886 :グアンタナモの人:2012/03/20(火) 20:10:39
 一九六四年三月二十三日。
 五発の祝砲が響き渡ると、アントファガスタ港は熱狂に包まれた。
 この瞬間を見るために岸壁まで詰めかけた市民達が、一斉に歓声を上げたのだ。
 そんな彼らの目の前で、五隻の軍艦が整然と港に入ってくる。
 払い下げられた一隻の軽巡洋艦と四隻の駆逐艦。甲板には、市民に向けて敬礼を行なう水兵達が並んでいた。

 艦隊としてはささやかな部類であるが、それでも艦隊には違いない。
 市民達は手にした国旗を。ありったけの力を込めて、大きく振るう。
 それに応じるように、各艦に掲げられた海軍旗が海風で翻る。

「我々は海に帰ってきた!」

「ボリビア共和国万歳!」

「ボリビア海軍万歳!」

 ボリビア共和国海軍。
 その昔、南米でその名を馳せた伝説の海軍が再び大洋へと踏み出した瞬間であった。



   ―― 提督たちの憂鬱支援SS 母なる海へと ――



 ボリビア共和国は南米大陸の丁度中部に位置する国家であり、かつては南米でも有数の大国であった。
 しかし、同国は度重なる周辺諸国との戦乱で疲弊し、二〇世紀に入る頃にはその威光は大きく衰えていた。
 領内に豊富な資源を有しながらも衰えた国力が故に活用できず、彼らは〝黄金の玉座に座る乞食〟と評されるまでに凋落していたのだ。
 ボリビア海軍の存在は、そんな彼らの凋落を語る要素の一つだろう。
 かつてボリビア海軍は南米屈指の精強な海軍であり、大英帝国海軍と矛先を交え、これを撃退したことすらあった。
 だがその後、続発した周辺諸国との戦争において海軍の出番はほとんどなく、やがて整備が後回しにされてしまうようになる。
 一度衰退させてしまった海軍を再び興すことが困難なのは周知の事実だ。
 こうして積み重なったツケは大きく、十九世紀後半にボリビア=ペルー同盟とチリの間で起こった太平洋戦争ではチリ海軍やペルー海軍が動き回る中、ボリビア海軍はまともに動くことすら叶わなくなっていた。
 最終的にボリビアは同戦争に敗北。チリへのリトラル県割譲という形でツケを支払わされ、内陸国へと転落してしまうことになる。
 そして、ボリビア海軍はチチカカ湖や河川で行動する海軍ならぬ〝湖軍〟と成り果てたのだった。

 このような背景から半ば意地で海軍を保有し続けていたボリビアに転機が訪れたのは、奇しく彼らがかつて経験した戦争と同名の戦争が幕を閉じ、幾年が経過した頃である。
 列強による南米大陸の勢力圏が暗黙のうちに取り決められる中、ボリビアが大日本帝国の勢力圏に収まることが決まったのだ。
 勿論、彼らは当初、そんなことを知る由はなかった。
 欧州に続いて、太平洋で大戦争が繰り広げられ、東洋の大日本帝国という国が勝利し、南米に席巻していたアメリカ合衆国が消滅した。
 正直なところ、始めのうちの彼らの認識はたったそれだけ。
 明確な変化を感じ始めたのは、ボリビアの地に日本人が姿を現し始めた頃であった。
 この頃になると、日本がどのような国であるかはボリビアの地にも伝わるようになっていた。
 米国を滅ぼし、欧州諸国にすら勝る力を持つ有色人種を――欧州では日本人を〝第四の人種〟とする動きすらあったらしい――を中心とする列強国。
 白人やインディオなどの多様な人種と民族を抱え、なおかつ敗戦をバネに〝ボリビア人〟としての連帯感を高めつつあった彼らにとっては、実に興味深い国だったと言えるだろう。

887 :グアンタナモの人:2012/03/20(火) 20:11:19
 ちなみに日本人がボリビアの地に現れたのは、当然ながら理由がある。
 彼らの目的は、同国内に存在する天然ガスや希少鉱石といった資源。中でもウユニ塩原に眠る大量のリチウムであった。
 世界に存在する量のおよそ半分が眠っているとされる同地は、燃料電池などの次世代技術を見据え始めた日本には是が非でも確保したい場所の一つだったのだ。
 彼らはボリビア共和国政府関係者と交流を持ち、やがて同地での共同資源開発を始めるに至る。
 そして、史実では有り得なかった有効な資源開発の恩恵を受けたボリビアは、一気に躍進を開始した。
 日本の支援を受けながらの――高木という助言者の存在があったとかなかったとか――経済改革。
 同じく日本の影響権に収まった、ペルー共和国との連携再開。
 ブラジル連邦共和国やアルゼンチン共和国へ対抗するための国軍近代化。
 潤沢な資源を使い〝黄金の玉座に座る乞食〟が、玉座に座るに相応しい者へと変化していったのだ。
 そんな中、南米の、彼らとはまた別のところで起きた変化が、ボリビア共和国を再び青き大海へと導いていく。
 それはチリ共和国の経済難であった。

