523. ひゅうが 2011/11/01(火) 22:47:50
――レッド・シールド

「もう一度確認します。」

史実では羽田飛行場と呼ばれたその場所、今は羽田空港とより早く呼ばれ始めていたそこへ男が降り立ったのは、8月の中旬のことだった。
第2次世界大戦は法的にはまだ続いていたが、ハワイ陥落にともないもう世界のほとんどの人間が大戦は終結したと考えているのがその頃の正直な事情だっただろう。
日独休戦に伴って再開された英国ゆきの航空輸送路を使って飛んできたその男は、会談場所となった帝国ホテル本館に厳戒態勢で迎えられていた。

とはいっても通常の宿泊客は受け付けている。
ただ、ロビーで談笑する紳士たちは利き腕の人差し指と中指にペンだこのようなごつごつした部分があり、エレベーターの横に控えるボーイはにこやかであることに変わりはないがよく見れば鍛え上げられた体つきをしている。
そして、それら誰もが目立たないようにコードを耳の裏にはわせたイヤホンをしていた。

警視庁公安部の特殊警備1課だけでなく皇宮警察までも動員した警備の理由を前に、外務省外務部次長である白洲次郎は頭痛を覚えながら先ほどの内容を繰り返した。

「ロード・ヴィクター・ロスチャイルド。第3代ロスチャイルド男爵。英国ロスチャイルド家総帥にして現在のロスチャイルドグループ総帥。あなたほどの方がこの日本へ移住を申請されるとは。これはいったい何のご冗談ですか?」

「冗談ではありませんよ。今後私たちの一家はこの国を第2の母国としたいと考えております。」

驚きを顔に出すのを抑えつつ、白洲は降ってわいたような災難の連続に参っていた。
またか。またこのての厄介事か。

「今後お国は、世界経済の・・・まぁ環太平洋の中心地になるでしょう。そこでビジネスをやりたいなら、直接現地に行くのが一番でしょう?将来的には帰化も視野に入れております。勿論、お国が許してくだされば、ですが。」

「なるほど。」

やはり、伊達に大英帝国を通じて世界経済を支配した一族じゃない。
もうロックフェラーの動きを掴んでいるか。


ロスチャイルド。
この一族の名を聞いたことのある者は多いものの、その実態について知る者はあまりに少ない。
もともとドイツで金融業を営んでいた彼ら一族は、精確な情報網を武器に欧州の王侯貴族をはじめとする富裕層への融資を通じて事業を拡大。
産業革命期には金融と鉄道を通じてその力を伸ばし、20世紀に入ると石油を通じてその経済的な覇権を確立していた。
総資産は1000億とも、また1兆円(史実戦後の1京円)ともいわれる。
その恐ろしさは、なんといってもその世界性だろう。先の第1次世界大戦にしても、敵味方両陣営ともに最大のスポンサーになり、なおかつ損をしていないというのだから恐ろしい。
大西洋大津波で実質的に壊滅した米国のロックフェラー家がロスチャイルド家を真似て一族を日本に移住させたことを掴み、よりにもよってナチスに追われたドイツの本家にかわり実施右的な当主となっている英国の第3代ロスチャイルド男爵を送り込んでくるとは・・・

「このたび、ロスチャイルド銀行は華南連邦の通貨発行権を持つことになりました。今後はお国と南北アメリカとの取引も拡大するでしょう。ですから、私はロスチャイルドグループの日本法人を設立しようと思って来日したわけです。ビジネスは速度が命ですからね。」
524. ひゅうが 2011/11/01(火) 22:48:50
それだけじゃないだろう。と白州は思った。
この男は、夢幻会情報では英国情報部――あのMと呼ばれるMI機関と密接な繋がりがあることが知られていた。
現在の日本国内では、強い反英感情のために諜報活動は合法違法を問わずに極端にやりにくい。

英国は、日本が原子爆弾の開発を行っていることに実用段階に達するまで気づかず、また大洋間弾道ミサイルや富嶽などの大洋を隔てた隣国の直接攻撃兵器の開発を行っていたことの察知も遅れた。
それは、情報部にとって耐え難いものだったろう。
もしもロスチャイルドグループが合法的に日本にできれば、それを隠れ蓑にした情報網ができあがるかもしれない。

「それに・・・」

何といって牽制しようかと頭をフル回転させていた白州は、次の言葉にしばし反応に迷った。

「私は、フェノロサ博士の著作は以前から読んでいましてね。欧州・・・あの懐かしのフランスやケンブリッジ以外で子を育てるならこの国をと思っていたのです。
わが子はもうすぐ6歳。ああ、そういえば日本では6歳からが初等教育でしたな。ミッションスクールもある。
ここは、新大陸の同業者の子息と机を並べさせるのも一興ですかな?」


――ロスチャイルド家の次代を担い、日本・英国家と呼ばれる新たな分家の長となった若者と、のちに豪州や中華大陸において復興を果たすロックフェラー家の当主となる若者が国際基督教大学で机を並べ、同じテニスチームでダブルスを組むことになるという冗談のような光景が現出したのは、このおよそ13年後のことだった。

〜終〜

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最終更新:2011年12月30日 22:35