167. 名無し三流 2011/04/28(木) 21:58:40
  今回は赤い熊の国が誇る諜報員、リヒャルト・ゾルゲ氏にまつわるSSを。


***


  ソ連と日本による諜報戦は、極めて早くから起こっていた。
ソ連は成立以来、ロマノフの血を引く者を擁し、急速な発展を遂げる極東の島国を危険視し、
日本には特別に多くのスパイが送り込まれる事になったのである。
勿論、それを予期していた日本側も関係機関を総動員して防諜に尽力し、
市民向けに『防諜マニュアル』を作成するなどして国民レベルで諜報活動への警戒をさせていた。


  また、夢幻会の一部には単にスパイ摘発に力を入れさせるだけには留まらず、
『スパイに偽の情報を流す』等の高等技術を使う事を推奨する者達もいた。
何はともあれ、日本の諜報/防諜機関は、辻が愚痴をこぼす程度に予算をつぎ込まれ、
対ソ諜報戦におけるリードを保ち続ける原動力となっていたのである。


  そして、1942年の中頃。日本は東京にある情報局の一室。

「局長。今月、都内で活動している事が確認された諜報員の一覧です。
  一部、写真付きの物もあります。ご確認と指示をお願いします。」

  情報局の局長は部下から『最高機密』の判が捺された書類を受け取ると、
その一枚一枚に目を通し始めた。書類には外国の諜報員の名前、住所、関係者等が事細かに記載されている。
そして、彼の紙をめくる手はある所で突然止まった。
168. 名無し三流 2011/04/28(木) 21:59:19
「…………これは…………」

「局長?」

  局長は書類の中から一枚の紙を取り出すと、それを部下に手渡した。

「この男は、特に重点的に監視するんだ。
  外に行ってる連中によると、彼はソ連でも名うてのスパイだという話だ」

「『ヴォセヴォロド・イワノビッチ・ゴーキー』……福建共和国の某ロシア系新聞社の記者……」

「の、振りをしているんだよ。くれぐれも気をつけてくれよ」

「はい」

  部下はその紙を受け取ると、すぐに自分の持ち場へ戻っていった。
名前の欄に『ヴォセヴォロド・イワノビッチ・ゴーキー』と書いてあった書類。
そこにあった顔写真を見たら、その系列に詳しい人はすぐこう言っただろう。

『どう見てもリヒャルト・ゾルゲです。本当にありがとうございました』と。




            提督たちの憂鬱  支援SS  〜とあるソ連の上級密偵(エリートスパイ)〜




  所変わって東京は郊外にある地味な一軒屋。
その玄関に、ドイツ臭さを感じさせるやや眉毛のつりあがった男が入っていった。


「ラムゼイ、首尾はどうだ?」

  一軒屋の居間には2人の男が顔を並べており、その2人ともがロシア系の顔立ちをしている。
彼らがラムゼイと呼ぶ男の帰宅を出迎えると、待ちきれないという風にロシア語で尋ねた。

「日本の政府要人が頻繁に利用する高級料亭のリストアップは終わった。
  今後監視を続ければ、数日中にパーティーが利用しているものを絞り込めるだろう。
  また、倉崎重工のビル及び都内にある主要な工場の周辺にも部下を定期的に遣らせている。
  これだけでも、何か大きな動きがあった場合に直ぐ察知するくらいの事はできる」

  ラムゼイと呼ばれた男の報告を聞くと、彼の帰還を待っていた2人の片割れが言った。

「凄いですね。上が優秀な人を送り込んだと言ってましたが、そこまでとは」

「私の今までの任地と日本とでは話が別だ。この国は予想以上に防諜能力が高い。
  私自身何度かつけられて、撒くのには苦労した。まあ向こうの防諜要員の密度を分析すれば、
  日本政府が隠したがっている場所について大まかな検討をつける事も不可能ではないだろうが……
  情報の発信に関しては今後も注意する必要がある」

