570 :ひゅうが:2012/02/22(水) 22:13:41
銀河憂鬱伝説ネタ 本編――「友」 その2
――同 「グリューネワルト邸宅」
地上車は、見慣れた邸宅で止まった。
皇宮の本体とは別に、寵姫や側室などは正室を憚って居住区画を小さな館に設けているのだ。
そのひとつは、当代はグリューネワルト伯爵夫人、ローエングラム女伯と呼ばれる女性の住まいとなっている。
皇帝フリードリヒ4世の妃は数多いが、現在では大半が里へ下がらされている。
正室はすでにないため、現在この宮殿にはベーネミュンデ侯爵夫人と呼ばれる女性と、ラインハルトの姉アンネローゼがいるのみだった。
玄関では、アンネローゼが待っていた。
年は18である。
3年前に後宮へと上がったが、その後も社交の場では常に控えめに振る舞い、日陰の花と彼女は呼ばれている。
ラインハルトと同様の豪奢な金髪を持っているが、彼女から発散される精気は月のそれを思わせると人はいう。
しかし、皇帝フリードリヒ4世の退位が発表された前後からは親しい人々が言うように少し「生身の人間らしい」気を発しているという。
(奇妙なことにこれは彼女のライバルであるというベーネミュンデ侯爵夫人も同様で、こちらは精気が柔らかくなったということだった。)
「姉上!」
「ラインハルト。ジーク。お久しぶりね。」
「はい。姉上もご健勝そうで。」
ラインハルトは姉のもとへ駆け寄った。
彼がこのような年頃らしい表情を見せるのはこの姉のもとか、キルヒアイスと共にいるときぐらいである。
「ご無沙汰しております。」
キルヒアイスも挨拶した。
「ええ。ジーク、ありがとう。」
ラインハルトの方に目配せをしてクスッと笑ったアンネローゼの意図したところを知り、キルヒアイスも小さく微笑で答えた。
「さ。入って。お祖父様もお待ちよ。」
ラインハルトはとたんに表情を固定したが、それも一瞬のことで、ちょっと困ったような表情になる。
「…あの男のことはもう少し待ってくださればいいのに。」
「ラインハルト。」
彼の態度に少し悲しげなそぶりを見せるアンネローゼに、ラインハルトは慌てて「いえなんでもありません」と付け加えたが、訂正はしなかった。
8月の日差しで一瞬陽炎のようにアンネローゼの表情が揺れるが、それに含まれる感情は今度は「まったくこの子は…」というものだったようだった。
「レモネードが冷えているから、すぐ用意させるわね。」
アンネローゼは、冷房のきいた室内へ彼らをいざなった。
「おお、孫よ。久しぶりよな。」
「父上、いきなりそれは態度が軽すぎます。」
居間にいたのは、やけにフランクな態度の皇帝と、皇太子だった。
皇太子が「うちの父がすまんな」と言っている様子が手馴れて見える。
その隣では、皇帝に寄り添うように座っているブルネットの女性、ベーネミュンデ侯爵夫人シュザンナがどうすればいいのか分からない様子で口をパクパクさせている。
皇帝は、ソファーの上からくるりとシュザンナの方を見る。
「なんじゃシュザンナ。そちは叱ってくれぬのか?」
「え?いえ・・・そんなこと――愛する人にそんなことできませんわ。」
後半は蚊がなくような声だったが、しっかりと恥ずかしい台詞は全員に聞こえている。
「愛することと叱らないことは別じゃよ?余もクラルベルはきちんと叱って育てた。
うむ、懐かしいの。」
ラインハルトは目を見開いたが、それよりもわずかに早くシュザンナが慌てた様子で「で、では恐れながら――」立ち上がる。
しかし。
「…ああっ!できません!陛下、こんなことできませんわ!どこぞの継母みたいにいびってしまっていた義孫たちの前でこんなこと――」
いやいやと首を振りながら顔を隠すシュザンナ。
このときラインハルトは皇帝の顔がだらしなく緩んでいることに気が付く。
やっぱりこいつ、はじめからわかっててやってるのか!?
