494. ひゅうが 2011/10/26(水) 14:46:09
――On the Beach1943〜パンジャンドラムに愛をこめて〜


大英帝国海軍中佐  ドワイト・ライオネル・タワーズはこの日何度目かになる溜息をついた。
それが彼の日常だったし、兵器開発局付きを命じられて以来それは変わることはなかった。
まして、いささか古びているとはいえ女王陛下の軍艦(HMS)ロード・クライブの艦長に任じられているとしてもそれは変わることはない。

なぜなら――

「いやぁ!楽しみだな楽しみだな。」

この面長のニヤケた男(腹立たしいことに海軍の軍服を着ている)が傍らに立っているからだ。
まったく、特殊兵器開発局長ともあろうものが聞いてあきれる。これで、も大戦前は航空機製造会社の社長をやっていたというのだから人はみかけによらない。

タワーズのオーストラリア生まれの妻が言うには、小説家でもあるらしいが彼はいくら勧められてもヤツの本を読む気はなかった。
仕事場だけでなく家庭でもヤツにつきまとわれるのはごめんなのだ。

「シュート技官。よく平気でいられますね。本艦は一歩間違えれば煙草の火一本で爆沈するってのに。」

「いやあ。技術屋のサガでね。自分が作ったものが動く時は、はじめての新車――フェラーリでも運転しようってくらいにワクワクするんだよ。
ああ、いつかかっ飛ばしてみたいな。広いところがいいな。できたらオーストラリアあたりかな?」

「調子に乗ってサーキットの看板にブチ当たりそうですね。」

「言うね。君だって・・・いや、君はカタブツだから、人類の滅亡が決まったら沖合で乗艦を自沈させるのに夢中になりそうだ。」

「なにわけのわからんことを――それに、これからの実験の成否で祖国の命運は変わりますよ。って、火星人来襲じゃあるまいに人類滅亡なんて…」

男、大英帝国宰相府直轄の特殊兵器開発局長であるネビル・シュートはニヤニヤ笑っていた。

「さて、ね。あの大津波みたいなのがあるんだ。ナチあたりが作った毒ガスの流出事故やら、アメリカ風邪の欧州上陸やら、ネタはいくらでもありそうだ。案外我々が裏切ったサムライたちも何か作って――まぁそれはどうでもよろしい。」

はぁ。とタワーズは生返事した。
この7000トンあまりの小型の対地砲撃艦(モニター艦)の艦橋からは、コーンウォール半島の突き出た先端の荒涼がよく見渡せた。

彼と、シュートが乗っているこのロード・クライブは今や「第1次」という符号を冠されるにいたった先の大戦の後に作られた少し古びた艦だ。
かつて、フィッシャーのバルト狂いといわれた「バルト海侵攻作戦」用に作られ、その後いろいろあって余っていた18インチ(!)45.7センチという怪物砲の廃品利用として作られたこの艦は、その出自にふさわしくまた珍妙な実験台になろうとしていた。
ただし、本物を前にしたテストベットではあるが。

「艦長。」

伝声管から、機関長の上ずった声が聞こえてきた。

「ヴァルター博士がゴーサインを出しました。蒸気圧力いっぱい。いけます。」

「うん。」

タワーズはうなづいた。
畜生め。やってやる。やってやろうじゃないか。この過酸化水素とケロシンの塊を――

「全艦、全速!」

彼の声と同時に、2基の3段膨張型蒸気レシプロエンジンがけたたましい音をたてて艦体を駆動しはじめた。
2310馬力のエンジンは、沿岸運用を想定したゆっくりとしたスピードで艦を動かす。
495. ひゅうが 2011/10/26(水) 14:46:46
めいっぱいやっても、それは6.5ノット…時速13キロ程度にしかならない。

