819 :ひゅうが:2012/02/16(木) 18:07:27

提督たちの憂鬱支援SS――「道半ば~カリフォルニアにて~」


――西暦1943(昭和18)年3月 カリフォルニア共和国首都 サクラメント


「はぁ・・・。」

国務長官 ジョセフ・グルーはため息をついていた。

「その様子だと、上の方の説得はうまくいかなかったようですね。長官。」

「ああ。ジョージか。そうだな。どうも上の方は黄色人種に降伏するのが嫌らしい。」

「まぁ、排日移民法を声高に主張していた連中と東部政治家の生き残りの連合体ですからね。今の政府は。」

仕方ありませんよ。とカリフォルニア共和国国務次官ジョージ・ケナンは肩をすくめた。

「もっとも警戒すべきなのは東部や中部の混乱と、それに基づく内戦、さらにはわが国南部から北進を図るメキシコ。貧困と混乱の中から何が起こるか、それは合衆国建国時のそれと同様――革命。それも赤化革命である、か。
ウォーレン副大統領の慌てぶりはすごかったぞ。」

まぁ、それが狙いですからね。とケナンはうなづく。
このケナンは、駐独合衆国大使館の副大使として勤務していた国務官僚である。
あの大津波以後も彼はガーナー政権の対ドイツ工作やスイスを拠点にした臨時政府国務省の対日工作のために現地に残留していたが、2月の臨時政府崩壊とグルーのカリフォルニア共和国合流に従ってパナマ経由でこちらに戻ってきていた。

彼が提出したレポートは、政府の指揮下にある西海岸の旧アメリカ第3軍や太平洋艦隊残存戦力の力を背景に有利な講和をもくろむカリフォルニア共和国政府に深刻な波紋を投げかけていた。
それは、ロッキー山脈という天険の要害と太平洋という障壁に守られたカリフォルニアの地の安全性や今後の北米大陸情勢について分析したレポートで、ことに崩壊しつつあるアメリカの残骸に赤旗が建てられることを想定した悪夢のような内容だった。

しかも、その中には「われわれがインディアンにしたように、敵対勢力が疫病をもって我々を滅ぼそうとするかもしれない」とも警告していた。
東部から迫りくる疫病はペストに酷似しており、それに対抗できる薬はあろうことか敵対国である日本の理化学研究所が特許を持ち製造合成法を秘匿している。
そのような状況を分析したケナンレポートでは「日本に対抗するのではなく、むしろその力を利用しなければ独立は維持できない」と結論していた。

820 :ひゅうが:2012/02/16(木) 18:08:00

「混乱しているが、ハワイに日本艦隊が迫りつつある状況では時間がない。それに――メキシコ人たちが行動を開始したこともある。決断を下すのは今しかあるまい。」

「とすると、やはり――」

そうだ。とグルーはうなづく。

「先ほど連絡があった。メキシコシティの合衆国大使館は陥落。大使や立てこもっていた連邦軍の消息は不明だ。一部ラジオ傍受だと、道端に引きずり出され、「生死不明」になったようだが。」

「むごいことです。」

そうだな。とグルーは無感動に言った。
シカゴからの脱出行で彼が見たものは、彼にある程度の耐性をつけていた。

「やはり、来ますね。そうなると。」

「来るか。」

「はい。もともと西海岸は彼らの土地という意識が向こうには強い。虐げられた国がすがりつくのは古今東西ナショナリズムです。もう少しこちらの状況がよければドイツ人たちがナチ化という手段をとれるのですが、メキシコ人は猛っています。怒りにまかせてこちらを攻めてくるのは確実です。」

「そうなれば――この最後の自由の砦は混乱し、その隙間から疫病がロッキー以東を覆う。今は動く余裕のないソ連がそれを見たら――」

「はい。五大湖沿岸の工業地帯に赤化アメリカが成立すれば、その何割かをもってソ連は強化されます。
現状、壊滅状態の特に東海岸北東部との連絡線を確保でもされれば、今度狙われるのは陸軍兵力を英連邦軍として派遣したままのカナダでしょう。我々が日本人に敵対しているのなら、日本人はこぞって我々を滅ぼし、北米大陸でソ連やドイツ人と睨み合う状況になります。」

「南北戦争再びか――滅びたとはいえ、アメリカを再び戦火に包むわけにはいかんな。
まして赤く染めることも。」


グルーは立ち上がった。

「どちらへ?」

「オレンジ農園さ。現在生きているもっとも若い元大統領閣下――偉大なるローズヴェルト氏に口添えを頼む。そうでもしないと、あの日系人大量収容を主導する元検事の副大統領閣下は動くまいよ。」


――こうして、カリフォルニア共和国は日本政府と接触。比較的よい条件で講和にこぎつけた。
ハワイが陥落する直前の行動は、日本帝国にとりハワイ無血開城の前提条件が整ったことを意味していたのだ。


「今は、この新大陸を闇が覆っている。だが、明けない夜はないように、いつかアメリカは甦る。今度こそ建国の父祖たちが目指したような平和で、そして慎ましくも豊かな大地に――」


グルーの後を受け、国務長官に就任したケナンは国務官僚たちを前にそう訓示したという。
もっとも彼自身はそれを21世紀の課題として位置付けており、そのための布石――中部支援と旧西海岸諸州の相互承認、平和外交はそのための手段であったとのちに語る。
だが、彼の業績以上に彼の言葉が後世に残ることになったのは、その理想への道のりがあまりにも遠かったことを意味している。
21世紀が開始されて数年後、ケナンが亡くなった際の遺言は奇しくも孫文と同様、

「道はまだ半ば――」だったという。

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最終更新:2012年02月18日 21:12