下園辰哉


50 下園 辰哉【しもぞの たつや】

【役職】選手
【生年月日】1984年11月22日【投/打】左/ 左【ポジション】外野手【プロ入り】2006年 大社4位【在籍期間】2007 -
【経歴】宮崎日本大学高 - 九州国際大 - 横浜DeNA

それゆけ下園 希望を乗せて 勝利の一打 かっ飛ばせ


イケメンヒットメーカー

爽やかな笑顔が印象的なイケメンヒットメーカー。愛称は「ゾノ」「ゾノ様」。
「ゾノeye」と名付けられた驚異的な選球眼をもってカウントを優位に運び、置きにきた甘い球を狙い打ちする打撃スタイル。
アベレージは平凡ながら広角に打ち分け、左投手相手も苦にせず、その選球眼から毎年高出塁率を維持するなど打撃面においては一定の信頼を勝ち得ている。
反面守備面には難があり肩も弱い。足も見た目のイメージから俊足扱いされる事が多いが実際は並程度である。また雑さが目立ち、「凡フライをスーパーキャッチ」「三塁打の直後に牽制死」「右翼守備で一試合2失策」など度々アレなプレーを見せる事からやらかしキャラとしても定着している。

2009年、下園を高く評価していた田代2軍監督が代行監督に就任すると同時に1軍昇格。出場機会を増やすと翌2010年には不調の吉村裕基に代わりレギュラーに定着。出塁率の高さを買われて主に1,2番を任され自身初となる規定打席にも到達する。
さらなる飛躍を期待された2011年だったが3月11日のオープン戦で右足を骨折しシーズン前半を棒に振った。6月末に1軍に合流すると1打席目の初球をホームランするなど自らの復帰に花を添え、以降は主に1番打者として起用された。
2012年はラミレスの加入によりスタメン機会が激減。中畑清監督が「一番良い場面で出て行く代打」というように左の代打の切り札としての役目を担った。序盤こそ不振続きだったものの交流戦の頃から徐々に調子を戻しAS以降の成績は打率.295、出塁率は.380と本来の持ち味を発揮した。一方で守備面の雑さが浮き彫りになりレギュラー奪取への課題を残す事にもなった。

2013年度からは引退した新沼慎二に替り、選手会長に就任した。


その他エピソード

  • ファンからは石川藤田らと共にアホの子認定されている。
  • 前述の通り東日本大震災の起こった2011年3月11日の試合中に骨折している。震災とは無関係の理由で大怪我をした珍しい人物である。
  • 球界屈指のイケメンで実は既婚者。それでも女性ファンは多い辺りやはりイケメン。
  • イケメンヒットメーカーの異名はyahoo速報の二つ名が元ネタ。響きの良さからかはませんでも一般的に使われている。
  • 2012年のヒーローインタビューでは「明日も僕のヒットを見に来て下さい!」「5位を目指します!」などの珍コメントを披露し見事フラグ回収してしまった。

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最終更新:2013年01月18日 23:16
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