OB・関係者名鑑【あ行】

※あいうえお順
※在籍期間の括弧内は指導者としての在籍期間

OB選手・監督コーチ

相川 亮二

(あいかわ りょうじ)【現所属球団】東京ヤクルトスワローズ
【生年月日】1976年7月11日【役職】選手【ポジション】捕手【在籍期間】1995 - 2008
谷繁元信の後の正捕手の座を勝ち取った選手で横浜ベイスターズ00年代を代表する捕手。勝負強い打撃がウリ。
メジャー挑戦しようとFA宣言するも契約面でまとまらず結局断念。唯一手を挙げたヤクルトへ移籍した。
移籍後は、横浜相手には打撃でカモってリードでカモられて・・・まあそんな関係。

秋元 宏作

(あきもと こうさく)
【生年月日】1968年1月29日【役職】選手・バッテリーコーチ【ポジション】捕手【在籍期間】1990 - 2000,(2001 - 2010)
谷繁元信の2番手捕手として90年代横浜を代表するもう1人の捕手。
守備・リード面に限れば谷繁以上とも言われ投手陣から慕われた。特に佐々木主浩とは相性が良く彼の登板と共にバッテリーごと交代する事が度々あった。

五十嵐 英樹

(いがらし ひでき)
【生年月日】1969年8月23日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】1993 - 2001
立派なチョビ髭がトレードマークの黄金期セットアッパー。通称「ヒゲ魔神」
気迫を前面に出す投手でサイン確認時は右腕を横にまっすぐ伸ばす癖がある。五十嵐>佐々木の必勝リレーでチームの日本一に貢献した。
現在は球団スコアラーで髭も剃っている。

石井 琢朗

(いしい たくろう)※本名 石井 忠徳(いしい ただのり)
【生年月日】1970年8月25日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】1989 - 2008
マシンガン打線の切り込み隊長で走攻守3拍子揃った遊撃手。2000本安打達成者で勝利投手にもなった事のある元投手でもある。
足は速いが手はもっと速いと揶揄される程の女癖の悪さで、若かりし頃は某アイドルグループを全員食いしたとかしないとか。
通算100本塁打は横浜戦でハマスタだったり、雨で試合が流れた関係で横浜戦ハマスタで現役最終打席を迎えたりと広島移籍後も最後まで横浜に縁あった御方。

石井 浩郎

(いしい ひろお)
【生年月日】1964年6月21日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2002
1994年には打点王にも輝いた剣道の上段の構えを思わせる打撃フォームが特徴。
2002年ロッテを戦力外になった所を横浜が獲得。しかし復活はならずその年限りで引退となった。
現在は政治家。

石井 裕也

(いしい ゆうや)【現所属球団】北海道日本ハムファイターズ
【生年月日】1981年7月4日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2008 - 2010
中日からトレードでやってきた横浜ファン。セットアッパーとして勝利の方程式の一角を担った。
先天性難聴でマウンド上では補聴器も切ってしまうためプレイ中はほぼ無音の世界にいる。そんなハンデキャップを乗り越え、相手打者から三振を奪っていく様から付いた異名は「サイレントK」

石井 義人

(いしい よしひと)【現所属球団】読売ジャイアンツ
【生年月日】1978年7月12日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】1997 - 2002
天性のバッティングセンスを持つ「打撃の天才」
一方で「守備の天災」でもある。この守備が致命傷となり守りの野球を目指した森祇晶監督の手によってトレードに出される事になった。

稲田 直人

(いなだ なおと)【現所属球団】東北楽天ゴールデンイーグルス
【生年月日】1979年11月6日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2010 - 2011
ムードメーカーとしてベンチを盛り上げた内野のユーティリティプレイヤー。

井上 純

(いのうえ じゅん)
【生年月日】1970年6月8日【役職】選手・打撃コーチ・守備走塁コーチ【ポジション】外野手【在籍期間】1989 - 2002, (2007 - 2012)
90年代後半の左の代打の切り札。1998年には打率.330、代打打率はリーグトップとなる.415の活躍で日本一に貢献した。

入来 祐作

(いりき ゆうさく)
【生年月日】1972年8月13日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2008
飛び跳ねるような荒々しいフォームに闘争心向きだしの野性的な投手。兄は同じく元プロ野球選手の入来智。
引退後当初は打撃投手を務めていたが「打者が打ちやすい球を投げる」事が出来ず打撃投手失格の烙印を押される。現在は用具係を務めている。
2013年の秋季キャンプでうなぎ捕りに挑戦したことからネーチャーという愛称を得る。

牛島 和彦

(うしじま かずひこ)
【生年月日】1961年4月13日【役職】監督【ポジション】投手【在籍期間】(2005 - 2006)
「組長」と恐れられたインテリヤクザ。
一度決めたスタメンは基本的に長期間固定して走者が出塁したらバントと決まった形をとり、若手起用や盗塁・エンドランなどには消極的。
投手起用の采配は先発に完投を求める傾向が強く投球内容に関わらず最低でも7回前後までは引っ張るケースが多い。また中継ぎ陣にも1イニング投げさせイニング途中で交代させる事はあまりなかった。
こうしたルーチンを徹底したため良い面も悪い面も極端になる事が多かった。
成績不振の責任を理由に2年契約を終えた時点で辞任したが、それは表向きで実際は経費節減のため選手の補強に消極的な球団に愛想を尽かしたというのが通説になっている。
大の飛行機嫌いであらゆる手段を講じては極力飛行機の搭乗を避けている。

