368. 名無し三流 2011/06/26(日) 20:49:16
  憂鬱世界には「テクニカル・ハラスメント」という戦略用語がある。日本語訳すると「技術的嫌がらせ」であろうか。
これは技術的優越を利用して他国を圧迫したり、自国に依存させたりするという、単純ながらも実に嫌な戦略である。

  この言葉の発祥は、いわゆる"冬戦争ショック"の後に、
何としてでも日本軍の兵器を越える兵器を作る事を命じられた英国のとある技術者が、
友人へ愚痴った中の台詞であるとされている。この言葉は第二次大戦、そして日米戦争を通して、
ほぼ日本のみが使う事を許された贅沢な戦略として専門家の間へ広まっていった。


  そして、ソビエト連邦は日本のテクニカル・ハラスメントに最も苦しめられた国の1つだった。



                        提督たちの憂鬱  支援SS  〜テクニカル・ハラスメント〜



  日本は東京、倉崎重工の倉庫。そこには数台のトラックが集まり、
中から機械を運び出していた。種類は旋盤やら研磨機やら、実に様々である。

「へえ、今まで倉庫の場所取りだったあの連中もとうとう放出か…」

「何だか勿体無い気もするな。いくら新しい機械が予備含め完全に揃ったからって、あれまだ使える筈だろ?」

「仕方無いさ、上が決めた事だからな。それに、職工も新しい旋盤の扱いに慣れて来たそうだ。
  ここで古い旋盤を後生大事にとっとく必要も無いと思うぞ。」

  搬出される機械の数と種類を検めながら、倉崎の社員は話す。

「ところでこの機械、どこへ行くんだ?」

「大陸の企業が買うんだとよ。詳しい事は、取引先が秘密にしてほしいと言ってるってさ。
  多分、情報が漏れて強盗なんかに分捕られるのを防ぎたいんだろ」

「へえ、よく分からんが、要は俺等のお下がりをそっちが使うって事か。なるほどな」


  そして場所は変わり、福岡は三菱重工の倉庫。
ここでもトラックが三台ほど来て、厳重に梱包された機械を慎重に運び出していた。
それを確認しつつ、いかにも"出張して来ました"風な三菱の社員が与太話に興じている。

「あのマザーマシン、もう四半世紀は前のやつだろ?今更引っ張り出して何に使うんだ?」

「知るかよ。どっかに買い手でもついたんじゃねーのか?」

「ハァ、こんな事はさっさと済ませて早く本社へ帰りたいぜ。東京の言葉が懐かしいよ……」

「何言ってんだ、住めば都って言うだろうがよ」


  ……このような光景は当時、日本の貿易港で運が良ければ見る事ができた。


  日ソの貿易は、世界的にあまり大っぴらにできる事では無い。そこで日ソとも、
各々の諜報機関を通じて情報をやり取りし合い、上手く隠蔽できる方法を探っていた。
その1つが、カオス状態にある中国大陸へダミー会社を作り、
そこへの売却/そこからの購入という形を取る方法である。
また、時には物資を渡す際、表向き匪賊に強奪された、という形を取る事さえあった。

  匪賊はある外交官曰く「蛆虫のように湧く」存在であるため、様々な言い訳に使える。
余談だが、中国軍閥の中に"匪賊狩り"を理由として民家から家財を強奪する者がいれば、
"ここから先は匪賊が出るから護衛してやろう"と無理矢理付いてきて用心棒料を要求する者もいたし、
"匪賊に収益を強奪された"と言って脱税を試みた日本人もいた(勿論速攻でバレた)。

  そんなこんなで、日本からは工作機械(中古)・トラック(中古)・食料が、
ソ連からは各種鉱物資源・石油が、互いの下へと送られる事になる。
369. 名無し三流 2011/06/26(日) 20:51:04
「コルィマの金塊はコンピュータの回路や電子部品の開発、後は宇宙科学の研究に重点的に回しましょう。
  大事に金庫へしまっていても勿体ありません。贅沢を言えば、レアメタルももっと欲しい所ですが……」

  会合の席で、辻が輸入と輸出の実際の量を確認しながら何か悪巧みしてそうな顔をする。

「それにしても、いくらお古とは言えマザーマシンまで放出してしまって良かったんですか?
  日本製部品の精度は陸軍もよく知ってる所です。その辺はあちこちから感謝が絶えません。
  だからこそ"熊に鮭を送る"ような事はあまりして欲しく無いのですが……」

  そんな辻に、対ソ戦が勃発した場合の作戦計画をも預かる東条は苦言を呈した。
しかし、そんな疑問は先刻ご承知とばかりに辻は答える。

「何、問題はありません。今回放出した機械は本体だけ、予備部品無しですから。
  部品交換もできない機械がどれだけ持つかは、想像するまでも無いでしょう。
  それにこちらはもう1ランク上の工作機械を既に普及させていますから。
  自分のいらない物をあげて、自分が欲しい物を貰う。まさに理想的な取引です。
  もし向こうが交換部品を要求してくるようなら、レートを吊り上げる良い口実が出来るだけですしね」

