860 :①:2012/03/10(土) 04:40:42
このSSはある史実のドイツ敗戦間際のコンサートのCDを聞いて、憂鬱アメリカだったら
というお話です。
そういえば、ある亡命指揮者と副指揮者の奇跡話もあったなと思って無理やり合体させたものです
音楽は好きなんですが、専門知識がないので(政治的なほうは大丈夫なんですが)
クラシック好きな方には不満が残るかも。アメリカ風邪や暴動流行しているのにコンサートも無理な気がしますが

でも、「悲劇の中にちょっぴり希望が見えるかな?」な、未来少年コナンな話好きなんで書いてしまいました。
楽しめないかも知れませんが読んでやってください。





「廃墟の中で」

1

津波の遡上によって少なからず被害を受けたにもかかわらず、
何とか都市機能を維持していたオールバニも、
アメリカ風邪によって州知事のデューイをはじめ多くの人々が倒れ、
さらにシカゴの反政府暴動を契機に、住民と避難民が対立し、
暴徒の騒乱に巻き込まれた。

 これにより町は少しずつ廃墟と化して行き、大半は機能を失った。

オールバニはもはや州都としての役割を終えようとしていた。

そんな中、廃墟の中を一人二人と州庁舎へと出向いた人々がいた。
アメリカ風邪の流行と暴徒の影響で人々はめったに集まらなくなっていたが、今日は別だった。
 州庁舎で行われるたぶん、いや、最後になるであろう、「NYP」の最後のラジオ中継コンサートに集まったのだ。遠く離れた地でもラジオの電波に乗って暴徒に震え、風に怯え、音楽に飢える聴衆に「NYP」の最後の調べが届けられるのだ。

861 :①:2012/03/10(土) 04:41:41

2.

 かろうじてアメリカの栄華を伝えている州ホールにバッハの荘厳な調べが流れる
 コンサートのオープニングはアメリカ国歌に続いて、バッハの管弦楽組曲第3番第2曲より「エール(エアー)」。
コンサートに集まった人々は、津波と風邪で亡くなった人たちを、そして滅び行くアメリカを葬送するのにふさわしいと思った選曲だった。

年老いた指揮者はゆったりとした動きで指揮をしている。ユダヤ人としてドイツとオーストリアを追われ、亡命してやって来たアメリカでも津波と風邪という災厄に襲われた。

 彼はもう亡命する気はなかった。

 国を追われた自分を温かく迎えてくれたアメリカを去るつもりはなかったのだ。
 苦難に立ち向かう人々を置いて、自分だけがまた新しい土地に向かうなど彼には出来なかったのだ。
 彼は、死者の魂を慰め、また災厄に耐える人々を慰めるように荘厳でありながらも、あたたかいバッハの調べを紡いでいく。

 しかしその調べが途切れた。彼もついに倒れたのである。楽団員たちが
倒れた指揮者を楽屋裏へと運んでいく。ラジオのアナウンサーが心配そうに実況を流している。

 指揮者がソファに横たわった。

 「先生!大丈夫ですか!」

 舞台裏で待機していた副指揮者が彼に近寄る。

 「…もうこの町にバッハはふさわしくない、死者を悼む時は終わったのだ」

 熱にうなされるように指揮者は言った。

「…アメリカは滅んだ。だがアメリカは再建されなければならない。しかしその任は年寄りで外国人の私では無理だ…」

指揮者は若い副指揮者の手をとった。

「…君の前途は多難だ、アメリカは倒れた。これから私のような外国人がこの新世界にやってきてバラバラにしようとするだろう。彼らの独自の価値観を押し付けようとするだろう。だが…」

指揮者は手に力をこめた、まるで何かを伝えるように。

「君はこの新世界で生まれ育った…ユダヤ人ではあるが魂はアメリカ人だ
アメリカを、新しい若者たちに伝えなければならない。最初は外国人で侵略者かもしれない。しかしここで生まれ育ったものはみなアメリカ人になる可能性がある。それがアメリカだからだ」

指揮者は自分の持っていた指揮棒を彼に渡した。

「先生?」

「行きなさい、私はもう無理だ。バッハもモーツァルトの協奏曲もベートヴェンの交響曲も今はふさわしくない。君が考えてアメリカの音楽を指揮しなさい、コンサートを続けるんだ」

そう言って、かつてドイツに名を轟かせた名指揮者、ブルーノ・ヴァルターは目を閉じた。

(新しい若者たちに伝える、アメリカの音楽…)

指揮棒を受け取った若い副指揮者は考えた

「…マエストロ、お客様がお待ちです。コンサートの続きを」

楽団員が新しい指揮者を促す。

「…わかった、行こう」

受け取った指揮棒を下げて、副指揮者はコンサート会場へと向かった、

「アメリカ」を伝える為に―

862 :①:2012/03/10(土) 04:42:31
3.

待っていた聴衆は若い指揮者が入ってきて落胆した。
ブルーノ・ヴァルターが再び指揮台にのぼり、滅び行くアメリカを葬送するのにふさわしい音楽を再開してくれると思ったのだ

―やはりマエストロもダメか…―

聴衆は音楽の神から見放された気分だった。神がヴァルターを指揮台にあげないのは、葬送するのにふさわしくない国、それが今のアメリカ、と神から告げられたようなものだった。

バッハは中断、次のモーツァルトのピアノ協奏曲とベートヴェンの「英雄」は、カスのような新人指揮者にむちゃくちゃにされるだろうと聴衆は思った。

(惨めなアメリカにふさわしい最後かもしれない)

聴衆は諦めて新人指揮者が音楽を再開するのを待った。

若い指揮者は予定通りピアノに座る。もう一度オーケストラが音合わせをする。
しばらく沈黙が流れた後、若い指揮者が指揮棒をピアノに置き手を軽く合図をNYPに送った―

予想もしない音がホールに響き渡り、聴衆は目を剥いた。

断続するクラリネットの音。

それは滅び行くアメリカにふさわしい、モーツァルトではなかった。

ジョージ・ガーシュイン「ラプソディー・イン・ブルー」

アメリカ人なら誰でも知っている彼ら自身の音楽。
アメリカそのものだった。


―副指揮者レナード・バーンスタインが奏でるピアノを聴いて、ブルーノ・ヴァルターは

(それでいい…)

 混迷する意識の中でヴァルターは笑った。

 これからアメリカは苦難の連続だろう。しかし若者たちが奏でる音楽がある限りアメリカは完全には滅びない。いつかアメリカは復活する。アメリカは若者の国だから…

(そしてドイツも…)

今はドイツ人も熱にうなされているだろうが、いつか自分たちの誤りに気づくときが来るだろう。そのときこそ真のドイツ音楽が復活する。いやドイツもユダヤも関係ない音楽の純粋さが、芸術が甦る。

(その時、あの懐かしいベルリンの国立歌劇場で、フィルハーモニーでまた指揮できるだろう…その時まで任せたぞ、ヴィリー…)

ドイツの指揮者ブルーノ・ヴァルターは故国から遠く離れた、混乱の極みの新世界で目を閉じた。

若者たちが奏でる希望の音楽に抱かれながら…

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最終更新:2012年03月12日 22:21