※あいうえお順
※在籍期間の括弧内は指導者としての在籍期間
OB選手・監督コーチ
加藤 康介
(かとう こうすけ)【現所属球団】阪神タイガース
【生年月日】1978年7月2日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2009 - 2010
オリックスを戦力外になった所を獲得した左のワンポイント。在籍2年間で80試合に登板した。
加藤 武治
(かとう たけはる)
【生年月日】1978年3月24日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2003 - 2009
「クワトロK」の1人として活躍したサイドハンドリリーバー。
膝を折り曲げた状態から身体を大きく沈み込ませるダイナミックで躍動感あるフォームが特徴的。
国立大出身のインテリで教員免許を持っている事からはませんでは「先生」と呼ばれ、椎野茂アナからは「加藤ダギャール」と呼ばれる。
先発を転向を試みた監督もいるが、生憎先発適正はなかったらしい。
門倉 健
(かどくら けん)
【生年月日】1973年7月29日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2004 - 2006
近鉄から2対2のトレードでやってきたアゴ。牛島監督の我慢起用もあり2年連続二桁勝利を達成。複数年契約と年俸微増を要求するもフロントからは「10勝しても10敗する投手はいらない」と突き放されFA宣言、巨人へ移籍する。フロント側の対応にも問題あるが、後日行われた野球教室ではプロに憧れる無関係の少年たちに向かって「横浜は止めておけ」と言い放つなど、どっちもどっちな喧嘩別れとなった。
やっぱり門倉って糞だわ。
川端 一彰
(かわばた かずあき)
【生年月日】1968年3月12日【役職】選手【ポジション】内・外野手【在籍期間】1990 - 2000
内・外野こなすユーティリティプレイヤーでバントの上手いいぶし銀。現在はチーム運営部スコアラー。
河原 隆一
(かわはら りゅういち)
【生年月日】1971年8月10日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】1994 - 2004
ワンポイントリリーフとして98年の日本一にも貢献した左のサイドハンド。本人も「どこへ行くか分からない」という制球難だった。
(かわむら たけお)
【生年月日】1972年4月30日【役職】選手・コーチ【ポジション】投手【在籍期間】1997 - 2008, (2009、2011 - )
日本一となった98年には開幕投手を務め完封勝利、
牛島政権では
「クワトロK」として勝利の方程式の一角を担った。先発・中継ぎにフル回転した地元神奈川出身の生え抜き右腕。
飛翔癖があり本人も引退セレモニーで自虐していた。
岸本 秀樹
(きしもと ひでき)【現所属球団】広島東洋カープ
【生年月日】1982年10月18日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2005 - 2007
広島移籍後はそれなりに活躍中。敗戦処理だと抑えるが要所を任されるとアレな所も見受けられるリリーバー。
(きた あつし)【現所属球団】北海道日本ハムファイターズ
【生年月日】1988年11月26日【役職】選手【ポジション】内・外野手【在籍期間】2007 - 2012
入団時は投手。右肘の怪我に伴い、前々から評価されていた打撃を買われて野手転向となる。
ロマン溢れる打撃センスで期待されたものの、絶望的な守備センスがその台頭をことごとく邪魔した。
喜田 剛
(きだ ごう)
【生年月日】1979年10月25日【役職】選手【ポジション】内・外野手【在籍期間】2011
山本省吾と共にトレードでオリックスから移籍してきた。他球団では主に代打として起用されたが横浜では出番のないまま自由契約となった。
北川 隼行
(きたがわ としゆき)※本名 北川 利之(きたがわ としゆき)
【生年月日】1979年1月8日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2003 - 2010
選手として大成できなかったものの唯一放った本塁打はプロ野球通算2000本目の満塁弾となるメモリアルアーチ。
(きづか あつし)※本名 木塚 敦士(きづか あつし)
【生年月日】1977年7月19日【役職】選手・投手コーチ【ポジション】投手【在籍期間】2000 - 2010, (2011 - )
のめり込むようにサインを確認し躍動感あるフォームと気迫を全面に押し出した投球スタイルで数多くの打者を翻弄してきた、00年代横浜を代表するセットアッパーと言えばこの人。
マウンドまでは常に駆け足。投球前にはジャンプ>股割>足でマウンドを掘るルーチンが特徴的で、特に穴掘りに関してはこれでもかってくらいに掘る。
フル回転で投げ続け、故障してはスタイルチェンジで復活し、また投げる。酷使に対して決して泣きごとは言わない漢の中の漢。
