79 :ぽち:2012/08/29(水) 03:12:59
憂鬱西南戦争 第六話

桐野と野村の対面から一週間後の一月十九日
周囲の執拗な説得に根負けした野村忍介は、以後全軍の指揮権を自分が預かる、という条件で
彼らに協力を約束することとなった・・・・・・・・最もそのような約束が守られるわけないのだ、ということは誰よりも野村が理解していたが。

薩摩軍は熊本城を、見張りの為の僅か数百ほどの兵を残して離脱。
約四万七千ほどの兵を持って東京政府が送り込んできた討伐軍と対峙していた。
場所は・・・・・・・地元の者達はその地をこう呼ぶ    田原坂、と


「くわかかかー いかに公称12万とはいえ所詮は百姓兵」
「塀の向こうに閉じこもっているならともかく野戦なら十倍いようと敵ではありもはん」
だがしかし、普通の戦闘では訓練の足りない徴兵制度の下むりやり戦場に送り出された兵士では
薩人マシーンとの異名を誇る薩摩隼人には遠く及ばないことを明治政府は知っていた。
故に相手を圧倒する大火力と交代しながらの戦闘で疲労をためないなどの手で
勝利しようとしていた


ドーン! ドドーン!
「何事じゃ?」
「百姓どもが!百姓どもが!」
「落ち着き!なんがあったか落ち着いて報告すっとじゃ」
「百姓どもは普通に戦えば俺らに到底かなわんと大砲やガトリング砲ばっか使いおって
 近づこうとせんのじゃ!
 しかもあやつら、手投げ大砲を使ってきよる」
「なんじゃそりゃ」
「陶器の壷に火薬を入れて火をつけてから力自慢がぐるんぐるんと振り回してこっちに投げてくるとじゃ」
「室伏?」

「なら正面のガトリング砲陣地を突破するとじゃ!」
だがしかし、この判断は結果的に大間違いであったといわざるを得ない。
この時ガトリング砲を指揮していたのは、ある意味日本で最も危険な男だったのだ

「あははははは」「落ち着け」「あははははははは」「落ち着け」「あははははははははは」「落ち着けつっとろーが」すぱーん

「あー、気持ちは判らんでもないが落ち着くんじゃ」
「それは無理というものです かつて、中立を宣言したわれら奥羽を理不尽な暴力で踏みにじった薩摩の野盗ども!
 あはははははは見てくださいな隼人などと自称するイモ侍どもが我がガトリング砲で打ち砕かれ吹き飛ばされているゥ」
「落ち着け」
「あははははははははこのガトリンガー河合が天に代わって罰してくれるわ!
 『見ろ、薩摩兵がゴミのようだ』(ここだけ声:寺田農)」
「落ち着かんかい」ぱっしーん


「ああ、すみません 仮にも討伐軍総司令であるあなたの前で取り乱してしまって」
「気にせんでいいきに それよりアレは明後日には到着するがじゃ」
「おお、アレが来ますか    ではもう勝利は確定したも当然ですね」

だが翌日一月二十二日
破局はもたらされた   誰でもない、薩摩隼人によって

80 :ぽち:2012/08/29(水) 03:14:22

この日の午後三時頃。
高瀬川の向こう岸に陣を張る新政府軍に対し強行渡河を行い、強引に接近戦を挑んだのは人吉藩士を中心としたいわゆる「外様」(薩摩藩士でない、という意味)
侍たち2200ほどであった。
彼らは高瀬から山鹿へのラインを敵に抑えられることがどれほど危険が理解しており
桐野率いる3500の援護の元突入を行った。
だがしかし、ここで桐野隊が突如彼らを見捨て後退してしまう。
桐野にも言い分はあった 「弾薬が無くなったので仕方がなかった」
その主張が万人に認められるかはわからない
確かな事は援護を失った人吉隊が圧倒的多数の敵に包囲された、ということである

包囲の一角に全戦力を集中してかろうじて突破し、離脱に成功したとき人吉隊は700程に減らされていた。


その夜
見回りという名の散歩を楽しんでいた辺見十郎太は、少なからぬ数の兵が整列し行進する様を見かけた。
「おんしら何しとうじゃ!」
「おや辺見さん」
後の世において薩摩武士暴走の権化、とまで称される辺見十郎太が、自分に挨拶してきた男の名が
前原一誠であるということなど知ろうはずもない
ただ「薩摩武士ではない」とわかる程度だ
「おんしら何しとうじゃ」
今一度の質問に前原は答える。
「お暇しようと思いまして」
「どういうこつじゃ」
「前々から判ってはいました あなた方が我々を、いや薩摩以外の藩士をよけいな塵程度にしか思ってないことを
 それでも今の横暴な政府を打ち倒すにはあなた方の力を借りるしかない、と
 しかし今日の高瀬の戦い、あれで我々は思い知ったのだ
 あなた方は必要があれば、あるいは必要がなくとも気が変わればどれだけ協力しようとも我々を
 あっさり捨て去るだろうと」
何を当たり前のことを、という内心を口にすることをこらえる程度の理性はあった。
「だから、その前に我々は失礼をさせてもらう 心配は無用
 彼らに語るほど作戦とか話をした覚えがありませんから」
冗談ではない 古来より「歩のない将棋は負け将棋」というではないか
いざという時の捨て駒に出て行かれてたまるものか
「みなー!みな集まっとじゃ!あん連中は脱走して東京の味方になるつもりじゃ!
 いや味方の振りした間諜であったのじゃ!
 許してはいかん!逃がしてはいかん!」


この夜、神風連、秋月、萩、人吉といった「協力者」達総勢4500がいわば同士討ちにより全滅する。

そして薩摩軍首脳部は「他藩の者達は信用できねえ」との思いを新たにし、種子島などの支藩に対してすら
その視線は厳しく、冷たくなっていくのだった

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最終更新:2012年09月01日 19:05