単純極まりない対処法が確立された事で
(この対処法はロンメルの考案によるものだとされているが、一切証言は無く単なる噂とされている)、
その戦果は急速に減少。赤軍側でも対戦車犬の扱いが難しいという苦情が上がり始めた事によって、
とうとう廃止が決定された。ソ連の対戦車犬はたったの一年ほどでその役目を終えたのである。
82. 名無し三流 2011/04/17(日) 13:26:18


  そんな対戦車犬であるが、このような逸話が残っている。



  ある日の深夜、あるドイツ軍部隊の陣地で数十匹という犬の吠える声が近づいてくるのが聞こえ、
見張り番は対戦車犬の夜襲ではないかと慌てて警報を発し、寝ていた兵を叩き起こすと
サーチライトを鳴き声のする方角へ向けたが、そこにいた犬の大群は一般的な対戦車犬のように
背中に爆薬を背負ってはおらず、また総じて痩せていたが特に変わった所は無かったので皆不思議がった。

  だが、誰かが犬のうちの1匹に封筒が結わえ付けられているのを見つけ、
それを恐る恐る開けて除いてみると、中には何枚かの便箋が入っていた。
便箋にはロシア語で文章が書かれていたので、ロシア語の分かる士官に翻訳してもらった所、
それを書いたのが赤軍の対戦車犬の飼育係であると告白する所から始まり、
今までごく普通の伍長だった自分が突然、上から沢山の犬の世話を頼まれた事への戸惑い、
犬用の餌が僅かしか渡されない事と教えられた餌の渡し方が『燃料の臭いを染み込ませ、
装甲車両の下に隠し犬に自力で探させる』という物だった事への疑問、
世話をしていた犬達が爆薬を背負い敵戦車へ突撃する"対戦車犬"だった事を知った時の衝撃、
それでも祖国のためと思い命令通り犬達を世話していたのだが、己の運命も知らず懸命に、
愚直に戦車の下へと潜り込む犬にだんだんと情が移ってきてしまい、
ついに彼らを自殺と同様の攻撃へ向かわせる事への罪悪感に耐えられなくなって、
犬達を基地から脱走させようと決意した事、そして最後に、
『私にはドイツ語がさっぱり分からないので仕方なくロシア語で書いたが、
  もしこの手紙の中身をあなた達ドイツ人が理解してくれたのであれば、
  どうかこの可哀想な犬達の面倒を私の代わりに見てやってほしい。そして、
  彼らが二度とこんな残酷な運命を与えられないようにしてほしい』
と締めくくられていたと言う。



  この手紙の内容を真に受けた件のドイツ軍部隊が周囲を捜索した所、
陣地付近の森で赤軍兵士の死体が発見され、またその側でも犬が何匹か盛んに吠えていた。
この後も捜索は続けられ、最終的に部隊は合計101匹の犬を保護する事に成功し、
その犬達と対戦車犬飼育係の手紙が後方へ送られた。
そしてこの話はドイツ国内に一大センセーションを巻き起こしたのである。

  このセンセーションは、宣伝省が手紙をドイツ語に翻訳した本を出版したのが全ての発端である。
この本『伍長の手紙』は発売から一ヶ月でミリオンセラーとなり、人々は口々にこの"美談"を賞賛。
その週のドイツ週間ニュースは『小さな命か!!冷酷な命令か!!無名のソビエト兵士、魂の決断!!!!』
という何処かのワイドショーか週刊誌のようなタイトルでこの話の一部始終が脚色たっぷりに語られ、
ドイツ軍陣地の側で死体で見つかった身元不明の赤軍兵が何時の間にか『飼育係の伍長』という事になったり、
赤軍の"対戦車犬戦術"なるものが如何に残忍・非道であるかという解説が長々とされたりして、
最後にエルヴィン・ロンメルがドイツの軍用犬について解説を挟むという、色々と盛りだくさんの内容となった。

