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支援2_ひゅうがさま_銀座狂騒曲 〜1938年〜
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552.
ひゅうが
2011/11/09(水) 14:00:50
――銀座狂騒曲 〜1938年〜
「銀座にねぇ。行きたいんだ。」
「失礼。陛下。何と仰いました?」
「銀座・に・行きたい。」
「この牧野、年は経ても耳は良うございます。陛下。それで――」
夢幻会メンバーである内大臣 牧野伸顕は頭痛をこらえながら某ウォルターの格好で首を傾げた。
ちなみに彼の趣味である。
「銀座に行きたいんだよ。牧野。」
「それは分かりました。お上。しかし、どのような理由で?」
少し非難がましい目で主を見た牧野に、今上帝、昭和の御代の帝は人懐っこい表情で笑った。
「会議では、世界恐慌の波にも負けず皆、繁栄と発展を続けていると聞いた。だが。」
主上はすっと目を細められた。
「ふと思ったのだ。この目で見たいと。徳川の世のように千代田の城にばかりいてはならぬとな。」
牧野は、深々と頭を下げた。
「それに、一度銀ブラとやらをしてみたかったのだ。」
「本音はそれですか!?」
553.
ひゅうが
2011/11/09(水) 14:01:33
「で、どうします?」
「いや、どうしますって言われてもなぁ。臣下としては従うしかないわけで・・・」
「さすがは陛下。そこに痺れる憧れるう!」
「で、牧野さん。行かれるのはご自身だけで?」
ここは夢幻会の秘密の会議場――というかこの時代には珍しいラーメン店。
あの北一輝がプロデュースした店で、夜間は貸し切りも可らしい。味は史実九段の某ラーメン店に似ており、ビジネスマンや参拝客などにもご好評とのこと。
近衛公が混乱し、赤狩りの安部が現実逃避をしている中、やっぱりこんな役目かと嶋田は牧野に切り出した。
ちなみに牧野は「私は執事ですから」といつものウォルタールックのままである。
「それが・・・両陛下に皇太子殿下(当時5歳)まで行かれると・・・」
その時夢幻会に電流が走った。
「あの方のお父君だけに・・・なんというかフリーダムな・・・」
「学習院時代はそれはもう大変でした・・・どうも東郷元帥と乃木大将の豪気な部分といっしょにフリーダムな部分も受け継いだようで・・・」
「で、どうする?警備を兼ねて銀座を貸し切るか?」
「いえ。それは陛下のご趣旨に反します。」
「となると、警備は――」
「今こそさりげなくそこにいる特警(特殊警護=SP)課の出番でしょう。」
牧野は、全力で止めようとしないメンバーに少しほっとした。
この連中は事実上日本を牛耳っている。が、その主の命をないがしろにすることはないと分かったのだから。
――1938年11月某日、銀座にひと組の親子連れの姿があった。
三菱自動車が作ったそこそこ高級なセダンから降り立った彼らは、まるでおのぼりさんのように時計台や周囲の店に笑顔を見せていた。
が。見る方まで嬉しくなって顔を見た通行人は、一様に絶句した。
彼らは、銀座三越にふらっと入ると、さりげなくそこにいた案内員(ガチガチに緊張している)と一緒に店内を散策。
買い物をしまくろうとする男性の方を女性の方がたしなめ、子供の方に突っ込まれるという微笑ましい光景を見せながら買い物をすませ、立ち去って行った。
その後その家族連れは、喫茶店でコーヒーとアップルパイを堪能した後で「よし、歌舞伎座まで足を伸ばすか」とのたまった。
慌てた警護班(人ごみにまぎれこんでいた)の通報で丸の内の方から急行してきた皇宮警察が署長と一緒に通りに整列し、敬礼しつつ
「お帰りのお時間です。夕餉のお支度をして待っている料理長が拗ねますよ、陛下!」と叫んでしまったのだから大変だった。
結局、この日のご一家は万歳三唱に見送られて皇居への帰途についたのだった。
これが、世にいう「銀ブラ事件」である。
このとき御年5歳だった皇太子は、「(このような)お忍びでの家族サービスが一番嬉しく、予定が決まるとやってくるたくさんの関係者が泊まりこむので賑やかになる宮中で眠れなくなりそうな時もあった」とのちに回想している。
蛇足ではあるが、これが皇室の日本全土巡察という大事業の端緒であり、帝国臣民にただ絶対的な敬意ではなく親近感と人間的な意味での敬意をともに抱かせるきっかけになったことは特筆すべきだろう。
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最終更新:2011年12月30日 22:46
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