467 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:38:52.62 発信元:223.135.16.102
仄白い曇り空は鈍いろに変貌し、見る間に吹雪きはじめた。
クーは顔を上げて窓の向こうを眺める。往来には一台の車も通らず、
ただ雪が縦横無尽に駆け巡っては地面に叩きつけるばかりだった。
川 ゚ -゚)
外の世界の観察をやめ、クーはふたたび読書の世界に入った。
頼んだココアが湯気を失い、膜を張り出したのを気づかないほど、
クーにとって、この小説はそれほど魅力的な内容であった。
やがてその小説も大詰めに入った。物語もいよいよ終焉だ。焦らずに、
堪能しながら読むことにしよう。クーは目を閉じて、満足げにため息をついた。
どうやら、自分がこの場に居ることを忘れるほど小説世界に没頭していたようだ。
冷めたココアをスプーンで掻き混ぜながら、意識のピント合わせをする。
468 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:40:41.08 発信元:223.135.16.102
川 ゚ -゚)「………ふぅ」
しばらくして聞こえてくるのは、不定期に奏でるウェルカムベルの音色。
クリスマスツリーにかたどったこのベルが可愛く騒ぐたびに、
この喫茶店から人間が現れては立ち去っていく。
しおりを本に挟んだ。今度は他の客の陽気な世間話が耳に入ってくる。
何について語り合っているのか、背中越しでは聞き取れない。
時折漏れるほんとうに嬉しそうな笑い声が、ただ耳に刺さるばかりだった。
川 ゚ -゚)「………」
掻き混ぜておいて味わっていないココアに、口をつけてみた。
それはしかし、驚くほどに冷めていた。暖房がきちんとクーの身体を暖めて
くれていたのに、ソーサーに乗っていた陶器は寒気に感化されたらしい。
469 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:42:08.86 発信元:223.135.16.102
―― カチャ カチャ カチャッ
再びココアの表面をスプーンで乱した。無心に円を描いていると、
波立ったそれが、ソーサーに飛び散っては茶色い斑点を残していった。
川;゚ -゚)「(ああ……だめだ、だめだ、だめだ)」
我にかえったクーは、カウンターに出来たココアの染みを
急いで拭き取った。何をしているんだ、わたしは。
クーは自分を恥じた。唇を噛み締める。するとまた、
ウェルカムベルのお告げや楽しげなお喋りが耳に届いた。とっさに窓の向こうの
豪雪を見やった。激しさが更に増し、もう先程までの情景がかき消されている。
川 ゚ -゚)「………」
クーは目線をカウンターに落とすと、しおりを挟んだページを開いて
再び、小説の世界へ入り込もうとした。
・・ ・・
・・ ・・・
・・ ・・・・
470 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:44:09.57 発信元:223.135.16.102
それから時は流れる。クーが小説を読破し、ため息をついた
頃にはもう、他の客は帰ってしまっていた。クーは
きょろきょろと辺りを見渡す。ウェルカムベルの来訪音も、雑談も、
もうクーの耳には届いてこなかった。
川 ゚ -゚)「……あ、やんでる」
外は闇に包まれていた。ブリザードは過ぎ去って、今や街灯の暖かな光が、
ひと気のないメインストリートを照らしているだけだ。豪雪の跡は地面に積もるのみである。
クーはその光景を眺めながら、またも冷め切ったココアに手をつけようとした。
口に運ぶ寸前になってそれに気づき、再びソーサーに戻した。
(´・ω・`)「新しいものを、お作りしましょうか?」
川 ゚ -゚)「えっ」
背後から、初老の男性が声をかけてきた。風貌や口ぶりから、
この喫茶店のマスターであることが伺えた。
(´・ω・`)「こう冷めてしまっては、溶かしたバターも風味がなくなったことでしょう」
川 ゚ -゚)「でも、……飲まずに放置したのは私のせいで……」
(´・ω・`)「いいんです。いいんです」
471 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:45:29.23 発信元:223.135.16.102
そういって店主は厨房に戻ると、ややあって湯気の立った
真新しいホットココアを運んできた。クーの目の前にそれが置かれる。
川 ゚ -゚)、「すみません」
(´・ω・`)「いえいえ。ただ、ブリザードはまた夜中にくるそうです。
なるべく早く帰った方がいい。ここで寝泊りはしたくないでしょう」
店主はふふっと笑い、場をあとにした。クーはココアを口につけてみる。
濃厚なコクが、甘みを連れて喉を過ぎていった。とても暖かい。
とても美味しかった。クーは顔が火照っていくのを感じた。
川 ゚ -゚)「………」
クーは少しずつ、小刻みにココアを味わった。そうして誰も居ない
往来を眺め続けた。誰も通り過ぎない、絵画のようなシベリアの街を。
472 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:46:45.42 発信元:223.135.16.102
『ひとりぼっちの孤独より、大勢の中の孤独のほうが悲しい』
有名なその言葉を、クーは思い出していた。読んでいた小説にも
踏襲したような一節が載せられてい、それが鋭く心に残った。……
『 享楽都市の孤独 ―― Motorcycle Emptiness 』
川 ゚ -゚)「Motorcycle Emptiness……空虚のオートバイ、か」
(´・ω・`)「え、オートバイですか?」
クーの無意識の呟きに、後ろで掃除をしていた店主が反応した。
川;゚ -゚)「あ、いや……」
473 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:47:35.08 発信元:223.135.16.102
(´・ω・`)「この積雪ですから、バイクは動けないですねぇ」
川 ゚ -゚)「そうでなくて、その……」
川 ゚ -゚)
クーは 暖かなココアを見下ろした。そして無表情のまま、
川 ゚ -゚)、「空虚のオートバイって、どういう意味だと……思われますか?」
(´・ω・`)「え、空虚のオートバイ?」
川 ゚ -゚)「はい」
475 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:48:42.36 発信元:223.135.16.102
(´・ω・`)「んー。空虚、エンプティー……ガス欠したバイクですか?」
川 ゚ -゚)「ですね、動けないオートバイです」
頷いてココアを飲み干すと、クーは堰を切ったように語りだした。
川 ゚ -゚)「でもそれだけの意味じゃないと思うんです。ガス欠の動けない
オートバイって、見た目だけじゃ分からないでしょう?
