855 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/03/04(日) 18:35:31
 1940年代中ごろから、極東のソ連=中国国境地帯は実に悲惨な状態となっていた。

 国境地帯とはいうものの、それを管理すべき両国はその力に乏しく、
その隙間を縫うようにして食い詰めた軍閥崩れなどが盗賊として蔓延していたのだ。
ソ連極東軍や中華民国軍は"気が向けば"これを取り締まっていたが、
なにしろ討伐される賊よりも新たに現れる賊の方が多いため対応が追いつかず、
本格的に取り締まろうにもソ連は欧州で戦争中、中華民国もグダグタの状態では不可能。
盗賊の取り締まりが民家からの"徴発"を兼ねている事も多かったため、
この地域にはどこにも救いが無いのではないかと思えるような状態だった。

 しかし、この世に善人だけの国が存在しないならば、
逆もまた真。悪人だけの国も存在しないのである……



      提督たちの憂鬱 支援SS ~ソ連極東軍のちょっといい話~



 早朝、国境地帯の寒村にモシン・ナガンの銃声が響き渡る。


「クズモフ、そっちだ!建物の影に2人入り込んだ!」

「馬だ!連中の足を奪え!カラマーゾフ、騎手だけを狙うんだ!」


 村の至るところがロシア語と中国語の怒号でごった煮になっていた。
そして、赤軍の軍服に身を包んだ兵たちが素早い動きで武装した中国人――匪賊を包囲殲滅していく。

856 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/03/04(日) 18:36:21
 戦闘の行方は誰が見ても明らかだった。
赤軍側はよく訓練が行き届いており連携も取れている。
一方の匪賊側は逃げに回っていたほか、各人の行動もばらばらだった。
人数的にも赤軍側は20人はおり、匪賊は騎乗している者もいるが残りは12人程度。
戦闘はそれから30分ほどで片が付き、最終的に匪賊は9名が射殺され、
3名が逃亡に成功。対する赤軍は全員がほぼ無傷だった。


「有難うございました。これで私どもも少しの間ですが、食い繋ぐことができます」


 匪賊を撃退した赤軍部隊に対し、村の中心で長老を始めとした村人達が膝をついて礼を述べる。
礼を受けた部隊の隊長は、やや訛りがあってたどたどしいながらも、
おそらくは必要に迫られたのと気合によって体得したのだろう中国語で答える。


「礼ならば近隣の村に言って下さい。それらの村が派手に襲撃されたので、
 我々も連中が次はここに来ると踏んで待ち伏せできたのですから」


 それでもと家の中に隠してあった稗を差し出そうとする長老と、
それを固辞する隊長とのやりとりが数度続いた後、赤軍兵の1人が隊長の所へ来た。


「同志グラドゴフ少尉、戦果の集計が完了しました」

857 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/03/04(日) 18:37:18
「分かった。馬は何頭生け捕りにできたか?」

 伍長の階級章を付けた妙に嬉しそうな男の呼びかけに気付いて、グラドゴフ少尉は尋ね返す。

「大戦果ですよ!8頭も捕まえました。全く、どこに溜め込んでいたんでしょうね?」

「8頭もか!良くやったグニエブコ伍長。では死んだ馬は何頭だ?」

「あー、それは……確か5頭です。残りには逃げられてしまいました……申し訳ありません」

 グラドゴフが辺りを見回すと、確かに流れ弾を喰らった馬が血を流しながら転がっているのが見える。
それを見た少尉は、少し考え込んだ後で部下全員を集めると指示を出した。


「例によって生け捕った馬を一まとめにしておくんだ。あと死んだ馬もここに持ってきてくれ」


 このグラドゴフという男はよほど指揮下の兵隊を上手く掌握しているのだろう、
彼の号令一下、8頭の痩せ馬は1つの縄に繋がれ、倒れている馬は長老ら村人の前に重ねられた。
一体どういう意味があるのか分からない村人達に向かい、
少尉が言った言葉は彼らを狂喜させるに値するものだった。


「皆の感謝の気持ちは分かるがここは一応国境地帯という事になっているから、
 我々がここで何をしていたかはどうか秘密にしておいてもらいたい。これだけはお願いする。
 あと、生きている馬はこちらが貰っていくが、死んだ馬の方は皆で好きに処理してくれ。
 この場で焼いて食べようが干し肉にしようが、畑で働かせようが我々は一切これに関知しない」

858 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/03/04(日) 18:37:58
 一斗缶が何本あれば入りきるか分からない位の感動の涙に満ちた村を、
抵抗する気力さえ無いといった風な痩せ馬を引っ張りながら帰途に着く赤軍の列の中で、
N.P.クズモフ二等兵がディミトリ.A.グラドゴフ少尉に話しかける。
どうやらこの部隊には階級差による意識差といったものが希薄らしい。

「どうして死んだ馬も持ってこなかったんです?
 あれがあれば、帰還したら皆に馬肉を振舞えたのに」

「その死んだ馬は誰が運ぶんだ?それに今の政治将校殿は、
 こういう事を好かない奴だよ。死んだ馬はああしておいた方がためになる」

「全く、ユーリ少佐が前線に転属になってからは悪い事尽くしだ。
 あの人は宴会だって容認してくれたし、機械いじりまで教えてくれた。
 それが今じゃガチガチに窮屈な生き埋め状態だ!」

「クズモフ、プラトノフ少佐の前でそういう事は言うなよ」

 少尉に返り討ちに遭ったクズモフは前任の政治将校の事を思い出して悪態を付き、またたしなめられた。


 彼らは本当は、匪賊討伐のためこの村に出撃したのではなかった。
彼らの本来の任務は、『大祖国戦争を推進する赤軍のための物資徴発』だったのだ。
しかしそれに嫌気を感じていたグラドゴフは、このように匪賊から武器や馬を奪うなど、
いわゆる『義賊』もどきの事をして、政治将校に対しては任務を遂行しているように見せかけていた。

 ディミトリ・グラドゴフはモスクワで共産主義のドグマを体中に刻み込んだ人間だったが、
いざ現場に出てみると、現実と共産主義の理想との狭間にあるギャップにこれでもかと言うほど苦しめられた。
彼は彼の(共産主義者としての)良心の苦しみを、こういう事をして埋め合わせていたのである………


                  ~ f i n ~

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最終更新:2012年03月05日 21:41