内川 聖一

(うちかわ せいいち)【現所属球団】福岡ソフトバンクホークス
【生年月日】1982年8月4日【役職】選手【ポジション】内・外野手【在籍期間】2001 - 2010
シーズン右打者歴代最高打率記録保持者のリーディングヒッター。天才的なバットコントロールとアゴが特徴。
それまでのベンチ入り期間自体は長かったためレギュラー定着から3年程でFA権取得、オフには行使して地元九州のソフトバンクに移籍した。
移籍後は親切心からの不器用な忠告か、単に溜めてた鬱憤を晴らすためか、何かと古巣横浜をディスるような発言が多く一部横浜ファンとの関係はあまり良好とは言えない状態が続いている。

江尻 慎太郎

(えじり しんたろう)【現所属球団】福岡ソフトバンクホークス
【生年月日】1977年4月30日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2010 - 2012
最速150k/hを超える速球派サイドハンド。2011年にはリリーフエースとして活躍しASにも出場したイケメン。

エディ・ギャラード

(Julian Edward Gaillard)
【生年月日】1970年8月13日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2003 - 2004
中日では2度最優秀救援投手を獲得したクローザー。首脳陣との確執によりウェーバー公示にかけられた所を横浜が獲得した。
移籍した年はそのままクローザーとして活躍したものの、翌年は佐々木主浩の横浜復帰に加え怪我も重なりシーズン途中に帰国。そのまま退団となった。

大家 友和

(おおか ともかず)
【生年月日】1976年3月18日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】1994 - 1998, 2010 - 2011
12年の月日を経て帰ってきたメジャー通算51勝の生え抜き右腕。NPBでは5847日ぶりとなる16年ぶりの勝利は球界最長ブランク記録である。
特別打撃が良い訳ではないのだが何故かスイッチヒッターである。

大西 宏明

(おおにし ひろあき)
【生年月日】1980年4月28日【役職】選手【ポジション】内・外野手【在籍期間】2008 - 2010
攻守に使いかっての良い自由奔放なムードメーカー。ブロガーとして有名で「ほなっ!」で締めるのがお約束。

大沼 幸二

(おおぬま こうじ)
【生年月日】1979年7月3日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2011 - 2012
西部の中継ぎ陣「俺達」が誇る初代総帥。通称「沼者」。どういう訳か弥太郎との交換トレードでやってきた。
聞きしに勝る炎上っぷりを披露してくれるも、後に右肩の故障が発覚。二軍での登板もままならず、結局2012年のシーズン途中に任意引退となった。

大矢 明彦

(おおや あきひこ)
【生年月日】1947年12月20日【役職】バッテリーコーチ・監督【ポジション】捕手【在籍期間】(1993 - 1997, 2007 - 2009)
2度に渡り横浜の総大将を務める。
1期目は1998年日本一となったチームの土台を築き、2期目は悲壮感漂わせながら壁に向かってぶつぶつ呟いてた。
無類のコンバート厨で1期、2期共に数多くのコンバートを行っている。後に不動の遊撃手として君臨する事になる石井琢朗などの成果もある一方で、盛田幸妃の先発転向失敗、クワトロKの解体、寺原隼人のヒ魔神化など策に溺れる事も多かった。
2期目では戦力の薄さに苦しみ「マシンガン継投」とまで揶揄された継投策も披露している。2008年にはチーム勝率(.338)が内川聖一の打率(.378)を大きく下回るダントツの最下位となり、以降ベイスターズは5年連続最下位という暗黒時代も驚きの真っ暗闇を駆け抜ける事となる。

オスカー・サラサー

(Oscar Enrique Salazar)
【生年月日】1978年6月27日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2012
テスト生として春季キャンプに参加したのをそのまま獲得した。1年限り、わずか12試合の出場ながらファンには愛された。

小田嶋 正邦

(おだじま まさくに)
【生年月日】1979年4月12日【役職】選手【ポジション】捕・内野手【在籍期間】2002 - 2006
球団史上初となる代打サヨナラ満塁本塁打を記録した代打屋。愛称は「オダジーニ」。

尾花 髙夫

(おばな たかお)
【生年月日】1957年8月7日【役職】監督【ポジション】投手【在籍期間】(2010 - 2011)
他球団での投手コーチとしての能力を高く評価され、巨人から引き抜く形で2010年から監督に就任。「横浜ベイスターズ」最後の将。
投手陣の再建を託され、自身も失点を100減らす事を目標としたが思うような成果を挙げられないまま球団の身売り問題に巻き込まれる形で任期途中に退任を余儀なくされた。
機動力野球を掲げるも構想通りに事が運ばず、実際は出塁率の高い選手を積極起用しバントで進める手堅い戦法をとった。
前任大矢明彦監督の意志を引き継ぐマシンガン継投っぷりを披露し、2011年には徹底した左右継投で継投延べ人数のプロ野球記録を更新した。
とても良い声の持ち主。

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最終更新:2014年04月15日 20:03
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