490. ひゅうが 2011/10/26(水) 09:27:56
――ある造船技術者の憂鬱

またか。
夏のある日、海軍艦政本部の会議室では、男は頭を抱えていた。
長卓を挟んで窓側には用兵側である海軍軍令部や連合艦隊司令部の軍人たちが、廊下側には軍装の上に白衣をはおった技術者たちが並んでいる。
そして、コの字型に並べられた机の縦辺にあたる部分では、なんとも形容しがたい空気を醸し出す男たちがいた。

『この人の相手をするなんて聞いていないぞ!』

この場の議長にあたる艦政本部副長、牧野茂技術少将はひきつった笑みを浮かべながら自分をこの場へよこした上司を呪っていた。

彼の、そしてこの場のすべての人間から白けた視線を受けながら、牧野の横で熱弁をふるう男はますますヒートアップしている。
ゴマ塩頭に丸メガネ。そして仕立てのいい背広にしわが寄るのをまったく気にせず、男――東京帝国大学副総長  平賀譲  予備役技術中将は早口でまくしたてていた。

「今回の新型戦艦設計案において、何よりも重要なのは小型化である!」

『この人、まだ自分が艦政本部長の気でいやがる・・・』

牧野は、三徹明けの血走った眼で周囲を睥睨する平賀を見ながら何度目かになる嘆息をついた。
この男、平賀譲は世界的にも有名な日本の造船技術者である。
世界を瞠目させた「扶桑」型や「伊勢」型といった「最良の36センチ砲戦艦」を作り上げ、欠陥が目立つ欧米の同クラスとは裏腹に良好な運用実績を持つ「ビッグセブン(最強の7隻)」最高傑作、「長門」型戦艦の建造にあたっての手腕はだれもが認めるところだった。
しかし、ワシントン海軍軍縮条約の締結以後はその名声にもいささか疑問符がついている。
軍縮条約の制限を受けたことで重武装化を図った新型の巡洋艦建造にあたっては、日英同盟を重視し長距離巡航能力を重視する海軍上層部を無視し、制限ギリギリにまで武装を詰め込んだ私案を押し通そうとした。
そのために、海軍の非主流派といわれる一派を抱き込んで繰り広げられた大騒ぎを見る限り、この男は「政治的軍人」なのだろう。
491. ひゅうが 2011/10/26(水) 09:28:48
事実、そういった姿勢が問題視されて予備役に追いやられ、東京帝大に押し込められた今もこうして一民間人でありながらこの新型戦艦の性能検討会議に出席している。

そして・・・


「したがって、搭載されるだろう新型主砲は『長門』型などのように連装砲塔で満足してはならない!」

『と、ここまでは間違ってはいないんだよなぁ・・・』

牧野は、窓の外でがなりたてる蝉の声に向けて意識を飛ばしたくなる誘惑に駆られた。
先ごろ実用化されたという携帯型酸素ガスボンベを口にあててコシュー、コシューという音をたてながら、いや、そうまでして叫び続ける平賀譲は、確かに天才的な男だ。

軍艦の防御区画は、分厚い装甲を張る必要からどうしても重量を気にしてスペースを制限される。
とくに戦艦は、一基あたり20メートル以上にもなる巨大な主砲塔をいくつも搭載する必要からどうしても防御区画が全体に占める容積が大きくなってしまう。
そうなると、機関や主要な機械を置くスペースがその分小さくなり、重量制限から全体を覆う装甲を薄くしなければならなくなる。
そのため、たとえば主砲12門を搭載する場合は砲塔一基あたり2門の主砲を搭載する「連装砲塔」を6基搭載するよりも、3門の主砲を搭載する「3連装砲塔」4基を搭載した方がスペースの削減ができる。

こうすれば、装甲も機関もより高性能なものを搭載できるだろう。

「したがって、3連装砲塔の採用がまず考えられるだろう。」

これも正しい。
だが、牧野はげんなりしていた。
この後平賀が主張するだろう意見は、おそらく4連装砲塔の採用だろう。
確かに、スペースは削減できる。
が、この案は技術的な鬼門だ。
なぜなら、砲塔の機構が複雑になりすぎ、肝心のときに故障を起こす可能性が無視できなくなってしまうからだ。
492. ひゅうが 2011/10/26(水) 09:30:01
この平賀という男は、そういった「技術的にギリギリな代物」を設計したがる。
長門型戦艦の建造にあたっても、彼は船体に余裕があるからという理由で「3連装砲塔2基と連装砲塔2基」に勝手に改造しようと私案を出した「前科」があった。

「が、それでいいのか?」

クシュー、クシュー。
酸素吸入器の不気味な音を響かせながら平賀が用兵側に視線を送る。

「確かに砲は多数必要でしょう。」

艦隊側の中佐――確か藤堂とかいった――が慎重に言葉を選んで言った。

「ですが、四連装砲塔の故障に踊らされるのは、用兵側としては遠慮したく・・・」

「分かっているとも。」

平賀はにやりと笑っていた。
牧野だけでなく、この場の全員が背筋をぞくりとふるわせた。

実際のところこの会議はこの困った爺様の「ご意見も拝聴しました」というポーズを示すものでしかない。
牧野のチームは昨今の日米関係緊迫化を受けて新型戦艦の設計をほぼ完了させていたし、海軍の航空主兵主義者たちは嶋田総理の「粛正」により横やりを入れることなど恐ろしくてできなくなっている。

そんな状況に殴り込みをかけてきた平賀は、裏を返せばよほど自分の提案に自信を持っているのだろう。

「諸君。四連装砲塔は確かに機械的な無理がある。現状実用化ができていて安定的な性能発揮が可能なのは、3連装砲塔だけだ。」

『なんだ?こいつ・・・なにを言い出すつもりだ?』

あの運命の判定会議。のちに「妙高」型重巡洋艦として知られるバランスのとれた巡洋艦の設計に際し発生したドタバタが決着し、帝大へ移った平賀にはある噂がついてまわっていた。
493. ひゅうが 2011/10/26(水) 09:31:37
「ならば、『安定した性能の3連装砲塔を二つ連結すれば簡単に多連装砲塔ができる』。見よ!これがワシの傑作、『6連装砲塔』案だ!!」

ドヤ顔で取り出された模型には、「6連装」4基、実に24門もの主砲が搭載されていた。

『なんじゃそりゃ!!』

その場の全員の思考はシンクロした。






――平賀譲。
用兵側の無茶な要求に技術的にギリギリなレベルで答え続けていた天才技術者は、いつの頃からか・・・吹っ切れた。
原因については諸説ある。
長年のライバル藤本喜久雄に敗北し、気がふれた。
あるいは、彼が文通をはじめた同盟国の若手技師(ネビル・シュートという名だった)に影響された。


ともかく、現在の東京帝国大学に残る「平賀アーカイブス」といわれる造船関連の貴重な史料の一角に、彼は「何がしたかったのかは分かるが、なぜそうなった」と言いたくなる艦艇を多数私案として残している。
しかも、それらの多くは国際的にオープンであったため、近年では1930年代の欧州の戦艦が一様に奇怪な姿となった原因は彼にあると考える向きも多い。

この件について現在の日本造船界は沈黙を守っているが、平賀に振り回され続けた牧野茂は著書にただ一行、こう書いている。
「ヤツは『英国面』に落ちた。」と。


〜終〜

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最終更新:2011年12月30日 21:49