680 :名無しモドキ:2011/12/10(土) 01:25:59
地味目の話の方が性にあっている気がします。

戦時下の日本点描  -1943年2月25日木曜日-

 この日、久しぶりに知里幸恵(ちり ゆきえ)は勤め先の東京女子大学を昼前に出ると中央線、山手線で銀座に出掛けた。
純粋なアイヌ人である知里幸恵は、女学校3年までを北海道で過ごした後、アイヌ研究家金田一京助教授と運命的な出会い
をして彼の要請で16歳の時に東京の女学校へ単身で転校してきた。北海道では差別がなかたっと言えば嘘になるが、東京で
は奇異の目で見られることが多く差別的な言動を言われ北海道へ帰りたいと涙したこともある。しかし、第1次世界大戦後に
は白系ロシア人などが東京では普通に見られるようになり特別視されることも少なくなっていった。
 ただそのような社会の変化がなくともに知里幸恵は自分の使命を果たしただろう。金田一教授の指導で若干18歳で出版さ
れた「アイヌ神謡集」は史実通りに今に続くアイヌ口伝文学研究の先駆けとなった。

 ただ、史実と異なっていたのは心臓疾患で19歳という若さでなくなった彼女が夢幻会が手を回したおかげで、当時最先端
の外科手術であった心臓弁膜症の手術を受けることができたことである。この手術はまだ症例が極めて少なく手術が成功し
た時は、新聞に「天才アイヌ人少女言語学者、奇跡の生還」などと掲載された。知里幸恵は病気から回復した後に、東京外
国語大学の無給かつ授業料免除の助手兼聴講生となり市井の学者として研究を続けた。この功績で1935年にはアイヌ学会に
発表した幾多の論文が認められて文学博士号を東京外国語大学から贈られた。これをきっかけに、恩師である金田一京助教
授の口利きもあって東京女子大学の講師として有給の職を得た。十年という歳月が過ぎて後に助教授に任命されて名実とも
にアイヌ語とアイヌ文学研究の第一人者となる。

 研究と調査一筋の知里幸恵もふと気がつくと四十路にかかり、アイヌ社会も世の中全体も大きく動いていた。史実では河川
の漁業権や狩猟権を奪われて貧窮したアイヌ人も、憂鬱世界ではいくつかの河川の漁業権や狩猟権、入会地として土地の占有
権が認められて、内地人が炭鉱開発などのためにその土地に進出した場合には補償金が支給された。その過程で漁業権などを
売り払い札幌や旭川などの都市に移り住む者、炭鉱などに優先枠で採用されて働く者が幾何級数的に増加した。
 昔ながらのコタン(集落)に残るものも採集や狩猟ではなく観光業に就く者が多い。知里幸恵はそのようなコタンでアイヌ
丼なるものを見たときは思わず大きな溜息が出た。観光業に就いていない者も法律で保障された十町ばかりの農地で放牧や馬
鈴薯栽培をしている。教育の普及と日本人社会との関わりで若い世代の母語はどんどん日本語となり孫と祖父母の会話が困難
な場合もある。
 アイヌ口伝も文字にしてしまえば何か別のものような感じを受ける。口伝は伝えてきた話者の感情がそのまま伝わり、アイ
ヌ社会を取り巻く環境により話者の表現は変化する生きた文学なのである。今の世代は自分がアイヌ人と思う世代が多い、や
がて「アイヌ系日本人」と思う世代が増えて、三世代もたてば「自分は日本人で、祖先はアイヌ人」と考える者が大半になる
だろう。その時はアイヌ口伝は研究対象でしかない過去の遺物になってしまうのではないかと知里幸恵は思う。
 現在のアイヌ人の人口や社会基盤を考えれば、日本社会の中である程度の庇護政策を甘受し、目に見えぬ疎外感をやり過ご
すことがベターな選択だと頭ではわかっていても、時々知里幸恵はやりきれない悲しみで満たされることがある。

 そんな時は、繁華街に出て気を紛らわすのが知里幸恵のこの頃である。この日は、あてもなく銀座に出たが映画館の「愛染
かつら 総集編 主演-田中絹代・上原謙」の看板が目に入った。幸恵は上原謙のファンである。「研究にかまけて危うく見
逃す所だった。でもなんで田中絹代の方が先なの?」とぶつぶついいながら切符売り場に並ぶ。

 映画館は平日の昼にもかかわらず、八分ばかりの入りだった。水兵の姿が多い。やがて映画が始まる。最初はニュース映画
である。速報性はテレビジョンに負けてはいるがカラーでの大きな映像はやはり迫力がある。

