527. ひゅうが 2011/11/03(木) 14:50:43
――西暦1894年  日本  理化学研究所

「できた・・・」

ある男が溜息をついた。
できないはずはない。
この合成法は基本中の基本だ。覚えていないわけがない。

青カビの持つ、周囲の細菌を殺しつくす特殊な物質。
抽出自体は明治はじめごろには実用化されており、生産も大規模化している。
だが、これは違う。

科学的な合成法をもってこの物質を大量生産することが可能になる。
殺菌だけではなく、この「抗生物質」の投与により医療は新たな段階を迎えるだろう。
だが・・・本当にいいのだろうか。
この新たな世界で、私がやろうとしているのは神への冒涜に等しいものではないのだろうか・・・

いや。もう賽は投げられたのだ。
科学者として、いや医師として死に行く人々を見捨てることなど、私にはできない。



――西暦1943年12月

井上成美は、帰りしな、丸善で先頃亡くなった正岡子規と宮沢賢治の本を買い込んだ。
正岡子規は、海軍軍令部次長をつとめた秋山真之大将の親友であるため、成美自身もそれなりに知識があったので亡くなった際は残念に思ったものだ。
今回購入した書は子規の自伝のようなものであったので、あとで自分でも読んでみるつもりであった。

宮沢賢治の話は、彼はなぜか好きだった。
彼の「イーハトーヴ童話集」は今まで出た20冊あまりを全部持っている。
家族が好むという理由をつけてはいたが、彼の顔がほころんでいるあたり詮索するのは野暮というものだろう。

横須賀の自宅までは、特急で1時間ほどの道のりだ。
戦時下のため、横須賀線で鎮守府方面へ直通の特急があるのが嬉しい。
ハワイなどの残務処理で忙しく、久しぶりの定時の帰宅である。
すでに電報は打ってあり、帰宅は知らせてある。

居残りを決め込むことになった嶋田首相や山本海相は、家族を大切にする井上のことをよく知っており、「これで何か土産でも買っていってくれ」といくらか包んでくれた。
そのため、彼は日本橋の「五鉄」の卵焼きの特上をふたつばかり買うことができ、さらには家人が喜びそうな本と、美しい総天然色の写真集を手に入れることができたのだった。

顔なじみの円タク運転手と会話を楽しみつつ、海軍大将井上成美はホクホク顔で自宅の前につく。

「静子!喜代子!いま帰ったぞ!」

すぐに、彼の妻と愛娘が洋服にエプロン姿で玄関に現れた。
彼は、自分が幸福であることを自覚しつつ、同居する娘婿と今夜は一杯やろうとそれなりの大荷物を手に靴を脱いだ。


――1901年。理化学研究所においてある化学物質が合成された。
理研ビタミンのように同社では新たなプラントを建設。数ヵ月後、世界に華々しく発表を行った。
その薬品の名を、ストレプトマイシン。
日本人は、ついに結核に打ち勝つ剣を手に入れたのだ。
上のような光景は、そうして現出したのだった。

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最終更新:2011年12月30日 22:34