「ああ、その通りだよ。それで俺らはこんな所で燻っていた訳なんだよな」

  もう片方の男が自嘲気味に言う。

「警告しておくぞ、マチス。どうも本国は焦っているようだ。
  ここで我々が成果を挙げる事ができなかった場合は、どうなるか分かったものではないぞ」

「ふん、お偉方は何も分かっちゃいないのさ」

「彼らが何かを分からないというのなら、彼らにそれを分からせてやるのが我々の仕事だ。
  ………それと、そろそろ相手をコードネームで呼ぶ事も覚えたらどうかね?」

「おーおー、熱心なことで」

  マチスと呼ばれた男の方は呆れた顔をすると奥の方へ引っ込んでしまった。
ふん、という顔をするラムゼイに残った片割れが弁解を試みる。

「すみません、彼は前にヘマをした奴の補充要員で来たんですが……」

「あまり気にするなキリング。そういう事に一々気を取られる必要は無い」


  ラムゼイはキリングと呼ぶ男をたしなめると、鞄の中から何冊かの本を取り出した。
169. 名無し三流 2011/04/28(木) 22:01:06
「君はこういう本を見た事があるか?」

「はぁ……なんだこりゃ、女の娘の絵ですか?上手く描けてますね」

「これは日本人の間で"同人誌"と呼ばれているようだ。
  手作りの冊子らしく、内容は小説や、このような画調の人物画が多い」

「それで、これがどうかしました?」

「部下によると、一部の日本人がこの"同人誌"の話題に関して、異常に食いつきが良かったという事だ。
  私と彼らは、これがパーティーに食い込む際に役立つのではないかと考えている」

  キリングはラムゼイの持ってきた同人誌の中から、
  "成人向"と書いてあるものを目ざとく見つけ出すと言った。

「ほうほう……これは、要するにハニートラップの亜種といった感じですかね」

「まだ詳しくは分からないがね。ただ、この情報は上へ連絡しておかなくては。
  それから、これら"同人誌"のサンプルも送って、こういった絵を描ける人材も求めよう。
  こちらでも相当のレベルの"同人誌"を作る事ができれば、パーティーの人間への良い手土産になるかもしれん」

「そうですね。では、上海の同志を通して伝えさせましょう」

「待て、上海のルートはもう使えんぞ。協力者だった中国人が日本の諜報組織に買収されてしまい、
  今上海ではソビエトのスパイ狩りが急速に進行しているとの事だ。福建共和国の方に、
  私が新しいルートを用意しておいた。今の所はそれを使った方が良い。詳しい説明をしよう」


  ラムゼイは自分の仲間の持っていた情報が意外にも古かった事にやや落胆すると、
構築した情報ルートについてキリングへ説明を始めた。



  その後、リヒャルト・ゾルゲ―――――コードネーム『ラムゼイ』の活動はさらに活発さを増していった。
だが、彼の活動はある時を境にして突然弱まる事になる。日ソの秘密取引の協議の際、
日本側がソ連諜報員が日本国内で活発に動いている事に懸念を示したのだ。
彼らは"貿易レートの修正"と"日ソの相手国内で活動している諜報員の活動制限"を、
飴と鞭のように使い分けてソ連側に後者を認めさせる事に成功したのだった。


  本国ソ連から『日本における活動を自重せよ』という命令を受け取ったヴォセヴォロドことゾルゲは、
断腸の思いで部下達に一時的な休眠を命じたという。再び彼らを役立たせる事の出来る日を待ちながら………



                        〜    f    i    n    〜
170. 名無し三流 2011/04/28(木) 22:01:38
一部補足です。

ラムゼイ:リヒャルト・ゾルゲのコードネーム。史実でも同じコードネームだった。

ヴォセヴォロド(以下略):鬱世界のゾルゲが使っている偽名。ドイツっぽい本名は、
                          WW?以来関係の冷却している日本で使うにはどうだろう、という事で。

マチス:ソ連の名無しスパイ。"マチス"はコードネーム。いわゆる『無能な怠け者』。

キリング:上に同じく。こちらは『さして有能という訳でもない働き者』。

パーティー:"夢幻会"及び"夢幻会派"を表すソ連スパイの隠語。

局長:田中局長が1942年時点既に局長だったか確認できなかった。
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最終更新:2012年01月01日 04:37