905 :ひゅうが:2012/04/04(水) 07:17:11
※ 本作冒頭にショッキングな表現があります。ご注意ください。
提督たちの憂鬱支援SS――「過去からの警告~傾向と対策~」
――西暦1940(昭和15)年9月1日 日本帝国 帝都東京
「訓練――臨時ニュースを申し上げます。訓練――臨時ニュースを申し上げます。
先ほど10時12分、潮岬沖の太平洋においてマグニチュード8.5以上の大地震が発生しました。
マグニチュード8.5以上の大地震が発生しました。
現在、日本列島の太平洋側の広い範囲に大津波警報が発令されております。
今、帝都のスタジオも大きく揺れております。
大津波が来ます。日本列島太平洋側の皆さんは直ちに高台へ避難して下さい。
大津波が来ます。日本列島太平洋側の皆さんは直ちに高台へ避難して下さい。
内務省気象庁の発表によりますと、予想される津波の高さは近畿・四国・東海地方の太平洋側で10メートル以上。
繰り返します。近畿・四国。東海地方の太平洋側で10メートル以上の津波が予想されます。
この地域の皆さんは、直ちに高台へ避難して下さい。
――只今、政府から緊急避難警報が発令されました。
近畿・四国・東海地方の太平洋側の住民の皆さんに緊急避難警報が発令されました。
この地域の皆さんは、直ちに高台へ避難して下さい。
10メートル以上の津波が来ます。直ちに高台へ避難して下さい。
繰り返します。
訓練――臨時ニュースを申し上げます。訓練――臨時ニュースを申し上げます…」
帝都東京 渋谷。
半国営である日本放送協会のスタジオからアナウンサーの悲鳴のような声が発せられた。
東京都庁(帝都庁)から派遣された緊急事態連絡官がデスクに駆け込み、非常用バッテリーその他の非常用設備に関する報告を求める。
既に地下に設置された非常用ディーゼル発電機は起動しており、東京第3火力発電所からの電源供給が途切れた「状況」から電源回路はすでに切りかえられている。
回路保線担当の技官は、このときのために備蓄されている軍用の無線機で芝の東京タワーや埼玉の予備アンテナ、高尾山の広域アンテナのもとで常駐している管理人たちに連絡をとり、デスクに張り出された緊急回線図に赤や青のランプがともってゆく。
「首相官邸との直轄回線開きました。総理は10分後市ヶ谷に到着予定です。すでに車載無線で緊急即応予備命令が発令されています。」
「市ヶ谷(大本営)との回線異常なし。深谷危機管理担当官との回線開きました。」
「よろしい。」
内務省下の気象庁地震津波局(東京気象台)と直結されている5メートル四方にも達する巨大な電信配信板がまるで証券取引所のようにパラパラと表示をめくるのを確認しつつ、東京放送局の危機管理総責任者である美濃部亮吉は、アクリル板に列挙される情報を横目で確認しつつ言った。
「本職これより危機管理の指揮をとる。通達。」
「通達、美濃部亮吉、NHK危機管理の指揮をとる。」
デスクに飛び付いたオペレーター役の男が無線技士のようなヘッドセットを耳につけつつ、胸元から口へ伸びる集音管に怒鳴った。
非常時にも維持されている緊急用電話回線と公共危機管理無線に直結されているこのマイクは、既に全国の拠点局に誰が総責任者としてことにあたっているかを知らせていた。
これにともない、NHKは暫定的ながら国の監督下で非常時対策を開始し、美濃部は「NHK総裁代行」という地位に自動的に就任することになる。
「代行。調布飛行場から観測機が発進。防空総隊からの情報ですと松山航空隊、岐阜航空隊が既に哨戒機を緊急発進させています。情報は即座に入って来るよう手配しました。」
「指揮所へ移るぞ。電話担当者は揃ったか?」
「定員入っています。」
「よし。放送予定切り替え。想定状況『甲種災害』のため4直制に入る。送れ。」
「了解。代行、指揮所へはいられます。」
906 :ひゅうが:2012/04/04(水) 07:17:47
――同 千代田区丸の内 東京都庁舎
「管理官。対策本部要員全員揃いました。都知事は急行中です。」
「よし。本時刻、10時45分をもって災害対策本部を発足させる。
都内の被害状況の報告からはじめてくれ。」