681 :名無しモドキ:2011/12/10(土) 01:33:15
-週間時事ニュース ハワイ沖海戦詳報-
「さる1月23日日本時間マルマル、小沢提督指揮下の我が帝國海軍部隊は・・」でナレーションのもと、総天然色のニュース映画が始まる。
最初に「海軍省提供」のテロップが出る。スクリーンが暗くなる。「アメリカ攻撃編隊接近」「電波探知機はアメリカ攻撃部隊を捉えた」
薄暗い部屋で顔だけが青白く浮かび上がった電探手が何事かを大声で言う。上手く機材を写さず緊張感を持たしたシーンである。「ワルキ
ューレの騎行」を背景に「空母赤城」のテロップにかわると次々発艦する戦闘機が映し出される。 
やがて「アメリカ攻撃部隊来襲」のテロップにかわり、照準機に捕られられたアメリカ軍機が次々火だるまになる画面がこれでもかとば
かりに続く。「アメリカ攻撃部隊撃破」「空の要塞B-17、我が戦闘機隊の猛攻でエンジンが脱落」のテロップ。「我が戦闘機の迎撃をか
いくぐり敵攻撃部隊接近」「勇敢だがその機数は少ない」「可燃物は緊急に海に投下される」のテロップが出ると台車に乗せられた小型
のガソリンタンクらしきものが惜しげもなく海に捨てられる。緊張した機銃手の顔がクローズアップされる。砲身だけが写り射撃が開始
される。火を噴いて墜落するアメリカ軍機が写る。
 音楽は「国軍マーチ(史実の通称『自衛隊マーチ』)」にかわる。「アメリカ機動部隊発見」のテロップが出る。総員帽振れのもと
赤城から発進する攻撃部隊。編隊を解いて降下していく攻撃機に場面にかわる。激しく画面が揺れるが魚雷が命中したのか横腹に水柱を
上げる空母が写る。「航空母艦レキシントン被雷、撃沈」、「航空母艦エンタープライズ爆弾命中、戦闘力喪失」「戦艦ワシントン爆弾
命中」画面は荒いが赤く爆発光をあげる爆弾の命中は色鮮やかだ。

 母艦に帰還する日本軍機、中には損傷した機が機体を傾けながら着艦するシーンもある。あわてて駆け寄る整備員らに笑顔で拳を突き
上げる搭乗員の顔が大写しになる。幸恵の前の方に座っていた水兵の一団が「よう、山崎曹長。」と声をかけて拍手する。赤城の乗組員
かもしれないと幸恵が思っていると、画面は美しい夕日を背景にした連山の豪快な離陸シーンにかわる。凄まじい爆音が映画館に響く。
「天佑!天候回復」「ミッドウェイ基地航空隊、夜間攻撃に発進」「目標アメリカ戦艦部隊」なぜか音楽は皮肉なことに音楽は「雷神」
にかわる。「損傷してハワイに退却するアメリカ機動部隊を追撃」「アメリカ戦艦部隊補足」、双眼鏡を見ていた見張り員が伝声管に叫
ぶシーンが映し出される。暗いスクリーンが戦艦の主砲発砲で明るくなると見慣れた長門型戦艦が浮かび上がる。「命中」「また命中」
「業火に包まれる戦艦マサチューセッツ」、目まぐるしくテロップがかわる。時々暗いスクリーンに閃光が光る。先ほどの水兵の一団が
また歓声をあげる。

 曲は「ダニー・ボーイ」の哀調のある調べにかわる。「夜が明けた。昨夜の仇敵は今は救うべき命である。」救命具や漂流物につかま
ったアメリカ兵が次々と日本艦艇の横を流れていくシーンである。次のシーンは、甲板で不安そうな顔のアメリカ兵の一団が日本海軍の
作業服に着替えてタバコを吸っている。日本軍の士官が近づくと、アメリカ軍士官の号令で一斉に不敵な面構えになり敬礼をする。「彼
らも祖国の為に戦った勇者である。」
 最後は軍機の関係か一部だけだが損傷した戦艦の甲板が写る。その横でいくつかの棺が日の丸にくるまれている。「海ゆかば」のメロ
ディーが流れる。「アメリカ太平洋艦隊はここに壊滅、しかし幾多の若い命が失われた。」「アメリカは不屈の闘志をもって再び挑んで
くるだろう。明日からまた烈火の訓練が始まる。」そのテロップでニュース映画というか戦意高揚短編ドキュメンタリーは終わった。

