740 :ひゅうが:2012/01/20(金) 04:36:32

提督たちの憂鬱支援SS――銀輪は北米に吠ゆ

――西暦1943(昭和18)年4月 北米ルイジアナ州南部


「3・・・2・・・1・・・爆破!」

くたびれた軍服を着た男が血走った眼で命じると、電気信管へ繋がったスイッチがひねられ、数百メートル先に土煙が上がった。
それから数秒後、走ってきた列車が土煙の中に突進し、見事に横転する。
機関車が大量の蒸気を吹き出しながら破裂し、先頭につけていた鍵十字の旗がちぎれとんだ。

「やったぞ!」

「ざまあみろナチ野郎!」

「思い知ったか!」

合衆国南部自由民兵団という腕章を身に着けた男たちは快哉を叫んだ。

彼らは、久方ぶりの勝利に酔っていた。
合衆国が実質的に崩壊してから数か月。治安維持にあたっていた連邦軍の将兵は大半が離散するか軍閥化して中部の農業地帯や臨時首都シカゴに雪崩込んでいたが、野盗化するのをよしとせずに義賊的な「民兵団」を組織するものも多かった。

憲法によって革命の自由や武装の自由を有する合衆国国民は、飢えと寒さから自分の故郷を守るために武装化する道を選んだのだ。
それによりアメリカ風邪と疑われたものの「処分」が行われたり、難民の大虐殺が起きたり、ことによると共同体同士が食料燃料を巡って殺しあうという悲惨な事態が発生していたのだが、この南部では比較的ではあるが秩序が保たれていた。

もともと、合衆国南部軍による西海岸への機動反撃が計画されており駐留していた兵力が多かったこと、そしていち早く復旧したカリブ海の交通網によってある程度は食料を得ることができ、運よく大西洋大津波の被害を免れたルイジアナ北部の油田地帯からの燃料供給があったがゆえの幸運だった。

だがそれは、この人工国家を解体しようともくろむ連中の目をつけるところになる。
欧州遣米治安軍機構という長ったらしい名前の組織のもと、治安回復とアメリカ風邪の感染拡大阻止を名目にして北米へ足を踏み入れた枢軸国の軍勢と英国軍は、旧合衆国南部軍管区(南部軍の領域ではないことに注意)の治安地域へ進駐。

実質的な占領状態に置いたのである。
この時、抵抗すべき合衆国南部軍はテキサス共和国の指揮下で食料調達のために北上しており、そこで難民の海の中に消えようとしていた。
簡単な話、衛生状態が悪かったのだ。

だが、心ある者たちは銃をとり、占領軍に対する抵抗を決めたのである。
――たとえそれが、南部幹線と呼ばれる鉄道網を使った南部各所への緊急支援であったとしても、鍵十字を掲げる鉄道は彼らの敵だったのである。

「さて、ずらかるぞ。これで1週間は復旧できないはずだ。その間にルイジアナ軍団(実態はせいぜいが大隊規模である)が後方に回り込み、われらが領土を軍靴で踏みにじったイタリア軍を殲滅する。」

指揮官は上機嫌だった。
彼らは、自転車を使って逃走している。
この自転車こそが彼らの武器だった。自転車化された「機動部隊」をもって、のろのろ進みながらパスタとトマトソースを配って歩くイタリア兵どもを包囲、殲滅する。
物資をいただくのは言うまでもない。
そうして彼ら自由な民兵たちは聖なる戦いを継続していたのだ。

741 :ひゅうが:2012/01/20(金) 04:37:07
「おい。何か聞こえないか?」

「ん?」

それは、擬音語でいうなら「バタバタバタ・・・」という耕運機に似た音だった。


「おい!列車の中から兵士が!」

「ついてねえ。兵員輸送中かよ!ずらかるぞ――」

たーん!!

平原に銃声が響き渡った。
とたんに、民兵の一人が大地に崩れ落ちる。
4月にもなるのにまだ霜が降りている固い地面に崩れ落ちた兵士は、何が起こったのかわかっていないようだった。

指揮官は列車のほうを見た。
そこには、自転車のようなものに乗りながら、猛スピードでこちらへと近づいてくる特徴的なヘルメットをかぶったドイツ兵たちの姿があった。

「なんで自転車であんなスピードが出るんだよ!!」

バタバタバタ・・・という音とともに近づいてくる自転車。
自転車の後方に伸びていたのが土煙でなく、排気ガスであるらしいことに気が付いた指揮官は絶叫した。

「イエロー・バイクか!!」

叫んだところで、もう遅かった。
指揮官たちは兵士に追い詰められ、次々に撃ち取られていく。
手を挙げた人間も容赦しないのは、民兵たちがいかに進駐軍(と地元市民)から忌み嫌われているかがわかる光景だった。


――この日、北米の戦場に姿を見せた異形の自転車。
その名を、本田技研工業製 原動機付き自転車「モデル1942」という。
日本国内では「バタバタ」と呼ばれるこの機械は、戦闘機用に作られた2気筒の小型ガソリンエンジンを自転車に組み込んだ代物だ。
価格はオートバイよりも圧倒的に安く、そして余剰となった(電話式無線やレーダーなどを使うために必要電力が不足し発動機本体に組み込まれた発電機のため)小型エンジンを使用しているために自転車では運べない重い荷物も運べるというこの製品は、のちに「ホンダカブ」が誕生する下地になっている。

1930年代半ばに登場したこの商品の成功を受け、本田技研工業はアメリカにも工場を建設し生産に乗り出そうとしていた。
しかし、急速な日米関係悪化にともない、在米日本資産凍結という暴挙に出たアメリカ政府の手で工場は接収され、無線機用エンジンのみの生産が継続されていた。
しかし、あれよあれよといううちに情勢は変化。南部に進駐した枢軸軍の手により工場は日本人の手に戻ったのだった。
このころ、ドイツ軍は北米での兵員の移動手段の確保に苦慮していた。
トラックなど、米国内にあるものを接収しては住民の反感を買うし、自動車生産の拠点ははるかデトロイトである。
自前で移動するには、昔ながらの馬匹が必要という情けない有様に、将帥は頭を抱えていた。
そんなとき、司令官をつとめるロンメル将軍は町を走る「バタバタ」に気が付く。
米国工業界の妨害によって工場を南部にしか置けなかったため、皮肉にも「バタバタ」は生産が可能となっていたのだ。

これに目をつけた将軍は、銀輪部隊ならぬ、「バタバタ部隊」の編成に着手したのである。
この日民兵たちが出会ったのは、その第一陣だった。
そもそも北米は平たんな地形が多い。そのため、オートバイのような登坂能力はあまり必要ではない。それに、枢軸軍は南部の油田地帯を制圧しており石油だけなら腐るほどあった。
少々効率が悪くても問題はない。

こうして投入された「高速機動部隊(ドイツ軍名称)」は、移動手段として自動車に鉄板を溶接した「戦車」や自転車化された兵士を有する民兵たちと、死闘を繰り広げることになる――

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最終更新:2012年01月30日 21:47