  このニュースが放映された後、にわかに起こったこの『犬ブーム』はさらに勢いを増した。
国防軍には「保護された犬達を是非我が家で引き取りたい」という手紙が殺到し、
「こんな残酷な事をするコミュニストを早く打倒してほしい」と嘆願する署名まで送られてきた。
時間が経つと美談に尾ひれが付き出して、最初は名前すら分からなかった飼育係が何時の間にやら勝手に
『ベルコフ伍長』と命名され、件の赤軍兵の遺体も回収されてすぐにベルリンの墓地に手厚く埋葬された。

  そして、一連の騒動はヒトラー及びナチスの重要人物がこの話を取り上げた演説をした際にピークを迎え、
それ以後はある程度沈静化する事になる。だが、この逸話は『ベルコフ伍長と101匹の犬』として、
静かに、しかし着実にヨーロッパ圏内では割とポピュラーな話へと成長していき、
一部の国では政治的な要素だけ排して教科書に載せる所もあったと言う・・・
83. 名無し三流 2011/04/17(日) 13:27:07

★おまけ  『ベルコフ伍長と101匹の犬』の後日談


  さて、国民感情へのカンフル剤としては大成功とも言える物語『ベルコフ伍長と101匹の犬』だが、
この逸話に関しては様々な議論が起こってきた。その主な主題としては、以下のようなものが挙げられる。


?そもそも、これは本当にあった話なのか?
『犬ブーム』の初期にイギリス、日本などでよく議論された。
だが、これは犬の回収や赤軍兵の遺体を実証するもの(記録及びドイツ側当事者の証言)
に捏造が無い事が分かると一気に下火となった。今この話題を議論しようとすると、
多くの場合は疑り深い人間と見なされる(相手がこの逸話を知っている事が前提だが)。

?『伍長の手紙』『赤軍兵の遺体』は捏造ではないのか?
上記の話題とやや矛盾するかもしれないが、この話が美談と呼ばれる由縁である『伍長の手紙』
についての捏造疑惑はまだ晴れていない。ソ連側に関連する資料が残されていなかった事
(ただし、対戦車犬が配備された部隊に最低1人の飼育係がいたことは認めている)、
当時のドイツの性格からして捏造の可能性は十分にあるという事が大きい。しかし、
それにしてはドイツ軍部隊の反応が自然すぎるとする者もおり、決着は付いていない。

赤軍兵の遺体については、これと『飼育係の伍長』の両者を結びつけるような決定的証拠が全く無く、
こちらについては懐疑派が伍長の手紙よりも多くなっている。
当時の赤軍は『脱走兵は即射殺』の姿勢を取っており、遺体の側頭部に拳銃の弾痕があった事から、
「あの死体は犬の話とは別件、単に脱走した所を追いかけられ射殺されただけ」とする者達と、
「彼は犬のためとはいえ祖国を裏切った自分を責め、側頭部に拳銃を当てて自殺したのである」
とする者達が対立している。こちらも決着は付いていない。

?実は赤軍側が組織的に行ったのではないか?
当時、ドイツ軍は対戦車犬の攻撃に少なからず悩まされていた。
赤軍側がこれを利用し、ハラスメント攻撃として大量の犬をドイツ軍陣地に乱入させたのではないか、
とする説もある。赤軍の物資の困窮もまたよく語られるので、それと結びついて
「ソ連は対戦車犬用の爆薬も十分に用意できなかったから、犬だけ突入させたのだ」と言う者もいる。
また、?の話題と結びつけて「赤軍は何らかの理由で丸腰の(?)犬をドイツ陣地に放ったが、
ドイツ側がこれを手紙や遺体で上手く脚色して美談に昇華させてしまった」説を取る者は少なくない。
だが、当のソ連は対戦車犬を"失敗"と見なして関連資料を全て処分してしまっているので実証はできない。


  と、三つのうち実に二つの主題に決着が付いていない事になるが、
ある批評家はこれを取り上げて「いや、私は思うんだけどね、これ決着なんてもの付けたって全然つまらないよ。
こういうのはみんなでワイワイと大雑把でも良いから中身を話して、『ああ、いい話だなあ』で終わるのが一番良いの。
家の設計をするのでもあるまいし、正確を求めるのは野暮ってもんじゃないですかねぇ?」と新聞に寄稿したのであった・・・



                                        〜fin〜

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最終更新:2011年12月30日 19:28