758 :yukikaze:2012/02/25(土) 23:24:17


自分の許しもなくずかずかと入ってきた老人の姿を見て、怒声を
浴びせかけようとしたフレーゲルであったが、すぐに興味を失ったのか
顔をそむけると、再びグラスを傾けていた。
その姿と、部屋に充満している酒の匂い、そして床に散らばっている
ワインの瓶の多さに、グリンメルスハウゼンは、内心顔をしかめるも
表情にはそういった素振りも見せず、声をかける。

「安酒じゃの。まあこれでも飲め」

そう言って、自身が持ってきた酒瓶をそれこそ無造作に
グラスに満たす。
フレーゲルは面白くもなさそうにそれを見ていたが、のろのろと
手を伸ばすと、機械的にグラスを傾け酒を飲み干した。
それがどれくらい続いたであろう。
フレーゲルがグリンメルスハウゼンに、何回目かの空になった杯を
突きつけた時、これまでのように酒が空の杯を満たすことはなかった。
フレーゲルは不機嫌そうに空の杯を振るが、やはり満たされることはなかった。

「おい。早く注がんか」
「さっきので打ち止めじゃ」

どこか呆れ果てたようにグリンメルスハウゼンは告げる。
酔いのまわった眼で見てみると、確かに酒瓶は空になっていた。
フレーゲルは舌打ちをすると、部屋を見渡し、まだ中身の残っている酒瓶を
探そうとするがどれもこれも空になっていた。

「おい。酒だ!! 酒を持ってこい!!」
「そこまでにしておけ。これ以上飲めば命に係わるぞ」

だが、グリンメルスハウゼンの言葉に、フレーゲルは煩わしげに手を振ると
しつこく酒を持ってくるよう騒ぎ立てる。
その態度に、グリンメルスハウゼンは軽くため息をつくと、ポケットに
忍ばせていた酒の小瓶をフレーゲルに突き付ける。

「もう一度言っておくが、飲むのはやめておけ、死ぬぞ」
「構うものか。死んだ方がマシだからな」
そう、自暴自棄な目でグリンメルスハウゼンを睨むと、
小瓶を鷲掴みにし、一息に飲み干してしまった。
そしてそれを、グリンメルスハウゼンは目を細めて呟く。

「戯けめ。味わって飲めばいいものを」
「説教なんぞ御免だ。酒を持っていないのならさっさと出ていけ」
「説教? 馬鹿を言うな。それは毒酒ぞ。末期の酒故、味わって飲め
ば良いものをと言う意味よ」

760 :yukikaze:2012/02/25(土) 23:25:10
それを聞いて、フレーゲルは大きく目を見開いた。
酔いのまわった彼の頭にも、「毒酒」と言う言葉は
きちんと理解できたらしい。
顔面は蒼白になり、唇はわなわなと震えだし、視線がきょろきょろと
落ち着きなく周囲をさまよっている。
不意に、彼は腹と喉に違和感を覚えると同時に、嘔吐した。
そして嘔吐したことに、彼はますますパニックを起こして、
あたりかまわず嘔吐を繰り返し、ぽろぽろと涙を流し始めていた。

「おい。何でそんなに慌てるんじゃ? 死んだ方がマシなのじゃろ?」

心底不思議そうな声で尋ねるグリンメルスハウゼンに、フレーゲルは
ヒステリックに騒ぎ立てる。

「うるさい黙れ。早く何とかしろ!!」
「さて。酒もなくなったしの。おぬしの望み通り儂は出ていくとしよう。
心配するな。もうそろそろするとお主はヴァルハラへと旅たつでの。
あそこで満足するまで酒を飲むと良い」

そう言うと、グリンメルスハウゼンは用が済んだとばかりに、ゆっくりと
部屋を後にしようとする。
そしてその姿を見て、フレーゲルは奇声を上げ、グリンメルスハウゼンの
脚にしがみつく。

「待ってくれ。助けてくれ老人。礼ならば何でもする」
「面倒な男じゃの。死にたいと言ってみたり、生きたいと言ってみたり
何が望みなんじゃ? お主は?」
だが、フレーゲルはグリンメルスハウゼンのうんざりした声にも構わず、
しっかりと足にしがみつき、助命を懇願するのみ。
その姿に、心底疲れを覚えたのか、グリンメルスハウゼンは懐から
錠剤を一つ取り出すと、フレーゲルの目の前に放り投げる。

「ほれ。解毒剤じゃ」

それを見てフレーゲルは、脱兎のごとく飛びつくと、脇目も振らずに
錠剤を飲み干す。
そこには貴族の誇りとかそういったものは欠片もなく、ただただ生への
渇望しかなかった。
それからしばらくし、ようやく落ち着いたのであろう。
フレーゲルは猛然と食って掛かる。