 忘れてはならないが、南米大陸は列強諸国の勢力圏が隣接し合っている地域である。
 英欧の衝突が数次に渡る中東戦争という形で常態化した中東や、白米(はくべい)――空白のアメリカの意――を巡る日独の衝突が度々巻き起こる北米に負けぬとも劣らないホットゾーンなのだ。
 もっともそれらと違う点を挙げるとすれば、中東や白米では列強同士が直接衝突するのに対し、南米では列強の代理国家同士が睨み合っている点だろう。
 具体的に言うのなら、ブラジル連邦共和国とアルゼンチン共和国、チリ共和国の三カ国であった。
 この三国は列強による勢力圏分割を経て、ブラジルとアルゼンチンは欧州枢軸の。チリは大日本帝国の影響圏に収まった。
 当初は大西洋大津波の被害を受けていない分、大なり小なり被害を被ったブラジルやアルゼンチンよりも、チリが優勢を保っていたとされる。
 されど、ブラジルやアルゼンチンが津波から立ち直り始めた一九五〇年代中頃から、その旗色は変化し始めた。
 彼らは元々〝ABC三国〟として、互いが互いを睨んで軍拡し合っていた訳であるが、そのうちのアルゼンチンとブラジルが欧州枢軸の影響下で連携を強化。
 これにチリが単独で立ち向かわねばならなくなったのだ。
 当然ながら、チリにそれは荷が重すぎた。
 南米大陸南端、ドレーク海峡付近でアルゼンチン海空軍と睨み合うことになったチリ海空軍は日本の援助で軍拡に勤しむも、ついに息切れを起こし始めてしまう。
 その息切れが、経済難という形で現れたのだ。
 そうして息切れしつつあったチリを見て、ボリビアは耳元である囁きを行なった。海に戻してくれ、と。
 すなわち、旧ボリビア共和国リトラル県――現チリ共和国アントファガスタ県の購入を申し出たのである。

888 :グアンタナモの人:2012/03/20(火) 20:12:02
 実のところ、当初ボリビアは戦争でリトラル県を奪還することを考えていた。
 しかしながら、日本の手前と、黄金の玉座に座り直したことで余裕ができていたのだろう。
 戦費その他と、購入費その他を天秤にかけ、購入を選択する程度にボリビア共和国は変わっていた。
 無論、単に購入するという通常の申し出だったのなら、チリは断っていただろう。
 アントファガスタ県にはチリにとって、貴重な資金源である鉱山が多い。おいそれと手放す訳には行かないのだ。
 そんなチリの耳元で、ボリビアは鉱山利権はチリのままでも構わない、と付け加えたのだ。
 完全に成金の所業であったが、かくしてチリは黄金の力に屈する。

 こうした経緯を経て、国旗の星が九から一〇へと戻り、ボリビア共和国は再び海に面した国家となった。
 それは同時に湖軍となっていたボリビア海軍が、名実共に海軍へと戻れることを意味していた。
 もっとも問題は山積みだった。
 先ほども述べたが、一度衰退した海軍が再び興ることは極めて困難である。彼らはこれからその困難な道を歩まねばならないのだ。

「ボリビア共和国万歳!」

「ボリビア海軍万歳!」

 その歩みを、彼らは今日この日に踏み出した。
 日本海軍の指導協力や、海援隊の海上部隊へ出向していたボリビア海軍人により、形となった艦隊は彼らの記念すべき第一歩なのだ。
 かつて打ち負かした海軍の弟子達に海軍を習う、という数奇な運命を辿った彼らボリビア海軍。
 彼らボリビア海軍が、ペルー海軍と共に仇敵であったチリ海軍と舳先を並べ、アルゼンチン海軍やブラジル海軍と鍔迫り合いを演じるまでには、少しばかりの時間を要することとなる。


(終)

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最終更新:2012年03月21日 14:05