 本編の「愛染かつら 総集編」と同時上映は、二年ほど前に大ヒットになった「サヨンの鐘」>>5->>6であった。テレビジョンの登場
以来、映画業界も客足を確保するのにあの手この手を使っている。「サヨンの鐘」は実話がもとになっている。高砂族の少女サヨンが
東京の女学校に招かれる。様々な疎外感や悪気のない侮蔑的な発言に傷つきながらもやがて高砂族の文化を誇りとして級友たちに伝える
という物語である。

682 :名無しモドキ:2011/12/10(土) 01:38:47
 サヨンより二十年以上の前に東京の女子校で過ごした幸恵は、その頃の思い出がよみがえり目頭が熱くなった。圧巻は(この
映画のオリジナルだが)主演の李香蘭 が文化祭で高砂族の正装で登場して民族舞踊を踊る場面である。お決まりの悪役教頭
(モデルの元教頭の抗議で映画会社が陳謝する騒動もあった)が「我が伝統ある女子校を見せ物で愚弄するのか」といって舞踊
を止めさせよとする。サヨンは決然として「わたしは見せ物ではありません。そして高砂族の踊りも見せ物ではなく誇りある
文化活動です。」と言い放つ場面である。サヨンは舞踊を級友たちの伴奏で見事に踊った。その後で高砂族としてのサヨン自身
を紹介した自作の「サヨンの歌」を歌う場面がある。所々に高砂族の音曲を取り入れた陽気な歌に目の前に水兵の一団などは
手拍子をしながら見ている。
 やがてサヨンが多摩川で溺れていた小学生を救助しながらも自分は増水した川に流されて若い命を散らせる大団円になった。
客席のあちらこちらから嗚咽が聞こえる。

 映画が終わり明るくなる。大半の客はすでに捌けている。幸恵も涙を拭いていたハンケチをしまって外に出ようとすると、
まだ前の水兵の一団が残っているのに気がついた。一人の水兵が両手で顔を覆って座ったままになり、その周囲を他の水兵が
心配げに立って取り巻いている。
「どうしました。ご気分がお悪いのですか。」幸恵は思わず声をかけた。
「ああ、どうも。ご心配には及びません。こいつは涙もろい奴で、映画に感激してしまって。」上等水兵の記章をつけた水兵が
釈明する。
「わたしもですわ。」
「こいつは高砂族の出で余計にじーんと来ちまいましてね。」泣いている水兵をなだめている水兵が言った。
「わたしもアイヌの出です。お気持ちはよくわかりますわ。」一息ついて幸恵が言う。
「そうですか。わたしらにはわからんこともあるんでしょうな。」さっきの上等水兵がちょっと困惑したように言う。
知里幸恵はふと思いついて、財布から十円札を取り出すと持っていた茶封筒に入れると上等水兵に差し出した。
「不躾ですが、わたくしニュース映画にも感激しました。ささやかですが此で皆さん何か召し上ってくださいな。」
「いや、困ります。民間の方にそのような。」上等水兵はますます困惑する。
「わたしは、アイヌです。一度出したものは受け取って貰わなければアイヌとしてのわたしの沽券に関わります。」幸恵は
封筒を両手で持ったまま上等水兵を睨む。
「それでは、ありがたくいただきます。わたしら田舎者が大半で映画の後で、東京の奴が話しておった竹葉亭の鰻とやらを
食べてみようということになっておりました。ありがたくその足しにさせて頂きます。」知里幸恵の勢いに圧倒された上等
水兵は最敬礼で封筒を受け取った。
「あのー、ひょっとして知里幸恵先生ではありませんか。」一人の水兵が聞いた。
「はい、知里幸恵ですが。」幸恵は気取らず答える。
「いや、やはり先生でしたか。自分は中学校の修身の時間に先生のことを習い感激しました。ここでご本人に会えるとはやは
り東京は、凄いところです。」聞いた水兵は目を輝かせて言った。上等水兵も含めて水兵達が顔を見合わせる。泣いていた高
砂族の水兵も知里幸恵の名を知っているのか顔を上げる。
「知里幸恵って誰ですか。」一番後ろで隠れるようにしていた水兵が聞く。
「知らぬこととはいえ知里先生に失礼なもの言い申し訳ありません。こいつは家の都合で高等小学校にもろくに通っていません
ので許してやってください。後で先生の業績についてはじっくり説明しておきます。」上等水兵はちょっと苛立ったように言う。
「横川上等水兵よろしくお願いします。」そう言われた水兵は、少し笑いながら答える。幸恵は彼の目が笑っていないことに気
がついた。彼はこの集団では高砂族の水兵(志願が原則の海軍に入隊したからには日本語教育が完璧な難関高等小学校以上の学
歴だろう)からも一線を引かれる存在だと幸恵は感じた。

