412. 名無し三流 2011/08/09(火) 10:04:35
  ドイツは技術力に優れている。というのは史実における定説である。
また、憂鬱世界においても技術チートをしている日本には及ばなかったものの、
欧州内においては比較的優秀な技術水準を保っていた。

  しかし、経済恐慌とそれに伴うナチスの強硬な台頭、
そして夢幻会の横槍によって少なからぬ数の技術者が流出しており、
それをいつまで支える事ができるかは少々怪しい状態だった。


  また、工業力もWW?、独ソ戦と無理を重ねていた事から次第に低下。
占領地からの収奪にも限度があるし、北アメリカへの進出も予想される成果は眉唾もの。
これを危惧したドイツ上層部は何とか新しい打開策を練ろうとしていた。


「『整備性を上げろ』だの、『生産性を上げろ』だの、口で言うのは簡単さ。
  勿論実際やるのは恐ろしく難しい。いや、難しいならまだ良い方で、不可能な事だってある。
  だが現場経験の無いお偉方は口で言う事しかしないから、本気でそれを簡単だと思ってるんだ。
  畜生め、悔しかったら青写真の1つでも作ってみやがれっていうんだ」

  とは、当時のあるドイツ人技師の愚痴である。



                提督たちの憂鬱  支援SS  〜Help me, PORSCHEEEEEE!!〜



  ドイツでは日本軍がジョンストン・パルミラを攻略し、
着々と米本土へその道を開いていくに至って、北米大陸における日本との軍事衝突の可能性を真剣に考え出した。
軍事衝突の場所として想定されたのが豊かな平野である北米中部グレートプレーンズであり、
そこではかなりの確率で戦車戦が起こるとも考えられていた。

  これから日本軍の精強な戦車隊を相手にする可能性が出てきたこと、
また独ソ戦で赤軍の戦車が予想以上に強力だった事もあって、
ドイツはその歴史の中で、幾度目かになる新型戦車の開発計画を起こしたのである。



  この計画はE(=Entwicklungstypen=開発タイプ)計画と題され、
パンターやティーガー、レーヴェなどこれまでの戦車開発とは少し違った内容となっていた。
この計画において第一課題とされたのは『生産性の向上』と『整備性の向上』であり、
計画の監督はこれらの問題に意欲関心の強かった軍需大臣のアルベルト・シュペーアが行っている。

  そしてこの計画の主任は、誰あろうフェルディナンド・ポルシェなのだった。


  E計画の主任に彼が選ばれたのには2つの理由がある。
1つは戦車の設計に当たる事のできる人員が件の人材流出によって減っていたから、
もう1つはポルシェ本人の地獄耳がこの計画を聞きつけ、熱烈に参加を希望したからだ。
413. 名無し三流 2011/08/09(火) 10:05:20
「だから何度言ったら分かるんだ!電気モーターは諦めろと言っているだろう!!」

「うるさい!若造にガス・エレクトリック式の何が分かるというんだ!!」


  ポルシェが若い技師達を指導し、シュペーアが彼らが明後日の方向へ行かないように監視する、
そんなE計画委員会の内部ではこのような会話が日常茶飯事であった。


  あくまで生産性と整備性を重視するシュペーアと、
自身の考案したガス・エレクトリック方式(ガソリンエンジンで発電、その電気で戦車を動かす)を強烈に推し、
また貪欲にさらなる性能の向上を図ろうとするポルシェとでは衝突が起こるのは当然と言えた。

  E計画の基本コンセプトである『車体、部品の共通化による整備性と生産性の向上』
については両者ともあっさりと合意したのだが、まず車体のエンジンを何にするかで揉め、
車体のサスペンションをどうするかで揉め、車体の装甲厚についてで揉め、避弾径始の角度でさえ揉め……
両者が協議すればするほどポルシェの血圧は上がり、シュペーアの胃痛は益々頻度を増し、
それを周囲で見守る者達の冷や汗は滝の如くなった。

  さらに悪い事には、ダイムラーベンツを始めとしたドイツ国内のエンジンメーカーが、
経済力の低下から来る経営難を打破するためにE計画へ自社エンジンの売り込みを始めた上、
この計画を目ざとく発見した腹黒紳士国家イギリスが、諜報機関を使ってちょっかいを出して来るので、
関連組織はこの対応にも追われて嶋田繁太郎もかくやという多忙な日々を過ごしていた。


  そんな訳でこのE計画は遅々として進まず、
果たして1943年中に試作車を作れるかどうかすら危ぶまれる状態であった。


  そうこうしている内にゲーリングから「そんな暇があったら新型の急降下爆撃機を…」
レーダーから「そろそろ新しい艦艇の補充費用を…(´;ω;`)」などという横槍も入りだし、
これに苛立った総統ヒトラーが、とうとう直接E計画への口出しをし始め、
計画はますますカオスな事になっていったのである……
414. 名無し三流 2011/08/09(火) 10:05:51
  ちなみにE計画における主な論争のテーマは、以下の通りであった。

・車体の種類について
対地、対空など目的別に作った砲塔を載せるべき車体の種類を、
シュペーアは軽戦車型(15〜30t)、中戦車型(50〜65t)のみで良いと主張し、
対するポルシェはその上に重戦車型(80〜100t)と超重戦車型(120〜140t)も作る事を主張した。

・中戦車型の武装について
シュペーアは中戦車型に搭載する武装を、「パンターの改良」と考えて75mm砲とするよう要請したが、
ポルシェはこれを「ティーガーの中戦車化」と考えて88mm砲を武装とする事を主張した。

・機関の配置について
ヒトラー直々の口出しの1つに「搭乗員の生存率向上」があったが、
シュペーアは若手技術者の出した「砲塔は車体後部に置き、機関を前方に置いて装甲の足しにする」
という史実メルカバのような発想に賛成した。しかしポルシェは被弾時の走行不能のリスクを理由に反対。
生存率向上は装甲厚と避弾径始の改善で十分可能であると主張した。

・火炎放射器について
ヒトラーはE計画用の砲塔を、従来の戦車砲、機関砲を束ねた対空砲の他に、
火炎放射器を付けたものを作る事を要求しているが、シュペーアはその必要性に疑問を持っている。

・通信機について
E計画の車両は全車通信機を搭載し、車両ごとの連携を高めるべきだという意見があるが、
対ソ相手ならともかく日本が相手だと通信を丸ごと傍受される恐れがあるとして、通信機派と反通信機派が争っている。



  日本陸軍との武力衝突を想定して開始されたE計画は日本の諜報機関も知る所となり、
夢幻会の中には「これ統合整備計画じゃんw」「E−50ktkr!」などと叫ぶ者も多かったが、
実際のところE計画は本当に完遂されるのかは日本人にも夢幻会員にも、当のドイツ人にさえも分からなかった。
行く末は全て、運命の女神の手に任されてしまっているのだった……


                                    〜  f  i  n  〜

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最終更新:2011年12月30日 20:41