タービン機関よりは早く、艦はその速度に達した。
後部甲板に据え付けられている18インチ砲はもう波をかぶりはじめている。

「『主翼』展開!」

「おおおおおおひゃひゃはややひゃややややや!!!」

シュートが奇声をあげている。
『ロード・クライブ』は、その舷側の外板を油圧ジャッキで上甲板に向けて「開き」はじめた。
2分ほどでそれは完了し、艦はまるでアヒルのヒナが羽を広げたような珍妙な格好になった。

「展開完了!」

「よし、アロウル燃料弁開け!制御同調!」

艦の中心部に据え付けられた大きな日本製のタングステン張りのタンクの二重の弁が開かれ、蒸気を利用したターボポンプから艦の底部に向かって90パーセントの過酸化水素が殺到した。

それは、いったん停留し、やがて、驚くほど多数の「ベル型ノズル」を持つ「反応室」へと到達した。
そこには、白金を中心にした耐熱合金製の触媒がある。

「準備完了!」

「よし。推進クラッチ切り替え。噴射!」

どっ。

まるで地鳴りのような轟音が響いた。
反応室に送り込まれた過酸化水素は、いくつかの反応を経て高温の水蒸気と酸素に変わった。
そして、その酸素の中にケロシン(灯油)が吹きこまれ、着火される。
ノズル1基あたり5トンの推力を持つ、「巨大なロケットエンジン」は、海水をかきわけ、やがて、『ロード・クライブ』を「浮上」させた。

「タービン推進、はじめ!」

タワーズは手はずの通り叫んだ。
いくつかの推進不良エンジンは自動停止され、艦の中心にあるジャイロの感知するところによって反対舷側のエンジンが停止され、バランスがとられた。

と、後方からやや小さいながらも轟音と震動が響く。
見れば、艦はもう高度40メートルほどの「空中」にあった。
離水後は復水器が作動できなくなったので、その分の水蒸気をそのまま推進用に噴射しているのだ。
今までスクリューを回していた動力は、そのまま後部に備え付けられた圧縮機で空気を圧縮し、ケロシンを噴射し動力にする「カンビーニ式ジェットエンジン」を動かしている。
結果、意外な高速で艦は空中を飛んでいた。

「飛んでいる!畜生。飛んでいるぞおい!」

「は〜っはっはっは!!飛ばないわけがないだろう!計算でも飛ぶんだから。いやドイツの化学(ドイッチェ・ケミカル)は世界一いいいっ!!」


タワーズは思った。
あ。これならこのままコーンウォール半島を飛び越えるな。20キロ程度だけど、フネも飛べるのか…

って、なんで俺はこんなところで飛んでいるんだ?
畜生。


タワーズは、妻のモイラの顔を思い浮かべようとして、彼がこんな災難に巻き込まれる端緒になったあの忌まわしい会合を思い浮かべていた。
496. ひゅうが 2011/10/26(水) 14:48:03
「ベルリン強襲、ですか?」

「そうだ。」

半年前、海軍本部に呼び出されたタワーズは、戦時統制委員会委員長のピーター・ホームズの仏頂面に出迎えられていた。
無理もない。
太平洋での日米開戦の数時間後に大英帝国を襲った大津波は、「ドーヴァーの休戦」期間中に少しでも軍事力の回復を図っている戦時統制委員会に過労死寸前の仕事をプレゼントしていた。
英国人にとって、新年を家族と祝えないということほど堪えるものはない。

「しかし、わが軍はダンケルクに重装備を捨てています。強襲上陸が成功したとしても、ベルリンまでは――」

「それについては…」

「私が説明しましょう。」

傍らでニヤニヤ笑っていた男が歩いてきた。
男は、片手をあげて従兵たちに窓のカーテンを閉めさせると、室内用のスクリーンと映写機を用意させた。

「なにも、ドイツ人の機甲師団を正面から打ち破るわけではありません。あんなものは、艦砲で粉砕してしまえばいいのだから。」

「ですが・・・ええと・・・」

「シュート。ドクター・ネヴィル・シュートです。タワーズ中佐。」

「中佐?私はまだ大尉ですが。」

こんど少佐に昇進予定なのは言わないでおいた。

「あなたは、本日付で中佐になります。この計画の責任者として。」

タワーズはいやな予感に鷲掴みされていた。
アメリカ生まれのオーストラリア育ちで、貴族階級に近い労働階級の出である彼に出世の機会がくるというのは、厄介ごとを押しつけられるということ以外想像できない。