周りからはまだ走れるだろう、動けるはずだ、とか思われるんですよ。
もう限界もいいとこなのに、当事者じゃないとその事実には
気が付けない。周りから心配されない。いっそ、それならいっそ、
大破したほうが……マシなんじゃないかって思うくらい」
(´・ω・`)「………」
川 ゚ -゚)「そんな気持ちって、周りが喧騒に包まれてるほど強くなるんですよね。
当事者だけだったら、空虚のオートバイは動かなければいい。
でも周りの雑音が、走れないのに走らそうとする。焦らせるんです」
(´-ω-`)「……そうですね」
476 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 18:50:06.63 発信元:223.135.16.102
川 ゚ -゚)「あっ……」
一頻り言い終えるとクーは俯いて、
川;゚ -゚)「すみません……なんか、気持ち悪い愚痴を」
(´・ω・`)「いえ、そんなことは決して。私も考えさせられました」
店主はにっこり笑うと、床にモップをかけだした。
川 ゚ -゚)「………」
クーは小説を鞄に収め、窓の向こうの雪景色を目に焼き付けた。
立ち上がって、伝票を手にすると、
川 ゚ -゚)「あの。すみません、お会計を」
479 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 19:02:04.26 発信元:223.135.16.102
*** ***
小さな金庫を開けてから、店主は笑顔で、
(´・ω・`)「では、ココア一杯で120ルーブルです」
川 ゚ -゚)「……ありがとうございます」
クーは握り締めていた240ルーブルから120ルーブルだけ
取り分けて、それを店主に手渡した。そうして会釈すると、
クーはドアを開けて外に出た。ウェルカムベルが軽やかに鳴った。
(´・ω・`)「ありがとうございました、またお越しくださいませ」
・・ ・・
・・ ・・・
・・ ・・・・
・・ ・・・・・
480 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 19:03:39.17 発信元:223.135.16.102
喫茶店を出てから、クーはそのまま帰路についた。
純白に彩られた地面を、なるべく足跡を残さないように
進みたかったが、それは不可能なことだった。足跡は途切れない。
川 ゚ -゚)「……はぁっ」
息を吐いた。口から飛び出た白いもやは上空に吸い込まれ、
やがて散り散りに分かれて見えなくなった。
クーは思い返す。店主に語ってしまった「空虚のオートバイ」の持論を。
川 ゚ -゚)「……恥ずかしいな」
川 ゚ -゚)「恥ずかしいことを、言ってしまったな……」
482 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 19:05:59.48 発信元:223.135.16.102
川 ゚ -゚)「ふ……ふふ、ふ」
いつしか笑い声が口から漏れた。
川 ゚ -゚)「ふふ……あーあ、ほんと。あー、恥ずかし!」
********
クーは自宅に着いた。市役所から借りた立派な一軒家であった。
暖炉に火を灯すと、そばのロッキンチェアーに腰を預ける。
揺れながら、火を見つめる。そうして誰も居ない二階を見上げて、
川 ゚ -゚)「いいもんさ」
やがてリビングに暖かさがこもってきた。
483 :モーターサイクル/エンプティネス:2012/02/04(土) 19:07:59.39 発信元:223.135.16.102
川 ゚ -゚)「それより……っと」
クーは鞄に手を入れて、もう一回だけ小説を手にした。
せっかくのクライマックスだったのに、さっきはそこまで
入り込めなかった。あれじゃ駄目だ。もう一度、読み返してみよう。
川 ゚ー゚)「もう一度、最初から……」
小説を捲った。孤独な主人公が己を「空虚のオートバイ」と
揶揄する、そんな冒頭から始まるこの物語も、クライマックスには
きちんと報われるのだ。やっと走れると、主人公は笑顔で友にそう言う。
――その結末を、今度はちゃんと味わおう。
(モーターサイクル/エンプティネス 終)
最終更新:2012年02月05日 00:03