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支援2_名無し三流さま_帝国陸軍総合祭・後編
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485.
名無し三流
2011/10/21(金) 22:08:07
お待たせしました、帝国陸軍総合祭(
>>434-438
)の後編です。
***
帝国陸軍が民間向けのキャンペーンの一環として計画した『帝国陸軍総合祭』は大成功に終わった。
最終的な来場者はなんと10万人を数え、集まった寄付の総額は約100万円に上った。
そのため、富士演習場で開かれたスタッフ向けの祝賀会では多くの陸軍関係者が喜んでいた。
一方で、その役目を終えようとしていた総合祭本部(仮設)の一角では、
実に物々しい雰囲気が漂っていた。小銃を携えた警備兵こそ普段通りながら、
そこには頻繁にスパイらしき者達が出入りして、状況の緊迫ぶりを物語っていた。
「村中大佐、会場に入り込んだ鼠の身元確認はその6割が完了しました」
本部の中で、トレンチコートを着た男に部下が書類を渡す。
するとトレンチコートの男は部下から渡された書類にざっと目を通して言った。
「現時点で判明しているものの多くがソ連か、やはりあの国は手強いな。
よし、確認できた者から情報を局へ送れ。もたもたしていてはまた隠れられるぞ」
「はっ」
村中の指示を受けて、部下は素早く本部を後にした。
提督たちの憂鬱 支援SS 〜帝国陸軍総合祭・後編〜
日本が国内向けに『帝国陸軍総合祭』の開催を発表した時、
最も激しくこの情報に食いついてきたのは日本国内で活動していた外国のスパイだった。
日米戦争でその名を轟かせる一式・零式の曲芸飛行や、
冬戦争ショックの立役者であり今も現役である九七式中戦車の試乗会などを、
民間の、それも不特定多数の人間相手に行う(見せる)というのは当時の軍隊では考えられない事だ。
何しろザルな防諜体制に定評のある史実日本(軍)でさえ、列車の客車には鎧戸を付けさせ、
軍事基地の近くを通る時はそれを閉めさせていた程である。
諜報員達は誰もが最初、(日本陸軍は頭がおかしくなったのか?)と思った。
しかし様々な情報からこの話がブラフでは無い事が分かると、今度は色めきたった。
何しろこの祭では、日本軍が使用している兵器の実際の稼動をこの目で見れる上に、
自分達は当日来るであろう沢山の来場客の中に紛れ込む事ができるのだ。
情報収集にこれ程良いシチュエーションは無かった。
そして今度は、(日本陸軍よくやった)と思うようになったのである。
486.
名無し三流
2011/10/21(金) 22:08:40
勿論この試みには陸軍内部でも慎重意見が多く出た。
理由は察しての通り、他国の諜報員が紛れ込むのを心配しての事である。しかし、
この意見も夢幻会派の力、特にあの村中大佐の力によって"説得"されたのである。
村中大佐は親夢幻会派として(一部には親夢幻会"過激派"として)知られていたが、
彼は夢幻会派が総合祭を計画している事を知ると、すぐにその計画の援護に乗り出した。
彼は元々、大日本帝国を率いるのは貪欲で視野狭窄な政治屋とその腰巾着であるブンヤよりも、
夢幻会という有能な人材の集団の方がずっと相応しいと考えていたのである。そして彼は、
夢幻会が率いる日本を作る前にまず、軍が直接国民への影響力を持つ事が必要だとも考えていた。
(日本軍は確かに精強であり、実力は欧州列強のそれにも伍して引けを取らない。
が、だからこそ、そのような軍隊が熱狂した国民に乗せられたブンヤや田舎政治家に、
人気取りのために私物化されてしまうなどという状況は避けたい)
という訳である。そこで村中は国民の目を曇らせているマスコミ(村中視点)に代わり、
帝国陸海軍が直接、国民に対し世界を見る事の出来る目を開かせる事が望ましいと考えていた。
この帝国陸軍総合祭は、彼の目的達成にとって丁度良いものだったのだ。
これもまた夢幻会上層部が聞けば卒倒しそうな考え方であったが、
本人はこれをさして問題があるとは思っていなかった。
何しろ日本人、特にマスコミと野党系代議士の多くがさらなる戦果の拡張、版図の拡大を叫ぶ中で、
嶋田率いる戦時内閣と彼らが率いる軍は(特に大陸、東南アジアで)自重を続けていたのである。
しかも嶋田らが「これ以上は攻勢限界点を超えます」「補給がカツカツです」などと悲鳴を上げても、
一部の頑迷な人々は無敵日本軍や神風を信じているという有様である。
487.
