OB・関係者名鑑【た行】

※あいうえお順
※在籍期間の括弧内は指導者としての在籍期間

OB選手・監督コーチ

ターメル・スレッジ

(たーめる・すれっじ)
【生年月日】1977年3月18日【役職】選手【ポジション】外野手【在籍期間】2010 - 2011
日ハムからやってきた助っ人外国人。愛称にして必殺技は「スレッジハンマー」。
好不調の波が極端に激しい選手で2011年には1試合3本塁打を2度記録した。退団後は日ハムに出戻りした。

タイロン・ウッズ

(William Tyrone Woods)
【生年月日】1969年8月19日【役職】選手【ポジション】内・外野手【在籍期間】2003 - 2004
圧倒的なパワーを持って在籍2年間で本塁打王2回、85本塁打を記録した「ミスター場外」。
プロゴルファーのタイガー・ウッズに名前が告示している事からよくネタにされる

高浦 美佐緒

(たかうら みさお)※コーチでの登録名は高浦 己佐緒(たかうら みさお)
【生年月日】1952年7月20日【役職】選手・バッテリーコーチ【ポジション】捕手【在籍期間】1980 - 1985, (1986 - 1992, 2012 -)
当時のホエールズドングリ捕手の1人。攻守に冴えず85年限りで引退した。

高木 豊

(たかぎ ゆたか)
【生年月日】1958年10月22日【役職】選手・守備走塁コーチ・ヘッドコーチ【ポジション】内野手【在籍期間】1981 - 1993 , (2001, 2012 - )
加藤博一屋鋪要と共に「スーパーカートリオ」としてダイヤモンドを駆け回った俊足好打の生え抜き。80年代~90年代前半まで長期間に渡る活躍を続けた。
高打率・高出塁率・俊足と紛れもなく優秀なリードオフマンだが盗塁センスだけは疑問が残り、盗塁成功率が低い事で地味に有名。

高木 由一

(たかぎ よしかず)
【生年月日】1949年3月13日【役職】選手・打撃コーチ、チーフコーチ【ポジション】外野手【在籍期間】1972 - 1987, (1988 - 2009, 2011 - )
相模原市役所出身の元地方公務員。70年代後半から80年代半ば頃までの大洋の主力選手の1人で、コーチとしては「マシンガン打線の生みの親」と呼ばれ98年の日本一にも貢献した。愛称は「とっつあん」。
入団以来、現場を離れたのは友好球団である中国リーグ・天津ライオンズのコーチを任された2010年のみで長期間に渡り横浜のために尽力し続けている御仁。

高森 勇気

(たかもり ゆうき)※2012年の登録名は高森 勇旗(たかもり ゆうき)
【生年月日】1988年5月18日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2007 - 2012
モノマネ大好き宴会部長。データの分析を欠かさない研究熱心な選手だが、野球じゃなくてモノマネに活かされてしまった。

高宮 和也

(たかみや かずや)【現所属球団】阪神タイガース
【生年月日】1981年12月4日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2006 - 2010
左の中継ぎ投手。颯爽と登場しては打者1人四球で歩かせてベンチへ下がる貫録のワンポイントフォアボーラー。通称「水差し野郎」

武山 真吾

(たけやま しんご)【現所属球団】埼玉西武ライオンズ
【生年月日】1984年6月22日【役職】選手【ポジション】捕手【在籍期間】2003 - 2011
相川亮二移籍後の正捕手争いを一度は制しかけたドングリ捕手の1人。身体能力では他のドングリ捕手より頭一つ抜き出ていたものの、リード面で解説者から度々酷評されるなどチャンスを活かせぬままトレードとなってしまった。

田代 富雄

(たしろ とみお)
【生年月日】1954年7月9日【役職】打撃コーチ・二軍監督・監督代行【ポジション】内野手【在籍期間】1973 - 1991
三振かホームランかの豪快なスイングでホームランを量産したホームベース顔の人間扇風機。愛称は「オバQ」。
横浜スタジアムの初場外弾を放ったのもこの人。

