745 :ヒナヒナ:2012/01/22(日) 18:45:37
○『故郷に帰りたい』


大西洋大津波、日本との戦争、欧州各国の移り気などによって、
分割統治されることになった旧アメリカ合衆国。
特に日本の支配するカリフォルニア共和国を中心とする西側と、
欧州各国が分割支配する中東部では、そのありようが全く違った。
後に「ロッキーの分水嶺」と呼ばれるといわれる文化の断崖だった。

西側は日本に対して敵対行為を取らなければ、比較的自由があり、表向きは人種差別も無かった。
ただし、火事場泥棒的侵略行為を行ったメキシコ人については、
日本人、旧アメリカ人ともに嫌われており、特にアメリカ人の鬱憤の捌け口として、
虐待されるという悲惨な事件が後を絶たなかった。

中東部は欧州各国の勢力範囲が入り乱れ、その版図はモザイク状になっていた。
もっとも勢力が強いのがドイツ帝国であり、イタリアが政策上は追従していた。
ユダヤ系は言うに及ばず、有色人種やそれらの混血人種も表立って迫害されていた。
大英帝国などは直接的な迫害は野蛮だとしていたが、
(もちろん、イギリスでも有色人種を下等とする風潮はあった)
欧州で最も強い勢力を誇るドイツには強く出られないため、
自国の植民地で害にならない有色人種ならば無視をする(保護ではない)といった程度だった。

この様な事情から「ロッキーの分水嶺は運命の分かれ目」といわれる事となった。

さて、戦争で外地に動員されていた兵士達が帰還するに従って少なからず混乱が起こった。
日本では元兵士による治安の悪化を懸念し、彼らを生まれ故郷の各州に送り戻すこととなったが、
政府中枢が失われ各州も戦闘が頻発している状態では、もちろん完全に行われることはなかった。

技術者として買われて、カリフォルニア共和国に戸籍を手に入れるもの。
アメリカ風邪への恐怖から、危険を承知で西部へ侵入するもの。
合衆国陸海軍のうちカリフォルニア共和国軍として吸収された将兵。
ドイツ支配地域から命からがら逃げのびて、西部までたどり着いた幸運なユダヤ人。
もちろん、逆のケースもある。
大声で話せば強制送還ではあるが、戦争が終わったばかりのアメリカ大陸では、
そんな話は酒場へいけばどこにでも転がっていた。

そんな中、故郷を失った彼ら間でいつからか流行った歌があった。
『Take Me Home, Country Roads』。
旧合衆国東部の州、ウエストヴァージニア州の事を歌った歌で、
かの州の風景、思い出を歌い、故郷に帰ろうと誘う。
ウエストヴァージニア出身の人間でなくとも、故郷を永久に失った者にとって、
故郷への思慕を語る歌詞と、旅愁を呼び起こす曲調は涙を誘った。

この歌はカリフォルニア共和国のパブが発祥とされ、瞬く間に彼らの間に広がった。
残念ながら誰の作曲かも作詞かもわからないが、
後に肉付けされた話では、ウエストヴァージニア州のハーパーズ・フェリーという町の
(歌詞にある風景描写からこの町の出身者であるということになった)
ジョン・デンバーという男が流行らせたという事になっていた。

その曲調がアメリカ人だけでなく日本人などの心をとらえたことから、
戦後直ぐにカリフォルニア共和国に広まり、
流しのミュージシャンら(多くは難民で酒場廻りをしている)が決まって歌う曲となった。
50年代に入ると徐々に東側にも浸透し始め、
我が物顔している支配者たちの目を避けて歌われて、
やがては旧アメリカ人共通の民族歌の様になり、
後にはアメリカ合衆国民謡というジャンルに分類されるまでになる。



これが『故郷に帰りたい』(邦訳)という名で呼ばれる曲の、巷で言われている来歴だった。
逆行者であるなら『カントリーロード』という名前の方が通りがよいかもしれない。

つまり、逆行者の一人がアメリカといったらこの曲だろうという事で、
カリフォルニア共和国のどこかの酒場で歌った事が原因だったのだ。
それを聞いた人間がそれを他の酒場で演奏し、適当にしゃべった事で、
尾ひれが付き、勝手に来歴が改変され、それらしい話になっていった。
ジョン・デンバーは史実でこの曲を歌った歌手であるが、
これはもちろん、曲が広まる過程でジョン・デンバーの曲であるという
史実での事実を逆行者の一人が語った結果であった。

ちなみに、この歌に影響されたのか、
デンバーという姓の家ではジョンという名前を付ける事がまま起こったため、
本物のジョン・デンバー(1943年生まれ)が誰なのか全く分からなくなってしまった。

しかし、彼の歌はアメリカを代表する最後の歌として、
その悲劇とともに語り継がれる事となった。



(了)

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最終更新:2012年01月30日 21:53