名無し三流
2011/10/21(金) 22:09:33
こうして村中は民間との格好の交流の場である総合祭の賛成派に回ったのだが、
彼は理詰めで(しかも自分の真意を明かさないようにしながら)総合祭の利点を示すばかりではなく、
防諜重視派の反対を封じ込めるために自ら具体的な行動を続けた。
例えば東条が組みあげてきた無線による分隊規模(一部では個人規模)の連携システムを応用し、
簡潔に言えばBOB時の防空体制を、そのまま祭の警備体制に置き換えて使う事を提唱、
部下には無数の人ごみの中から1人の人間を見つけ出す訓練などを徹底して行った。
また、これまでも対ソ防諜で活躍していた日本正教徒を非公式ながら祭の監視シフトに組み込む事を提案、
"パンフ的"同人誌の作成に気炎を上げていた一派を丸め込んでスパイ密告を奨励するポスターを描かせたりと
(出来上がったポスターが"撫子たん"《
>>211-215
》の着替えを盗撮する白人と中国人、という絵であった時は、
流石の村中も閉口するしかなかったらしいが)、派閥の壁を越えた働きかけも各所に行った。
これらの超人的な努力によって総合祭の警備計画は必要十分なものであると認められる事になり、
ついでに諜報部の中では目的達成のために手段を選ばない行動に「村中的」というローカルな別名が付けられた。
さて、国民に対する自分達の知名度が上がれば(何しろ最近の大勝利、ハワイ沖海戦は海軍が立役者だった)、
次期の予算獲得も捗ると踏んだ陸軍上層部、祭りが好きな下士官兵、趣味の世界に浸る一部集団など、
様々な人々とその思惑が入り混じって開かれたこの祭だが、陸軍がこの祭を大成功と考えていた一方で、
意気揚々と祭会場に乗り込んだスパイ達もまた思わぬ収穫に大満足だった。
「日本軍は最前線まで糧食が行き届くよう気を配っている。
指揮官が独断先行でもしない限り、急激な進出は無いだろう」
「模擬授業で占領地政策の授業を聞いて来れたぞ。
一部とはいえ彼らのノウハウを直接耳で聞けるのは大きい」
「現用の戦闘機、戦術爆撃機も沢山露出していた。しかも撮影規制が緩く、
観衆も普通にカメラを持ち込んでいたからそれに紛れて資料を集められたぞ」
「「「全く、日本も油断しすぎじゃないのか???」」」
……しかし、彼らはそれが大きな勘違いであるという事をついに知る事は無かった。
彼らスパイは、防諜ネットワーク、正教徒ネットワーク、また来場者ネットワークなど様々な所から、
しかも本人は全く気が付かない内に丸見えになっていたのである。油断しすぎなのは彼らだった。
488.
名無し三流
2011/10/21(金) 22:10:51
さらに悪い事には、日本の防諜は実力行使(スパイを捕らえに行くなど)は割と少なく、
『スパイの行動を上手くコントロールして、スパイが自分達に都合の良い情報を得るようにさせる』
などのより悪質な手段を取る事が多かったので、彼らはその油断を改める事は無かった。
この時村中らが調べ上げた敵スパイの個人情報は『鴨一覧』という、
『BAKA BOMB』もかくやというありがたくないコードネームを付けられて活用され、
折を見ては欺瞞情報を掴まされるなどして、本国からも役立たず扱いされてしまう事になる。
何しろこの総合祭に釣られた者達はその間急速に進んでいた原爆実験の準備や、
帝国軍における新型中戦車、世界初の実用ジェット戦闘機の配備など、
本国にとってもっと重要な話題に関する情報を収集できなかったのだ。
一方で村中らはこれらの功績によって陸軍内のみならず、海軍でも一目置かれるようになった。
これも彼の『親夢幻会過激派』の組織拡張に一役買ったのだが、それはまた別の話……
さて、スパイ退治(というよりはスパイ苛めか)に大いに役立った総合祭は、
陸軍内の兵士達の融和という嬉しい副産物をももたらしていた。
総合祭には有志の軍人による出店を出すスペースも存在したが、
同人誌系の出店は自重する者もいたため比較的少なく、
かわりに郷土パワー爆発とばかりに郷土料理・工芸の店が軒を並べ、
違う地方出身の兵同士が仲良くなる格好の場ともなった。
その上、開催地の関係から自然と関東、名古屋、関西など、
いわゆる都会の客が多くなったが、来場客らは皆目新しい田舎の料理を喜んで口にし、
何と郷土料理系出店の全売り上げは、総合祭全体の収入の4割を占めていたのだ。
(他は戦車の試乗料や陸軍グッズの売り上げ、寄付金など。)
後に大阪で日本、アイヌ、台湾、福建、ロシアの伝統料理が一同に会した一大イベント、
『亜細亜郷土料理祭』が開かれるのだが、これはこの時の帝国陸軍総合祭において、
自分達の郷土料理が都会からの来場者に思わぬ人気を博していた事に驚き、
地方出身者が「いける!!」と何かの自信をもったのが始まりだと言われている。
489.
名無し三流(このレスでおしまい)
2011/10/21(金) 22:11:21
この軍隊による民間人まで巻き込んだ祭典、という試みは後に海軍でも行われ、
こちらは『帝国海軍感謝祭』という名前で人々に親しまれる事となった。
感謝祭という名称は、陸軍と同じ総合祭だと芸が無いという意見と、
何かと金がかかる(陸軍も同じなのだが…)海軍が維持されているのは、
納税者である日本国民のおかげなのだから、それに感謝をするという意味で、
感謝祭にするべきだという2つの意見が合流して付けられたものだ。
ちなみに欧州だが、欧州でこのような開放的な祭典が行われる事はなかった。
まず何よりもそんな道楽にかける余裕が無いというのと、情報流出を恐れる意見の方が勝っての事だった。
時の総理大臣嶋田繁太郎は、「何だよ、向こうは閉鎖社会MAXかよ……」と呟いたと伝えられている……
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