642 :yukikaze:2012/08/07(火) 00:44:39
ここらで蹂躙物ではないラインハルトの治世とその限界を。
同盟の経済戦争ネタは、どうもうまい言い回しが思いつかぬ・・・




理想と現実と

新銀河帝国が建国された時、大多数の民衆が喜びに沸いた最大の理由は、
自分達が感じていた閉塞感がこれで打破されるという想いからであった。
それだけ、ラインハルト・フォン・ローエングラムの登極までの軌跡は
華麗であり鮮烈でもあったのだが、それがより一層民衆の期待を膨らませる
要因となった。
あの若き皇帝ならば、きっと『今』をもっとよりよくしてくれると。
まさにローエングラム王朝の門出は、祝福されたものであった。

そして10年の月日が流れ、多くの民衆が溜息をついていた。

「こんな筈じゃなかった」と。

確かにラインハルトは、現状をよりよくすべく様々な改革を執り行っていた。
そしてそれが上手くいくように、地位が低かったものでも、才能があるならば
どんどん抜擢していき、権力を与えていった。
それは権力を一身に集めている皇帝だからこそできた芸当ではあるが、そうした
ラインハルトの行動は、多くの民衆から「果断で積極的な皇帝」として好意的に
見られていた。

しかしながら、彼らはほどなくして失望することになる。
ラインハルトの改革は確かに効果を上げた面もあった。
しかしながら彼の改革の本質は『才能のある者が報われるもの』であり、
才能がない者に対しては考慮の外であった。
これは彼や彼の延臣達の殆どが、才能があったにもかかわらず、門閥貴族でなかったり
あるいは門閥貴族とコネがなかった事で下位に甘んじていたという過去があり、そうした
状況に対する強い不満こそがゴールデンバウム王朝打倒の源泉になった訳だが、だからこそ
彼らは『才能のある者が報われる世』を形成することに力を尽くしたのであった。
それこそがゴールデンバウム王朝を倒した彼らの主張の正しさを示すことになるからだ。

そして彼らは、自らが才能を持ち且つ努力を惜しまない人種であったがために、才能を持たなかったり
あるいは努力をしようとしない人間を例外なく軽蔑していた。
なまじゴールデンバウム王朝下の門閥貴族層の愚劣さを見ていたが故の反動ともいえるものであったが、
こうした彼らの認識は、徐々に新銀河帝国の多くの臣民との間に溝を作ることになる。

よくよく考えてみるがいい。
社会や組織において、優秀な人材というのはごく少数で、大多数の人間は凡庸なのである。
だが、ローエングラム王朝の上層部は、そうした大多数に対して極めて鈍感であった。
いや・・・理解すらできなかったというべきであろうか。
皇帝ラインハルトが『なぜ彼らは努力をしないのだ。不平不満を言うより先にやるべきことがあるだろう』
と嘆いたとされるが、それは帝国上層部の本心であると同時に、彼らが実は何も理解していなかった
ことを示すものであると、大日本帝国宰相である近衛文人は看破したという。

644 :yukikaze:2012/08/07(火) 00:45:35
かくしてラインハルトの治世が進めば進むほど、新銀河帝国においては、ラインハルトの改革によって
才能のある者が栄達していく一方で、多くの才能のない人間が疎外感を感じるようになる。
事実、新銀河帝国成立当初はそれほど目立たなかった貧富の差が、10年もたつと、無視しえない程
両極化の道をたどることになっていた。
ラインハルトの改革が『才能のある者が報われる』であった以上、それはある意味必然ともいえる
現象であった。

こうして、期待を込めて新王朝誕生を祝った臣民たちは、いつしか『ゴールデンバウム王朝の方が
よかった』と、嘆く声を上げることになる。
そうした声を取り締まったのが、かつて悪名をとどろかせた社会秩序局の後進である、内務省社会
秩序維持局だったというのがこれ以上ないほどの皮肉と言えば皮肉ではあるが、もっと皮肉であったのが
こうした声にラインハルトがより一層熱心に改革に取り組んでしまった結果、ローエングラム王朝が
『才能ある者にしか運営できない程、組織として脆弱な王朝』になった事であろう。

ラインハルトは崩御時に『才能ないものが玉座につく必要なし』と述べ、ヤン・ウェンリーは『公人として
潔い態度』であるとして、ラインハルトを称え、同時に彼が大嫌いなトリューニヒトを扱き下ろしたのだが、
辻正道大蔵大臣は、ラインハルトのセリフを鼻で笑ってこう述べたという。

「あの皇帝はついに何も理解していなかった。才能がないものが役職についても、十分にフォローできるだけの
組織を形成することこそが大事なのだ。ある特定の人間でしか動けない組織なぞ、健全な組織とは言わない。
結局あの皇帝にとって、皇帝位とは過ぎたおもちゃでしかなかったという事だ」

ある歴史家は、後にこう記している。

『ラインハルトの治世は、ある意味賢人政治の理想であり、且つ賢人政治の限界を示す治世であった』

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最終更新:2012年08月19日 18:29