「なにこのかわいい生き物。」
そして皇帝は要約した。
「父上…ぶっちゃけすぎです。」
よいではないか。とニヤニヤする皇帝フリードリヒ。
571 :ひゅうが:2012/02/22(水) 22:14:35
「ラインハルトよ。」
皇帝はそのまま彼の方を見て言った。
と、侍女がレモネードをグラスについで持ってきた。
皇帝はそれを手にし、ひとくち口をつけてから彼の方を茫洋とした眼光で射抜いた。
「まだ、納得できんか?」
納得できんか?ではない!とラインハルトは激発しそうになる。
「ま、無理もないがの。そういうところはそちの祖母や母とそっくりじゃ。やはり血かの。」
ふふ。と懐かしそうに笑うフリードリヒ。
その表情はラインハルトが見たことのないものだった。
謁見の間での皇帝はいつも気だるげで、焦点があっていない目か、もしくは面白がるような表情でこちらを射抜いていることが多かった。
「これでも夫婦喧嘩や親娘喧嘩は一通り経験したが、まぁ頑固じゃったな。」
沈黙が満ちる。
「その、母は。」
耐えかねたのは、ラインハルトだった。
「うむ。儂の娘じゃよ? 妻に似て美人だが、それ以上に気が強かった。情が強かったともいえるが。」
自明の定理を示すようにフリードリヒは言い切った。
「まぁ、話は婿殿――セヴァスティアンに聞いてもらえばわかるが。」
ラインハルトは顔をしかめる。
「はっはっは。そちは分かりやすいの。じゃが、それが過ぎると周囲に敵を作りすぎるぞ。」
ルードヴィヒ。と皇帝は横でやりとりを聞いていた皇太子を呼んだ。
「聞いての通り、ラインハルトはそちの甥ということになる。あくまでも義理ではあるがの。」
「は。」
「そして見ての通り、この帝国を控えめに言っても好いてはおらん。儂もじゃが。」
皇帝が最後に漏らした一言に周囲の空気は凍った。
「当然じゃろう?最初に愛した者は兄弟に殺され、娘は『貴族のどら息子』の妾にされかけ、叶わぬと知ると容赦なく殺された。そして孫にまで因果は及ぶ。
正式な妻は権門の心無い風説に疲れ果てて死し、己を頼り無垢な想いを寄せてきた者はその存在を利用しようとする者にとり邪魔というのみで子を殺された。
――嫌にならぬ方が不思議じゃよ。」
まだ50代である皇帝は、まるで老人のようにため息をつく。
572 :ひゅうが:2012/02/22(水) 22:15:53
「ルードヴィヒよ。そちが為そうとしていること、すなわち既存の銀河帝国の大規模変革、そして実質的な解体と新国家建設などという大それたことには力が必要じゃ。
それも具体的な。」
そしてラインハルトの方を見る。
「ラインハルトよ。そちが余をはじめとする帝国を憎み、アンネローゼを取り戻そうとしておったのは知っておる。儂はそれもまた良しと思っておったが。」
じゃが、と皇帝は言葉を切った。
「歴史とは面白きものよ。ここに至り、この帝国を再び作り直す好機が訪れるとは。
異質なものに向き合い、今世界は戸惑っておる。それが5年を、ルードヴィヒが暗殺されずに玉座に座すまでの期間を作り出すじゃろう。
ラインハルトよ。儂は久しぶりに夢ができた。行きがけに『オトシダマ』として生活するに困らぬ程度の場所はつけておこう。
そこにいるもよし、自ら身を立てるもよし。好きなようにせよ。」
「そんな!」
「余はこれでも身内には甘いのじゃよ。かかっ。」
勝手に守っておいて、勝手に手を離すと皇帝は言った。
ラインハルトはそれをどう受け取るべきかまだ決めかねていただけに、混乱している。
そんな彼の様子を皇帝は外見相応に好々爺じみた表情で眺め幾度か頷き、そして唐突にキルヒアイスの方を見た。
「ジークフリード・キルヒアイス。ラインハルトの親友じゃの。」
「あ、はい。陛下。」
キルヒアイスはかしこまって一礼した。
うんうん。と皇帝もそれに応ず。
「親友というものはいいものじゃ。二人でおれば銀河の彼方までいけるような気になる。
余も若いころより親友がおったからの。――そんな親友であるそちに、余の親友を紹介しておこう。」
さらさらと紙に何事かを書いた皇帝は、メイド(おそらく彼女も皇帝の手の者なのだろうとこのときキルヒアイスは理解した)の差し出した封筒にそれを入れた。
「何かあったら彼を頼るとよい。頼りになることは間違いないからの。おぬしらのことをよく頼んでおいた。」
余計なことを、という風にラインハルトは眉をひそめ、アンネローゼに「めっ」とされていた。
「ジークフリードよ。汝はわが孫の『よき友』であってくれよ。」
そう言った皇帝の顔は、晴れ晴れとした表情をしていた。
――それから数時間のこの「顔つなぎ」といわれる会見における会話を、歴史学者はいろいろと空想している。
実のところ、彼ら自身によると「思い出話以上のものではない」とのことなのだが、学者という人種はいつも空想をたくましくするものなのである。
最終更新:2012年02月24日 23:52