 中等学校、女学校、数はまだ少ないが共学制中等学校などへの進学者は60%近くになっている。その卒業生の中には経済的な
理由で技術を身につけられる海軍に志願する者が結構いる。海軍自体は公表していないが中等学校出身者と高等小学校出身では
昇進に明らかな差があるというのは公然の秘密である。戦争がなければ、中等教育の機会均等、修学援助などの準義務化の論議
が進んでいただろう。社会が進めば進むほどなにがしらの問題は出てくるのだ。

683 :名無しモドキ:2011/12/10(土) 01:44:48
 泣いていた高砂族出身の水兵も元気を取り戻すと、知里幸恵は映画館の前で丁寧に水兵達と別れの挨拶をした。幸恵はさて
これから遅い昼食でもと考えながら歩いていた。
「知里教授、知里さん。」突然、道路の向こう側から大きな声をかけてきた男がいた。通行人も思わずその男を見る。何人か
の者はその男を見知っているらしく、同行者にその男の名前を耳打ちする。同行者は「あの人が」というように男を半ば尊敬
の眼差しで見た。かなりの老年と思えるその男はステッキこそついたいるがかくしゃくという言葉がぴったりである。やがて
男はステッキで行き交う車を制止すると、幸恵のいる歩道へ渡ってきた。

「牧野先生、おしさぶりです。」幸恵は丁寧に挨拶をした。

 牧野富太郎博士、史実でも有名な植物学者である。憂鬱世界では拡大した日本領土に会わせるかのよういにその活動はさ
らに広がっていた。北はカムチャッカから南は海南まで数十万の植物を採取して分類を行っていた。特に史実に先立って中国
での生きた化石であるメタセコイヤの発見は世界にも「マキノ」の名を轟かせた。ただ史実と同じように尋常小学校も出てい
ないことから、ついに講師の身分のまま博士号を取り日本植物学会に君臨することになる。
 知里幸恵は牧野富太郎の講演を聴きに行ったときに同行者から牧野博士を紹介された。牧野博士は自分と同じく大学を出ず
にその道の第一人者になった知里幸恵に同じ匂いを感じたのかいたく彼女を気に入って今では、幸恵を娘のように扱いながら
交際が続いている。

「立ち話も寒くてかなわん。おごるから着いてきなさい。そうだ不二家へ行こう。」
(また不二家ですか?)幸恵は苦笑する。
不二家は昼も遅いというのに、まだ大勢の客で賑わっていた。さすがに、メニューには「戦時中のため原料不足で停止中」
と添え書きのあるものがいくつかある。
「みつ豆とホットケーキを二人分。それにコカコーラ。」牧野博士は幸恵に聞くことなく自分の好みを注文する。
「牧野博士、申し訳ございません。コカコーラは戦時中のため輸入が途絶しております。」初老のウエーターが丁寧に釈明
する。
「天下の不二家ならなんとかしろ。このさいだ、アメリカからコカコーラを買収してしまえ。」牧野博士は憮然として言う。
「ご無理なことを。かわりにいつもの紅茶でよろしいでしょうか。」ウエーターは笑って下がる。ただ、後で思えば牧野博士
の言はまったくの無理ではなかった。
「いや、よいところで会った。実は見合い写真を頼まれてな。男がちょっと年なもんで、知り合いの未亡人の所へと思ってお
ったのだがどうもしっくりこん。どうしたものかと思っておったら、道路の向こうに幸恵さんがおるではないか。これじゃと
感じた。幸恵さん、これはあんたの運命じゃ。まあ、この写真と釣書を受け取りなさい。」牧野博士は持っていた風呂敷包み
をテーブルの上に置いた。
「いきなりですか。わたくしもう四十になります。いまさら結婚と言われましても。」
「只の男ではない。幸恵さんも在野の学者ならフィールドワークの方が好きじゃろう。この写真の男はフィールドの鬼のよう
な男じゃ。それも、一緒になった女なら必ず連れて行く、そんな性分の男じゃ。」
「そこまでおっしゃるなら」牧野博士が言い出したことに逆らっても無駄なことを知っている幸恵は、一応風呂敷包みを受け
取ることにした。
「家に帰ってゆっくり見なさい。それから、電話をくれたらええ。幸恵さんの質問にはその時に答えよう。」牧野博士は確信
めいた口調で言う。

 知里幸恵は、断りの文句を考えながら牧野博士から風呂敷包みを受け取った。知里幸恵が思いもしていなかった冒険への始
まりである。

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最終更新:2012年01月04日 14:18