赤レンガ造りの東京都庁舎、それに隣接する近代的なビルディングの地下に設置された対策本部では、帝都東京の巨大な地図と関東地方のこれまた巨大な地図が用意されており、その周囲にまるで参謀本部のような兵棋操者が習合している。
その背後では電話交換機がずらりと並び、多くのオペレーターが電話にがなりたてている。
その周囲では、制服や軍服を着た人々がそれぞれ色の違う腕章をつけ、報告らしい紙を持っていったりきたりしていた。
「すごいですね。」
そんな様子を離れたところから見ていた白人の男たちは、やっと呆けた様子から立ち直り、案内役の士官にそう述べることができた。
「ええ。こうした災害時にはともかく時間の勝負となりますから、あらかじめ危機管理担当者を決めておき、災害対策本部を即座に発足させられるようになっています。」
ほう。と男は感嘆した。
男、アメリカに本社をおくナショナルジオグラフィック誌の日本支社に今年から勤務することになったサミュエル・E・モリソン博士は「写真をとってもいいですか?」と断りをいれてからカメラマンに対策本部の様子を何枚か写真におさめることにした。
「毎年これをやっているのですか?」
モリソンは、今年から外国の報道陣にも公開されたこの「防災の日」の訓練に際し、わざわざ政府がつけてくれた案内人の海軍士官に尋ねた。
海外で駐在武官をつとめていたために見事なクイーンズイングリッシュを解する彼と、日本では珍しいラジオの同時通訳者が日本人が交わす会話を翻訳してくれているため、モリソンは取材に不自由してはいなかった。
「ええ。関東大震災の翌年からずっと。7年前の東北の地震(昭和三陸地震)の時は実際にこの態勢が実働しましたからね。
昨年からこの新しい本部ができたので、市ヶ谷の大本営と一緒に運用をはじめたところです。」
なるほど。とモリソンはメモに「日本人は戦争のように災害に備えている」と書き込んだ。
ハーバード大学で講師の職にあった彼がこの極東の島国にいるのは、アメリカ人にとってはお定まりであるあの大恐慌が影響していた。
ニューイングランドの植民時代を研究していた元陸軍士官は、大学の財政難から予算削減の一環として海外の大学に「養ってもらう」身として極東へやってきていた。
しかし、大航海時代が専門である彼はマンチュリアの日に日に濃くなっていくチャイナナショナリズムやらレイシズム満載の世界にはどうにも馴染めずに日本人のもとへまたしても追い出されてしまったのだった。
そんな彼を拾ったのが、日の出新報という新聞社と協同で日本語版を発行し始めたナショナルジオグラフィック・ジャパン社だった。
仮にも博士の名を持ち、東部の上流階級の出身である彼は社にとってもある程度は必要とされる存在だったのである。
もちろんモリソンはそれだけで終わるつもりはなく、こうして新聞記者とは違い決まったテーマを求めて現地に溶け込む「特派員」として仕事をこなしていたのだ。
幸いなことに、そんな実績は意外なところに評価されていたらしく今日はこうして危機管理の中枢にごく近いところでの取材が許可された。
「津波の第一波到達!高さ20センチ!」
907 :ひゅうが:2012/04/04(水) 07:18:41
「ああ・・・津波というのはですね。何度も押し寄せてくるものなんです。第1波はなみなみとお湯をはったバスタブにゆっくりつかった時のように最初はちろちろと水があふれ出す程度で済みますが、最後は高さ数メートル、奥行き数キロから10キロ以上という巨大な水の壁が塊になってやってくるんです。」
たかだか20センチ程度の波で緊張が走るのを見て不思議そうに首を傾げたモリソンに、士官が身振り手振りを交えて説明してくれた。
「ビッグウェーブというと、私は寄せたら数秒程度で返すものを想像していたのですが。」
「まったく違います。波はきてから数十分、ことによると数時間もひくことはありません。
そうしてとどまっている間に第2波、第3波が次々に押し寄せてあらゆるものを飲み込んでいくのです。
個人的には『ビッグウェーブ』という英語はあてはまりませんね。『ツナミ』という日本語でしか表現できませんよ。」
モリソンは、唖然としながらも頷いた。