田中 一徳

(たなか かずのり)
【生年月日】1981年10月28日【役職】選手【ポジション】外野手【在籍期間】2000 - 2006
身長わずか165cmのちびっ子外野手。俊足を武器にして主に代走要員を任された。

谷繁 元信

(たにしげ もとのぶ)
【生年月日】1970年12月21日【役職】選手【ポジション】捕手【在籍期間】1989 - 2001
強肩攻守、強気かつ巧みなリードで横浜黄金期のホームベースを守り抜いた不動の正捕手。長打力のある打撃でマシンガン打線の下位打線に君臨した。

種田 仁

(たねだ ひとし)
【生年月日】1971年7月18日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2001 - 2007
中日から交換トレードでやってきたタネタネ。代名詞とも呼べる打撃フォーム「ガニ股打法」で一躍球界の有名人になったいぶし銀。
彼が打席に立った際にはファンはガニ股打法を真似た「タネダンス」なる踊りをもって応援した。


ダン・ジョンソン

(Daniel Ryan Johnson)【現所属球団】シカゴ・ホワイトソックス
【生年月日】1979年8月10日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2009
外野手だと思って獲得したら内野専門だった事実には多くのファンが海外スカウトの能力を疑った。
助っ人外国人としてはありがちな低打率の長距離砲だが選球眼がずば抜けて良く、打率.198に対して出塁率は.343もあった。


鶴岡一成

(つるおかかずなり) 【現所属球団】阪神タイガース
【生年月日】1977年5月30日【役職】選手【ポジション】捕手【在籍期間】1996 - 2008 2012-2013
相川の二番手捕手だったが2008年に巨人へトレード、しかしFAで出戻りし2012年こそは打率が二割を切るなどいまいちだったものの
2013年に打率が開花し正捕手として活躍した、しかし2013年オフに久保康友の人的補償として阪神へ


デーブ・ドスター

(David Eric Doster)
【生年月日】1970年10月8日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2001
助っ人内野ユーティリティープレイヤー。守備面は問題なかったものの外国人としては長打力に欠け勝負弱さも目立った。
前任者が横浜史上最強の助っ人だったギャップもあり迫力不足の感は否めず1年限りの退団となった。

デニー友利

(でにーともり)※本名 友利 結(ともり ゆい)
【生年月日】1967年9月21日【役職】選手・投手コーチ【ポジション】投手【在籍期間】1987 - 1996, 2003 - 2004, (2012 - )
190cmを超える巨体の気迫溢れるサイドスロー。父親がアメリカ人のハーフで「デニー」は自身のアメリカ名。
西武ではセットアッパーとして活躍したが全盛期期間は見事に横浜から離脱しており、横浜での実績はかなり微妙。大ちゃんのお気に入り。

寺原 隼人

(てらはら はやと)【現所属球団】福岡ソフトバンクホークス
【生年月日】1983年10月9日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2007 - 2010
2001年ドラフト会議の抽選で取り逃したものを、多村仁という尊い犠牲を払って6年越しに手に入れた剛腕投手。
時には先発ローテの一角として二桁勝利を挙げ、時には「ハマのヒ魔神」として出番のやってこないクローザーを務めた。

土肥 義弘

(どい よしひろ)
【生年月日】1976年9月1日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2004 - 2008
西武では中継ぎだったが、横浜では三浦大輔門倉健らと共に先発ローテの一角に加わり、貴重な左腕として活躍を見せた。
巨人キラーで横浜時代にあげた自身の白星の半分以上を巨人戦で稼いでいる。

戸叶 尚

(とかの ひさし)
【生年月日】1975年2月4日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】1993 - 2000
黄金期先発ローテーションの1人。「トカピー」の愛称で親しまれた。

ドミンゴ・グスマン

(Domingo Serrano Guzman)
【生年月日】1975年4月5日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2002 - 2003
投手が炎上した時などに使われる「○○ンゴ」の元ネタ張本人。横浜時代は先発ローテの一角として活躍した。
横浜在籍2年間の通算13勝は当時の横浜外国人史上の最多勝である。

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最終更新:2014年02月25日 03:53
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