「貴様どういうつもりだ!!」
「どうもこうもない。そちの望みをかなえてやっただけよ。
酒を飲みたいといった故に酒を渡し、死にたいと言ったので毒酒を飲ませ
生きたいと言ったので解毒剤をやった。それ以外の何がある」
「ふざけているのか!! 俺をだれだと思っている!! 俺は・・・」

そこまで言って、フレーゲルは一瞬言葉に詰まる。
普段ならば、ブラウンシュバイク一門であることを誇りと共に言ったであろう。
だが、今の彼のおかれた状況では、一門の名を出しても、却って愚弄される
事くらいは、彼は理解していた。
彼は悔しそうにグリンメルスハウゼンを睨みつけるが、グリンメルスハウゼンは
全く相手にもしていない。

「お主は・・・何故そう荒れるのじゃ?」

どこか諭すようにグリンメルスハウゼンが問いかける。

「儂にはわからんな。おぬしは何も失っていないではないか」
「利いた風なことを言うな!! お前如きに何がわかる!! 
俺は叔父上の信頼を失った。華やかなオーディンから、大日本帝国という
辺境に飛ばされることになった。俺は何もかもなくしたのだ!!」

761 :yukikaze:2012/02/25(土) 23:26:17
そう発言したフレーゲルの言葉には確かに絶望の色があった。
恐らく、門閥貴族の何割かは彼の言葉に同意したであろう。
だが、グリンメルスハウゼンはその例外であった。

「何を言うかと思えば、お主は何もわかってはおらぬの」

どこか呆れた口調のグリンメルスハウゼンに、フレーゲルは
怒気の籠った眼で彼を睨みつける。

「そう。わかっておらぬ。ブラウンシュバイク公がお主を見離したのなら
お主は既にあの世に行っておる」

その言葉にフレーゲルの怒気は一瞬のうちに霧散する。

「な・・・何を言っている」
「当然であろう。ブラウンシュバイク公爵は一門の頭領なのだ。そして
そちは一門を危険に犯した。頭領が採るべき道は一つしかあるまい」

その言葉に、フレーゲルはガタガタと震えだした。
彼は叔父の優しさは理解していたが、叔父の恐ろしさは未だかつて経験
していなかった。そしてそれが彼に恐怖を覚えさせていた。

「一門を危険にさらせたとは・・・」
「知れたこと。ペーネミュンデ侯爵夫人の一件よ。仮にリッテンハイムや
リヒテンラーデの一門の誰かが、お主と同じ行動をした場合、お主はどう思う?」

答えるまでもなかった。
ペーネミュンデ侯爵夫人と組んで、宮中での勢力を増大させると見なしたであろう。
そしてそれは明らかに自分達への敵対行為であると。

「分かったであろう。本来ならばお主は殺されても仕方がなかったのだ。
だが、公はそちに何と言った?」
「大日本帝国に行って誇りを学びなおせ」
「そう。公爵はそちに機会を与えたのよ。あの大帝陛下ですら一目置いた古の
帝国に赴き、今一度自分を見つめなおせと。それを以て、まだなくしたというか?」

フレーゲルはそれに答えず、ただ顔を覆って泣いていた。
彼は今更ながらに、自分がいかに叔父に愛され、そして
それを理解していなかったことに気付いたのだ。

その姿に、グリンメルスハウゼンは軽くうなずくと、
今度こそ部屋の出口へと足を運ぶ。

「男爵。さっきの毒酒の件だがあれは嘘じゃ。解毒薬も
ただの睡眠薬。公爵の言葉を噛みしめ、ゆっくり休むがよい」

そしてフレーゲルは、その後ろ姿に対して、生まれて初めて
感謝をこめて頭を下げた。
彼の言葉がなければ、永遠に自分は愚か者だったであろうこと
に気付かせてくれたことに対して。



「行ってきたか。グリンメルス」

どこかおもしろげな口調で皇帝は老友に言葉をかける。

「全く・・・手のかかる小僧でしたわ」

憎まれ口を叩くも、グリンメルスハウゼンの目は笑っている。

「しかしグリンメルス。今回はいったいどのような気まぐれじゃ?
フレーゲルの所に行くと言った時は、始末でもつけるのかと思ったが」
「なに。あの者が死ねばブラウンシュバイクは暴走しかねませんでな。
今はまだその時期ではございますまい」
「何ともはや」

そう呆れたような声を出す皇帝だが、真意はそんなものではないことも
理解していた。

「まあよい。これで奴が学べばよし。学ばずに滅びるのもよし」
「御意」
深々と頭を下げるグリンメルスハウゼンは、心中呟いていた。

(これが儂に出来るせめてもの手向けよ。フレーゲル・・・我が
不肖の大甥よ。しっかりと学ぶのじゃぞ)

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最終更新:2012年03月07日 22:04