「中佐。ベルリンを直接攻撃するには、どうしたらいいと思います?」

「はあ。重爆撃機による空襲でしょうか?それか、特殊部隊による破壊工作。沿岸からの艦砲射撃ではせいぜい大ベルリン都市圏のどこかに着弾させるのがせいぜいでしょうが。」

タワーズはそこまで考えて、ふと思いついた。

「キール運河にグランドフリート全艦で突入でもすれば別ですが。」

「いい線をついていますね。ですが、違います。」

「すると、列車砲でも?」

「いえ。そんな面倒なことはしません。我々は、『陸上に戦艦を送る』のです。」

タワーズは、硬直した。
こいつはなにをいっているんだ?

「これを。」

スクリーンに化学式が表示された。過酸化水素に・・・炭化水素?

「日本海軍との技術協力で、あちらに亡命したブルーノ・ヴァルター博士のアイデアが手に入りました。名付けてヴァルタータービン。水中でも遠慮無くエンジンをまわして20ノット以上の高速を得ることができるのですが、まぁ今回はそれは置いておきましょう。」

ちょっと待て、こいつは何を画期的な新兵器のネタをばらしているんだ。
497. ひゅうが 2011/10/26(水) 14:49:03
「この反応で、ディーゼル燃料を燃やすのが潜水艦用ですが、我々はこれにケロシンを吹き込みました。」

映像が変わる。
富士フィルムという東洋のメーカーが作ったカラーフィルムは、何かラッパ状の物体から炎が出ている様子を映し出している。

「これは・・・ロケットエンジンですか?」

「その通り!」

タワーズには、その機械に見覚えがあった。
オーストラリアで会ったユンカー出の科学者。ええと、確かヴェルナーといったか・・・彼の実験風景を見たことがある。


「これひとつで、出力は7トン。安全性を考えて5トンの推力があります。これで、『大砲ごと戦艦空に持ち上げ』ます。」

え?

「持ち上げても推進は?」

「エンジン自体を斜め後方にむけて取り付け、艦の蒸気機関を推力に利用します。ああ、タービンは作れませんでしたが、ほら、あのイタリアの恥ずかしいジェット機の頭面が手に入りました。あれを使って空を飛びます。」

はるか極東の夢幻会が聞いたなら「それ何て青山作品?」と突っ込みたくなること請け合いなアイデアだった。
もっとも、このアイデア自体がこのマッドな技師に、ある造船工学の天才がいらんことを吹き込んだせいであることをこのときのタワーズは知らない。


「で、でもまさかそんなことに使える艦を――」

「戦艦『ネルソン』。」

シュートは信じられない名前を口にした。

「先の大西洋大津波で、わが海軍は甚大な被害を被りました。特に『ネルソン』は、もとからポンコツで20ノット出ればいいところだったのに、もう15ノットがせいぜいです。」

「そして、わが軍はあの老嬢を見限った。今後は海軍はキングジョージ5世級の現存艦のほか、戦時急造空母の量産に移る。『ライオン』級は・・・未定だ。砲身がヴィッカースの工場ごと流されたんでな。」

それまで黙っていたホームズがお手上げとばかりに肩をすくめた。


「ま、今現在英独間の緊張状態はあっても戦闘再開はないと考えた方がいい。
何しろ金もない。だがもしそうなった時、わが軍は、あのドイツ相手に「やらねばならん」。が、重装備についてはまったく足りない。それならいっそ―――そういうことだ。
それに、ベルリンではなくミシシッピやデトロイト、いやルイジアナで使うアテもある。」

