598. ひゅうが 2011/11/19(土) 17:40:54
※問題が多いようなので先のSSは忘れてくだされば幸いです。

提督たちの決断支援SS――「図面描者」

――西暦1943年2月  欧州  ストックホルム

「では、第1回の国際防疫会議機構(仮称)  設立準備会  作業部会会合をはじめたいと思います。」

座長をつとめるペル・ユデーン医師がおもむろに宣言した。
スウェーデンの王都ストックホルム。
ここに参集していたのは、列強諸国の軍医たちや国家医療の中枢に位置する者たちだった。
議題はただひとつ。

現在、北米大陸で猛威をふるう「アメリカ風邪」に対抗すべく国際的に共同であたる下地作りであった。

「まずは、パスツール研究所での分析結果から。」

ドイツ代表のフォン・ルーデンドルフ医師がヴィシー政府から派遣されてきたというパスツール研の研究者を促した。


「英国の協力をもちまして、わがパスツール研で慎重に分析を行いましたところ、病原体の特定にほぼ成功いたしました。」

おおっ。とざわめきが起こった。

「静粛に。」

パンパンと手が叩かれ、やがて静かになる。
研究者は咳払いすると、スライドになった写真を映しだした。

「アメリカ風邪の病原体は、今のところこのペスト菌によく似た細菌によりなされるものです。しかし――」

「細菌を取り除いた培地からも病原性――つまりは何らかのウィルスが存在することが判明している、と?」

「さすがは理研の内藤博士。やはりあなたがたも知っておられましたか。」

「いえ。これで私もある確信を持てましたので・・・続けてください。」

日本の代表として参加している内藤良一博士は、恐縮するパスツール研の研究者に割り込んだ非礼を詫びた。


「内藤博士の言葉で自信が持てましたよ。ありがとうございます。――んんっ。
ご参集の皆さんもご存じかと思いますが、ペスト菌はネズミを媒介とし、その血を吸ったノミなどに人間が噛まれることで体内に入り、リンパ節を冒します。
その過程で皮膚が黒く変色することから黒死病と呼ばれていますが、この腺ペストが流行した地域においてはまれにペスト菌が肺を冒します。
これが肺ペスト。この時点で致死率はほぼ100パーセントに達します。いずれも発症は感染から2日から5日の間。そして肺ペストの場合、死亡まで2日ほど苦しみぬきます。」

スライドは次々に切り替わる。

「今回のアメリカ風邪は、一面でペスト菌の変種により引き起こされたものと考えて間違いないでしょう。しかし、何より恐ろしいのは、アメリカ風邪の病原体が1つではないと考えられるからです。
先ほどのスライドにもありましたように、ペスト菌によく似た細菌は分離できました。しかし、これを取り除いた後の培養地に、これも未知の病原体が少なくとも複数潜んでいることが分かっています。ウィルスといっていいでしょう。」

「それらは、単独でヒトの細胞に害を為すのですか?」

「その通りです。その害は、人体の免疫能力を一定の範囲で欺瞞することにあります。」

どよめきが起こった。
599. ひゅうが 2011/11/19(土) 17:41:44
「静粛に。アメリカ風邪の主要な症状は、肺の炎症、粘膜からの出血、細胞組織の破壊などなどが挙げられていますが、これらの経過は肺ペストに酷似しています。
実際、人体の破壊をもたらすのはこのペスト菌と親戚関係にありながらも血液媒介ではなく風邪のように空気中を漂うことができる芽胞を持つ細菌です。
土壌に落ちてしまった場合の生存率は高くはありませんが、それでもくしゃみなどで簡単に感染してしまえるでしょう。
さらに、この『芽胞ペスト菌』というべき菌に、おそらくは『共生』する形でウィルスが存在します。
単体では、ヒトの肺などの粘膜に取り付いて白血球数を著しく増大させるかたわら、免疫により次第に駆逐されていくのですが――その期間は7日から15日程度かかります。

一定の状況下――つまりは人体などの生物体にとりつき、免疫細胞の攻撃を受けるなどをすると、このウィルスは簡単に「剥がれおち」ます。そして、免疫細胞にこのウィルスだけが敵だと認識させてしまうのでしょう。これを『囮ウィルス』と呼びます。
その間に『芽胞ペスト菌』が肺を冒していくのです。

さらに恐るべきことに、芽胞ペスト菌はその生物活動とともに『囮ウイルス』とそれ以外に用途が不明な病原体をまき散らすことです――」

つまりはこういうことだった。

ペスト菌と何らかの形でセットになっているウィルスがある。それが本来は空気中をそのまま漂って直接感染するほどには強くないペスト菌(それでも感染できる肺ペストの一種ではあるが)を何らかの形で保護しているらしく、それは空気中を風邪と同様に浮遊できる。
そうなると、人体に接触できるのは肺や目などの粘膜だ。そこから体内に入ったペスト菌は、空気中の芽胞状態が嘘のようにペスト菌としての増殖を開始する。
これを攻撃するために出てきた白血球などの免疫細胞は、『外側を覆っている』ウィルスに騙されて攻撃対象をペスト菌が増殖とともにまき散らすウィルスに向けてしまうのだ。

その隙にペスト菌は肺の中で縦横無尽に駆け回り、組織を壊す。
簡単なウィルスである外側の『囮ウィルス』はそのうちに免疫細胞により、より効率的な排除ができるようになり内側の肺ペスト菌への攻撃もできるようになる。
だが、細菌の活動とともにまき散らされる別のウィルスが体内に炎症を引き起こし、肺だけでなく全身から体力を奪っていくのである。


「人体の免疫を逆手にとって騙し、増殖するか・・・恐ろしいウィルスだ・・・」

内藤はひとりごちる。


「まさか、レトロウイルスか?細菌と共生状態の。レトロウイルスがペスト菌の遺伝子を書き換えて自らそこへ入り込んだとすれば筋が通る・・・肺ペストが問題なのではないな。ひょっとしたら感染後の人体の細胞に入り込んで塩基配列を書き換えているかもしれない――」

21世紀の医学知識を持ついわゆる「夢幻会派」である内藤は背筋が凍っていくような感覚と、学問的な興奮を抑えられなかった。

人間の遺伝子の中には、少なくとも数個のウィルスが作用し書き換えられたと思われる配列が存在する。
レトロウイルスと呼ばれるウィルスは、「自ら対象の細胞内に入り込み、遺伝子の複製過程を利用し自己を複製する」。
その過程で、入り込んだ先の遺伝子の中から出られなくなったり、複写過程で異物が入ることからの転写ミスが発生することが多いのもその特徴だ。
そしてそういった変化は――突然変異を誘発するかもしれない。

いうなれば、生物の進化を促進する働きを持ったウィルスであるかもしれないのだ。

「ペスト菌は残念ながらワクチンはないが・・・抗生物質を使えるかもしれない。
だがこのレトロウイルスを使って免疫細胞の強化が行えれば・・・いや・・・遺伝子操作にも使えるかもしれない・・・」


天然のナノマシンを手にできるかもしれない興奮に黒い笑みを浮かべる内藤をしり目に、会議は続く。
勝っても負けても人類に何かをもたらす、アメリカ風邪。その流行を押さえこむべく各国は動き出す――
600. ひゅうが 2011/11/19(土) 17:45:31
【あとがき】――妄想をたくましくして肺ペストが広く流行する下地を考えてみました。
いぜんにSSで示されたのとは少し違いますが、それでも恐るべき脅威であることには変わりない・・・と思う次第。
説明文だけだとアレなので講演のような形にしてみました。

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最終更新:2011年12月30日 23:43