525. ひゅうが 2011/11/02(水) 13:23:19
――西暦1943年8月  ニューブリテン島

「腹減ったな・・・」

男はフラフラとジャングルを歩いていた。
ジャングルが楽園だというのは嘘っぱちだと彼ははじめて知った。

彼は知らなかったがすでに掃討戦は終了し、部隊はポートモレスビーへ引き上げた後だった。
鳥取連隊に所属し、本来なら派遣先のポートモレスビーに駐留しているはずの2年兵である彼がこのニューブリテン島にいるのにはわけがあった。

「あの源田とかいう根拠地隊司令・・・次にあったらどうしてくれようか・・・いや、無理か。ビンタはいやだし。それにあいつ海軍だし。」


日本海軍では有名な男、源田実。彼は、戦闘機無用論を木端微塵に打ち砕かれた後、空中勤務を解かれ、僻地の航空基地司令を歴任していた。
それなりに有能であり、組織作りの面では才能があった彼はほどほどに認められ、海軍がほこる根拠地建設隊を指揮し、太平洋の各地に滑走路に毛が生えた程度ではあるがそれでもあったら便利な航空基地を建設していた。
意外にも彼は、そんな現状に満足していたらしい。

そんな源田が、パルミラ諸島やライン諸島などの最前線に近い基地群の整備を一段落させた後でとりかかったのは、日豪連絡線の外郭に位置するギルバート諸島やソロモン諸島の哨戒用基地づくりだった。
中でも、豪州領であり、それなりに大きな町を有するニューブリテン島のラバウルは、彼の基地づくりの才能を如実に示している。
花咲山と名付けられた火山の降灰を避けるようにして作られた3000メートル級の滑走路とそれをとりまく施設群。
さらには現地の余っていた物資を使って別府もかくやという温泉施設を作ったのだ。
現地の英連邦軍と豪州軍などにも感謝され、彼はご満悦だったという。


だが、1943年6月。ハワイ沖海戦の後になり、平和だった島は混乱状態となる。
米海軍最後の強襲攻撃によりギルバート諸島を攻撃した米第56.8任務部隊から落伍していた特設巡洋艦「サンタバーバラ」が同島北部に座礁。
兵員2000名あまりがジャングルに紛れ込んだのだ。

輸送船を兼用し、あわゆくばラバウル基地の占拠を目的とした投機的な動きだったが、これがある程度成功したのだ。
源田は、ポートモレスビーの第45軍司令部に掃討作戦の支援を要請。
自らも根拠地隊を率いてジャングル内での掃討作戦を開始したのであった。


男が命じられていたのは、その支援だった。
ところが源田という男は、領分を守って仕事をしていれば有能なのだが陸戦ともなると並みの指揮官でしかない。
上陸した米海兵隊第2海兵旅団の一部部隊は、指揮官ホーランド・S・スミス少将の采配もあり倍以上の掃討部隊を相手に互角以上に奮戦してのけたのだ。
そして、その割を食ったのは、殿として源田たちを守った男に集約されていた。

5日間にわたりジャングルをさまよった男は、空腹の極みに達していたのだ。

「もう・・・無理じゃね?おやじ。お袋、すまね。俺、のんのんばぁんとこいくわ。」

男は、倒れた。

そんな様子を見ていた、背の低い原住民たちがいた。
源田の施政はそれなりに現地の評価を得ており、この原住民たちも、「肌が少しだけ白い人たち」には敬意を持っていた。

ゆえに、男は助けられる。

男がいないと知ってあわてた本土の――夢幻会上層部の命令によって救助隊が来るまで3週間、男はこの原住民たちと行動を共にすることになった。

原住民の中でも男が特に仲良くなった者の名をトペトロといった。


戦後、男が描く漫画は人気を呼び、当時としては珍しかったカラーでアニメ化もされるほどになる。
男の名を、武良茂。ペンネームを水木しげるという。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年12月30日 22:34