木村 昇吾
(きむら しょうご)【現所属球団】広島東洋カープ
【生年月日】1980年4月16日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2003 - 2007
在籍時は俊足を武器にしたリードオフマンタイプとして期待されるも伸び悩んだ。
広島移籍後は出場機会を増やし厄介な小兵としてベイスターズの前に立ちはだかる。
工藤 公康
(くどう きみやす)
【生年月日】1963年5月5日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2007 - 2009
FA移籍した
門倉健の人的補償選手としてやってきたベテラン左腕「ハマのおじさん」。お馴染みとなっている背番号47は横浜でも着用した。
渡り歩いたチームは必ず優勝に導いてきた
「優勝請負人」だが弱体化しきった横浜を優勝させる事は敵わなかった。とはいえ結果的には
門倉本人より活躍して横浜でも十分な戦力となってしまった驚異的なおじさん。
実働29年はもちろん球界最長記録。
クリス・ブーチェック
(Christopher Brandon Bootcheck)
【生年月日】1978年10月24日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2010
クローザーとして期待された敗戦処理。
(Clayton Daniel Hamilton)
【生年月日】1982年6月15日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2011 - 2012
ツイッターキャラとして愛された「広報」。が、肝心の本業では思うような結果を残せず2012年のシーズン途中に解雇となった。
グレン・ブラッグス
(Glenn Erick Braggs)
【生年月日】1962年10月17日【役職】選手【ポジション】外野手【在籍期間】1993 - 1996
R.ローズと共に横浜90年代を代表する助っ人外国人野手。横浜ベイスターズが誇る乱闘要員。というか乱闘原因。
気性の荒さは何かと問題になったが外国人としては珍しく初日からキャンプに参加するなど野球に取り組む姿勢は真面目だった。
桑原 謙太朗
(くわはら けんたろう)【現所属球団】オリックス・バファローズ
【生年月日】1985年10月29日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2008 - 2010
150k/hのクセ球を武器にするドラ3右腕。通称「桑投」。
桑原 義行
(くわはら よしゆき)
【生年月日】1982年6月15日【役職】選手【ポジション】外野手【在籍期間】2005 - 2011
ハマのジェニー。通算打率は3割を超える好打者。同姓の桑原謙太朗投手の在籍もあり桑原外野手、略して「桑外」と呼ばれる。
新幹線顔の甘いマスクと人間性、何よりチンコの臭そうな選手として一部ファンからカルト的人気を誇った。現在は横浜DeNAの球団職員。
駒田 徳広
(こまだ のりひろ)
【生年月日】1962年9月14日【役職】選手・コーチ【ポジション】内野手【在籍期間】1994 - 2000,(2009)
満塁時の無類の勝負強さから「満塁男」の異名を持つマシンガン打線の5番打者。
年間10本塁打程度と迫力にはやや欠けるものの、攻守に安定感があり二塁打も量産できる中距離ヒッターである。
小宮山 悟
(こみやま さとる)
【生年月日】1965年9月15日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2000 - 2001
メジャー挑戦を視野に入れてロッテからやってきた「投げる精密機械」。
わずか2年の在籍ながらその多彩な球種と絶対的な制球力を武器にローテーションを守りきった。
権藤 博
(ごんどう ひろし)
【生年月日】1938年12月2日【役職】監督【ポジション】投手【在籍期間】1997 - 2000
横浜ベイスターズを
38年ぶりの日本一に導いた名将。現役時代は
「権藤、権藤、雨、権藤」でお馴染みのタフネス右腕。
「Don't over teach(教え過ぎない・言い過ぎない)」をモットーに、選手ひとりひとりの自主性を尊重する放任主義のスタイルで有名。
その考えは徹底していてミーティングを廃止し、練習時間・内容には極力口を挟まず、打者・走者へ出すサインさえも最小限にして選手たちの自主性に任せた。
采配は相手にアウトを献上する送りバントを嫌いバント策を用いる事は滅多にない。中距離ヒッターを並べた常に強行の攻撃的なスタイルは
「マシンガン打線」と恐れられた。
何をするにもとにかく極端な御方で
R.ローズなど彼の卓越した野球理論に心酔する選手が現れる一方で、チームの内外に多くの対立・不和を生んでいる。
長期政権とはならなかったもののBクラス常連の横浜を任期期間中Aクラスに維持し続けた唯一の監督である。
最終更新:2012年11月14日 15:08