ホームズの言葉に、タワーズは口をへの字に曲げた。
わが祖国は、現在津波で壊滅状態の合衆国東部でどんぱちをやらかすつもりなのか。


「そこで、大英帝国本土決戦の準備をしていた私が担ぎ出されたわけですよ。」

「シュート技師の開発していた新兵器は、まぁ大平原でこそ真価を発揮するヤツだからな。それに、わが国でロケット技術者といったらこれしかアテがなかった。
ほかは、戦時航空機開発委員会が持って行った。」

なんてことだ。

タワーズは顔が引きつるのを押さえきれなかった。

オレは、この頭のおかしな技師と一緒に新大陸かベルリンめがけて突入しなければならないのか。
というか、ほかにやるヤツはいなかったのか。・・・だれもやりたがらなかったんだろうな・・・。


こうして、タワーズは、ネビル・シュート作の海岸の実験場で、喜劇なのか悲劇なのかよく分からないもので艦長役をやる名誉をいただいたのだった。
そう。渚にて。
498. ひゅうが 2011/10/26(水) 14:49:41
――「ノルマン・コンクエスト計画」。
大英帝国は、英独戦の実質的な敗北から、「ドーバーの休戦」と呼ばれる狂乱の数年を過ごしたが、その間に奇妙な兵器を大量に生み出すことになったのは周知の通りだろう。
バネ式発射の無反動砲や、水道管を使った国民銃に、槍(日本からフィラメント用に大量輸入した竹を使ったものさえあった)。
有名なところでは、海岸に設置された超大型火炎放射器や、対空火炎放射器などなど。
英国人が火が大好きなのはさておき、そんな兵器の中に、とてつもなく狂ったと形容されるものがあったのはこれまたよく知られている。
  ジャイアント・パンジャンドラム。
日本人には「火車」としておなじみのこの兵器は、ミシン用のボビンの側面にロケットエンジンをつけて砂浜の斜面を転がらせ、上陸用舟艇にぶつけて内部の1.5トンの爆薬で木っ端みじんにしてしまおうという兵器だった。
開発は、ちょっとした段差に躓いて方向を変え、発射したもとへもどってきてしまうという問題のために難航したが、開発主任のネビル・シュートの手により日本製の小型簡易ジャイロを搭載することで安定した運用が可能となっていた。
また、大きさも当初の直径2メートルから、直径5メートルあまりと大型化することで逆に安定化が可能となり、一定以上の高速がついたのなら水上を走って大型艦に命中することもできるという見た目を裏切る代物になっていった。

これを量産したことで英国はある程度は対上陸作戦能力を持ったのだが、実験のけっか本兵器は攻勢にも使えることが判明。
英国人は当時進行していた「水上艦の空中輸送による重火器補助」と平行し、ジャイアント・パンジャンドラムを組み合わせた攻勢作戦を策定するに至った。
これが、「ノルマン・コンクエスト計画」である。

当初はベルリンを目標としていたこの計画は、大西洋大津波で中破していた旧式戦艦「ネルソン」を用い、ヴァルターロケットエンジン多数を艦底部に取り付け20〜30キロを飛行して敵拠点直前に特火点を作り出すというものだった。
当然、使い捨てである。
しかし、太平洋における日米戦の圧倒的な進展と、アメリカ風邪による連邦政府瓦解により、英国はその標的を北米大陸に変更した。
目標とされたのは、ポトマック河を遡上した五大湖攻撃(初期のうちに断念)だったが、米連邦政府崩壊後、頑強な抵抗を続ける米テキサス軍またはパナマ運河防衛軍などに標的が変更された。

これにより、計画責任者のタワーズ大佐は―――(以下略)


※攻撃実施が行われたかどうかはご想像にお任せします。

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最終更新:2011年12月30日 21:54