568 :ひゅうが:2011/11/12(土) 15:28:33

提督たちの憂鬱支援SS――ヒトラーの一服


――1943年 ドイツ ベルリン

「手ぬるい!相手はあのソ連軍だぞ!もっと強力な戦車を局所に集中し、航空機の万全な支援のもとで突入させるのだ!そうだ。赤軍のトゥハチェフスキーがやろうとしたことを我々がやってやるのだ。あの大粛清の代償をスターリンに思い知らせてやれ!」

今日も今日とて、アドルフ・ヒトラーは電話の向こうに怒鳴っていた。
とはいっても以前のように早期の攻勢に出るためではない。

よくよく考えてみた結果、彼は今までの戦争指導を見直すことにしたのだ。
もともとヒトラーの作戦立案能力は「参謀タイプとしては」意外に高い。
そして、持ち前の記憶力を活かして彼はバクー前面に巨大な「スチームローラー」のような大兵力を敷き、間断ない攻撃を計画していた。
そのためには、信頼性の高い中戦車の大群と地上支援用航空機、そして制空戦闘機がいる。
ソ連機が高性能であるため、彼はあえて数にこだわっていたのだ。

精神主義のみに頼っていては、先の大戦の西部戦線のようになってしまう。
が、現地での独断専行をよしとするドイツ軍は、計画通りに「自分たちで自由に」戦争をやりたがっていた。
彼のお気に入りである英雄ロンメルが北米で成功をおさめつつあることもそれを後押ししていた。

「ふう。今日はこれくらいにするかな。」

時計を見てヒトラーは呟いた。
主治医を変えてから体の調子はすこぶるいい。
あのモレル医師がインチキ治療法をやる傍ら、OSSから怪しげな薬を入手し食料品に混ぜていた農場を贔屓にしていたことがバレ、北米で伝染病研究の業務をいただいていた。
かわって主治医となったショーペンハウアー医師は、ドイツ人らしく頑固ではあったが誠実で、ヒトラーは彼の気質を気にいっていた。
この時代ではまだ一般的ではない自然食品志向や禁煙にも理解を示してくれているのが彼には嬉しかったのだ。

そんな新しい主治医が教えてくれたのが、「一日のうち絶対に仕事をしない時間帯を作ること」だった。
あのドゥーチェのようにというのが少し癪ではあったが、朝の寝起きに体操をした後で乗馬をひとしきりやり、フレッシュフルーツジュースを飲むようにしてからは気力体力ともにあの30年代初頭の頃に戻ったようだった。
今では、ベルリンの通りを馬でゆき、道行く人と挨拶するのは彼の楽しみとなっていた。

「さて、今日の『ひだまり君』はどんな様子かな?」

休憩室に入ったヒトラーは、眠りしなに聞くにはこちらの方がよいと渡された「シチリア―ナ」のレコードをかけながら、部屋の隅に「いる」、変わった人形に目をやった。
ソファーに腰を下ろし、ミネラルウォーターの封を切ったヒトラーは、丸い頭とぷっくりした胴体をもつその人形の動きを見て顔をほころばせた。

聞けばこの人形が首を振る周期は、ろうそくの炎のゆらぎや心拍など、人間がリラックスできる「F分の1周期」と呼ばれるものなのだそうだ。
考え出したのがあの極東の人間だというのは少し思うところがあるが、使えるならば気にしない。
彼らもまたインドの古きアーリアの影響を受けつつもチャイナに対抗し、独自に文明を発展させたという点では、ゲルマン人とローマの関係に似ていると思えばいい。
医師の受け売りだが。

暖色系の色で彩られた「森の木の精」であるこの「ひだまり君」は、日によって首を振る方向やパターンが違っており、ひそかなヒトラーのお気に入りとなっていた。
エヴァにプレゼントされた縫いぐるみも、ひそかにベッドのそばに置いている。

ゆっくりと、リラックスし、床に入るまでの1時間ほどのまどろみを、ヒトラーは楽しんだ。

翌朝、そのままソファーで眠ってしまっていた彼に綿毛布がかけられていたのは余談である。


【あとがき】――きれいなヒトラー(笑)シリーズ第2弾?某トミーが発売していた「ひだ○りの民」をヒトラーが手にしたようですw
史実でもOSSは有機食材を愛する彼の専用農場を突き止め、そこに大量の女性ホルモンを盛る作戦を行っていました。
作戦がどうなったのかは不明ですが、一部ではこのときの一服のおかげで、スターリングラード戦など、その後のお粗末な戦争運営につながっていったという説もあるとか。
この世界では・・・どうなんでしょうねw

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最終更新:2011年12月30日 23:19