「それで、今回の想定状況はどのようなものなのですか?」
「現在入っている情報だと揺れた範囲はかなり広いですからね。駿河湾から東海地方を通って四国南方から鹿児島近辺までの地盤が一気に動いたものでしょう。
最初から10メートル以上の津波がくることを想定していますので、233年前の宝永地震と同規模と考えられますね。」
すらすら述べた士官に、モリソンもカメラマンも「ほう」と驚く。
「海外の方にとっては、『マウント・フジが最後に噴火した』地震と言った方がインパクトがあるかもしれません。」
「それはいいことを聞きました。しかし、それだけの天変地異がまた起こるとはにわかには信じがたいのですが。」
「我が国では古来から天変地異が多く起こっていました。
アメリカの方ではウェゲナーの大陸移動説が大変な議論になっていると聞いていますが。」
「ええ。ですが、オオモリ博士が言われたような地盤移動にともなって断層のように巨大な岩盤が沈み込んでいるという説には個人的には納得していますよ?」
とりあえず否定はしないモリソンに苦笑する士官。彼もモリソンが本気で信じていないのがわかったのだろう。
908 :ひゅうが:2012/04/04(水) 07:19:16
「まぁモデルについては置いておいて、日本列島の太平洋側には深い海溝が広がっています。どうもそこを震源に、周期的に地震が起こっていることが文献上でも知られています。さらに近年は地層の堆積物を調べた結果、巨大な津波が何度も日本列島を襲っていたことも明らかになってきました。」
そしてこれが重要なのですが。と士官は言った。
「その次の周期が、近づいている可能性が高いのです。」
なるほど。とモリソンは相槌を打った。
だからこそ、日本人は過剰ともいえる備えをしているのだとようやく彼は納得ができたのだった。
「これは私の恩師である今村明恒先生の受け売りなのですが、今世紀中に東海から南海にかけての――ちょうど今回の地震の想定震源域で大地震が生じる可能性があります。
そうなると、岩盤当たりのエネルギー限界でマグニチュード8.6が限界などということなど関係なく地震は巨大化、跳ねあがった岩盤に海水が持ち上げられて大津波が列島沿岸を襲うことになります。」
アキツネ・イマムラという人物の名をメモに書き見つつ、モリソンは続きを促す。
「また、貞観地震という1100年前の大地震の記録や地盤調査からも、どうも現在のひとつの岩盤あたりに溜めこまれる歪みの限界以上に巨大な力の開放があったということも確実になっています。」
「問題は、そういった『力』の源がどこか、ということですが。」
「それは偉い先生がたにお任せしていますよ。ですが私たちが重視しているのは、それが『周期的に』かつ『過去何度も』やってきたことです。
干ばつに備えるように災害に備えることはもはや義務といってもいいでしょう。」
その通りですね。と、それまで黙っていたカメラマンが大きく頷く。
自然科学の知識はあまりない黒人のカメラマンだったが、士官の言葉には納得したようだった。
士官は思いだしたかのようにモリソンに向き直り、いった。
「そちらも他人事ではないんですよ。我が国は古くからの記録がありますが、貴国は記録がまだ300年分もないんですから。」
まさか。とモリソンは笑うが、何かうすら寒いものを感じざるを得なかった。
――その後、モリソンはこの国ぐるみの大規模な防災訓練を紹介した記事に、史上はじめて地震を予言した東京帝国大学の今村博士のロングインタビューや詳細な写真と図説をのせてアメリカに送った。
しかし、その記事を読んだ人々の反応はあまりよくはなかった。
過去に大地震を経験したサンフランシスコでは比較的まともに扱われたものの、ドイツ人の怪しげな学者が唱え、東洋の黄色い猿が提唱する「プレートテクトニクス」なる仮説へは冷笑が浴びせられたのだ。
さらには、東部の人々ははなから「アメリカでの天変地異」を嘲笑し、モリソンを「猿に感化された哀れな男」呼ばわりしたという。
1度目はあの1942年8月16日に、そして2度目は日本列島に同種の災厄が襲いかかったときに。
最終更新:2012年04月08日 19:04