119 :ぽち:2012/05/10(木) 16:52:32
憂鬱西南戦争

第一話

事の始まりは明治四年十一月の事であった。
それまで頑ななまでに海外を知ることを拒絶していた西郷隆盛が、海外視察団の一員として
欧州歴訪に旅立ったのである。

「拉致された」「無理やり連れて行かれた」との噂もある中政府はその間に熊本城の強化、駐留兵士の増員等を行い、またそれが不平士族達の反感を買っていた。
そして巨大な衝撃を起こす出来事が、明治六年九月に発生する。
帰国した西郷は士族制度の廃止に全面協力するとの発言を行ったのだ。
これには日本全土が驚愕した。
桐野を初めとする薩摩士族たちは必死に詰め寄るが、彼らの意見を西郷は頑として受け入れない。
「私は海外を見て、その発展と成長、そして負けた際の容赦なさを目の当たりにしもした。
 そいに対抗すっためには『いざという時』以外は無駄飯食らいにすぎん士族を最小限にすっとが最善でごわす
 そいと、こうやって抗議を『親しい者』にすっちゅうおんしらぁの『甘え』が国を滅ぼすったい」

その言葉に彼らは激怒し、また同時に絶望した。
いざ時が来た際には西郷を旗頭とすれば日本全国100万士族が立ち上がる、と期待していたからである。



だが希望の灯は絶えてなかった。
いつしかとある噂が日本全国を駆け巡っていたのだ。

「西郷は氏族を愛している」
「しかし『失われてはならない大切なもの』を明治政府に奪われたので心ならずも従っている」
「いざとなれば薩摩に駆けつけ士族らを率い東京に戦いを挑む」
「ゆえに西郷は薩摩に志し有る者達が集うことを望んでいる」

120 :ぽち:2012/05/10(木) 16:54:53
「失われてはならぬもの」とやらが何なのか、そんななものが本当にあるのか、そもそも本当に西郷は中央政府に挑む事を望んでいるのかすら
考える事無く噂を信じた(信じたかった)日本中の不平士族らが薩摩に集う。
政府の的確な監視により行動を起こさなかった江藤新平(佐賀の乱)とその配下、太田黒伴雄と神風連、宮崎車之助や前原一誠らが
薩摩に集い
また島津家は彼らを厚く受け入れる。
総勢6万ともいわれる彼らを養うため薩摩の農民らは「血の涙すら取り上げられる」過酷な苦しみを味わうこととなる。
しかし残念ながら彼らはただ集まっただけであり、「これからどうしよう」ということを全く考える事は出来なかった。
薩摩において「思慮深い」事が侮蔑の対象であった事も原因ではある。
そんな薩摩に姿を現した一人の老人が巧みな弁舌と知略により「有象無象の群れ」である彼らを一軍へと磨き上げてゆく。

その日も、薩摩において数少ない「知性派」である野村忍介と打ち合わせを行った後、老人(名もない年寄りと自称し、周囲も『老師』と呼んでいた)は与えられた家へと帰る。
そこには・・・・・・・・・


「よお才槌 どうだい状況は」
「全くもって薩摩というのは阿呆ばかりですな 日本中から阿呆を集めた純血種ではないかという位ですじゃ」
「それくらいがちょうどいいんだよ 俺が天下をとった後に物を考えるような輩がいるなんざ鬱陶しいからな」
「(くすりと笑って)そこまでしていったい何を望んでおいでですかの この戦はあなた様にとって何なのですかな」
「篝火だよ 心の底から会いたい、会って殺し合いたいアイツと、そしてもう一人へと向けた・・・・・・な」
「その二人に嫉妬してしまいそうですな、志々雄真実さま」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2012年05月19日 19:43