880 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/03/19(月) 21:57:02
 転生と言っても、転生先は(悪い意味での)有名人ばかりではない。
史実においては全く無名の人物に転生することもあるのだ。そしてそれが有名人になる、
という事例はそう少ない訳ではなかった。本人が望む望まざるに関わらず……



       提督たちの憂鬱 支援SS ~ある文豪とある男~



 東京郊外にある閑静な町の一角に佇む一軒屋、その中で1人の男が、
分厚い本を手にとって読みながら溜め息をついていた。ページをめくる手は重い。


(はぁ……やっぱり俺の事が書いてあるな。くそ、"石ころ帽子"があればよかったのに)


 彼の持つその本の表紙にはこう書いてあった。


 ―――――――――『夏目漱石全集』

881 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/03/19(月) 21:57:50
 男は物心が付いた頃には既に転生者であった。生まれは熊本市で、
"転生元の人格"は大の夏目漱石ファン。彼は自分が順調に地元の第五高等学校まで進学した場合、
入学と同時に漱石が英語の教員としてやってくるという事に気が付くと熱心に勉学に打ち込み、
『漱石に会いたい』という熱意を原動力にして見事合格、そして入学した。

 彼の知る史実通り、夏目漱石も五高へ赴任してくると、
男はすぐにでも漱石の所へ通いたい思いにかられたが、そこである事を思い出した。
史実では漱石の弟子の中でも最古参として知られる寺田寅彦の存在である。
寅彦が漱石と知り合うのは、寅彦が単位の足りない同期を助けるために漱石宅を訪れた時だ。
そしてそれが起こる前に漱石の元へ行けば……?


 男は別に有名人になりたい訳ではなかったし、
漱石門下の最古参となってどうこう、という野心がある訳でもなかった。
彼はただ敬愛する夏目漱石の近くにいたいだけだったのだ。

 そして男は漱石と寅彦の接触を待ち、それから時間を置いた後色々と理由を付けては漱石宅へ通い始めた。
会話は授業の内容に関する事が多く、また彼はできるだけ地味に、印象に残りづらくなるよう振舞った。
それならば後世記録に残されて、名前を知られるようになる事もなかろうと考えたからだ。


 男は漱石が英国へ旅立ってから、彼の帰国と帝大赴任に合わせて帝大へ進学しようとしたが、
流石に当時の最高学府の壁は高く、また軌跡が余り符合しすぎるのも不味いかもしれないと考え、
師範学校へ進路を変更。そして漱石が帰国、旧鴎外邸に居を構えると再び通い始めた。
頻繁でなければ、酷く間隔が空くでもない絶妙のバランスである。

 そうこうしている内に時は過ぎ、努めてその地味さ、
印象の薄さを醸し出そうとしていた彼の気も緩み出したのか、
男は彼にとっての大失敗を犯してしまったのだ。

882 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/03/19(月) 21:59:08
 例によって神経衰弱をこじらせていた漱石の気分転換のために、
正岡子規を通した共通の知人である高浜虚子が小説の執筆を勧めた場面、
そこに居合わせたというのがまず致命的だった。

 そして虚子が漱石宅を後にしてから、さて何を書こうかと思案していた漱石に、男はこう言ってしまったのだ。


「そうだ、先生のお宅には猫が一匹居ついているでしょう。あれで何か書いてみるのはどうですか?」


 男が自分の犯した失敗に気付いた時にはもう遅かった。
逸話に尾鰭が付くのは世の常、最終的に男は《漱石に"我輩は猫である"の執筆を勧めた人物の1人》として、
後世の漱石を敬愛する多くの人々の記憶に残る事になる。


 そもそも、『有名人になるのは嫌だ』『注目を浴びるのも嫌だ』でも『文豪・漱石先生の傍にいたい』
などという我がままな考えに無理があったのかもしれない。また夏目漱石は察しの良い人物であり、
事実友人への手紙などに男を事を指して『目立たないようにしているので逆に印象に残る』などと書いていた。

 つまり、男の努力は元々無意味な物だったのだ。勿論漱石は江戸っ子らしく正直なので、
そういう事を直接彼に伝えたりもしたのだが、男がそれで自分の空虚な努力を変える事は無かった。


 この奇妙な男の半生を表すのには、『努力が空回り』、この言葉が最も適切なのかもしれない……



                ~ f i n ~

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最終更新:2012年03月20日 21:38