  辻の鬼謀に「ひどw」「鬼畜w」「まさに外道w」などと言う言葉が飛び出してくる。
ソビエト連邦も、もしこの光景を見ていたら同じ事を言っていたに違いない。


  ソ連は最初、日本からマザーマシンを含む工作機械を輸入する事ができると分かると、
一時は頓挫していた重工業化が再開できるのではないかと考えていた。
しかし辻の言う通り、話はそう甘い物では無かった。

  長期化した独ソ戦は、ソ連の人口をゆっくりと、しかし確実に磨り減らしていた。
それは工場労働者も同様で、多くの工員達が前線を支えるために有形無形の犠牲となっていたのである。
後の調査によると、当時のソ連労働者の作業意欲は、日本のそれの半分にも満たなかったそうだ。
それでもソ連製工作機械と日本製工作機械の性能差は歴然としており、
工員らが日本製のそれに慣れてくると生産効率は確かに上昇へと転じた。

  が、これに気を良くしたソ連はここで大きな失策を犯す。この日本製機械を文字通り"酷使"し始めたのだ。
日本製の機械は稼動効率が良いという事で有名だが、それを支えているのは機械自体の性能だけでなく、
なるべく長時間の稼動を避け、こまめにメンテナンスをするという使用者側の配慮に拠る所が大きい。
しかしソ連ではそのような事を一切せずに、連日ほぼ無休で機械を稼動させ続けた。
工員らも1日18時間労働はかなり短い方で、シフトを組み工場の灯が消える事は無かった。

  そんな過酷な環境に耐えられるマザーマシンなど、そうそうある筈が無い。
夢幻会は工作機械へなるべく高い耐久性や、温度、湿度等環境変化への対応力を持たせるよう企業へ指導していたが、
240時間以上文字通り"ぶっ続け"で動作し続けるような状況など夢幻会も、企業も想定する筈が無かった。


  という訳で、そのツケが回って来るのは案外早いものだった。
磨耗し続けた部品はあちこちで不具合を起こし始め、しかもそれを修理しようにも交換のための部品は無い。
という状況がロシア各地の工場で頻発した。ロシア人は持ち前のバイタリティで日本製機械を"ニコイチ"したり、
或いはソ連製機械に使われていた部品を代替として無理矢理ねじ込んだりしたが、
精密機械の極致とも言われるマザーマシンや旋盤、研磨機がその程度の事で本来の力を取り戻す筈も無い。

  そんなこんなで、まるで時限爆弾のタイマーが切れたかのように壊れだす優良機械の対処に追われ、
生産量のグラフは見事なまでの∧字を描く事になる。辻の企みは見事に成功したという訳だ。
それでもめげずにソ連関係者は日本製機械の故障が早い事、予備部品が無い事等を抗議し出す。

  その時に、辻が部下へ残した言葉として次のようなものがある。

「問題があるのは機械じゃなくて使用者の方でしょうjk」

  随分と強烈な言葉で、この台詞が大蔵省外へ漏れなかった事は幸いと言う他無い。
だがこの言葉はかなり的を得ていた。ソビエト連邦は自国を労働者の楽園と事あるごとに呼称していたが、
その実体は真逆で、労働者にとっても機械にとっても地獄であった。
一日中休みなしで働かされ続ければ人だろうと機械だろうと何らかの不具合を起こす。
この日本製機械の悲惨な末路は、図らずもこの実体を浮き彫りにしたと言えよう。
370. 名無し三流(このレスでおしまい) 2011/06/26(日) 20:52:01
  労働環境で言えば、ソ連よりも日本の方が天国と言える有様である程だった。
元々日本は、共産主義が勃興する前後から労働者の待遇には随分と気を遣ってきた。
これは勿論、日本赤化という恐るべき事態を未然に阻止するためでもあるが、
夢幻会の中に所謂"デスマーチ"の経験者が少なくない数いた事も影響していた。

  この世界では転生者である徳田球一は仲間を集めて労使間の仲介に尽力し、
倉崎、三菱などの有力企業はその利益を社員の福利厚生にも惜しみなく注いだ。
日本のある外交官などは、ソ連の外交官に倉崎の社員用保養所を案内して、
「これが日本流、労働者への鞭の入れ方です」などという皮肉を放った程だ。

  そして日本にあるその他の企業も、この成功者にあやかろうと倉崎、三菱のやり方を真似し始め、
その流れは日本に追いつけ、追い越せとばかり努力を続ける福建共和国にも波及。
『労働者の待遇こそ最重要』という考え方は日本と関係が深い国一帯の共通認識になりつつあった。


  先述したソ連の抗議は、日本側が上記のような事を例に挙げて『使用者の問題』を指摘し、
また「交換部品も欲しいならまずは対価を用意してよね」という姿勢を事あるごとに見せた事で見事に不発に終わってしまった。

  かくしてソ連と日本の技術的な格差、ソ連が工作機械に関して日本に依存しなければならないという事実、
おまけにソ連における機械類の酷い扱いなどが明白となり、ソ連は日本の『テクニカル・ハラスメント』の脅威を、
否応なしに思い知らされる事になったのであった…………


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最終更新:2012年06月30日 10:32