737 :グアンタナモの人:2013/01/10(木) 23:39:45
ベルカ戦争には謎が多い。
終戦から十年経った現在、やっと一部の情報が開示された。
私はその資料をすぐに入手し、それでは足りず――出所不明な裏情報にも手を出した。
私がそこまで掻き立てられたのには、理由がある。
この戦争は一九八九年のティンズマルク宣言に端を発する。
当時、国内での資源開発によりそれまでの財政難を脱していたベルカは、小惑星の地球落着とその迎撃計画を明らかにした。
聖杯(カリス)計画は、この時誕生する。
世界各国を巻き込んで進められていく、小惑星に対する迎撃準備。
一方で国際的主導権を隣国に奪われ、威光に陰りを見せる巨大国家――オーシア。
両国の摩擦が強まる中、ある極右政治家が大統領に就任する。
強く正当なオーシアを取り戻すために。
一九九五年三月二十五日。
北海での国籍不明機によるオーシア軍機撃墜を理由に、ついにオーシアはベルカへの侵攻を始めた。
ベルカ戦争の開戦である。
事前に準備をしていたベルカであったが、数で勝るオーシア軍を前にじわじわと後退。
しかし数週間後、南ベルカの半分を占領下に置かれたところでベルカ連邦軍は総反攻を実施。
友邦との連合作戦に望みをかける。
ここまでは、教科書にも載っている。
だが、資料に奇妙な類似点を見つけた。
一人の傭兵に関する記述。
そしてそこに残された“鬼”という暗号。
情報としては、不十分なものが多い。
だが、私はそこに惹かれた。
私はこの傭兵を通して、ベルカ戦争を追いかけることにした。
その先には何かがある。
この戦争の隠された姿か。ただの御伽噺か。
その傭兵に会うことはできなかった。
存在自体があやふやだ。
ただ“彼”と関わりのあった人物数人を突き止めることはできた。
“片羽”はその中の一人だ。
738 :グアンタナモの人:2013/01/10(木) 23:41:13
一九九五年の二月半ば。
この国では極めて珍しい閑静な畳敷きの一室には、背広や軍服を着た何人もの男達が集まっていた。
「ふむ、全員集まったかな」
上座に座る初老の男は、最後の確認するようにそう言った。
彼は居並んだ男達を順に見回し、全員が居ることを確かめる
そして最後に、隣に座っていた眼鏡の男へ目配せをした。
「では状況の確認を」
促された眼鏡の男は座布団から立ち上がり、懐から取り出した覚書を横目に口を開く。
「外交努力の甲斐も虚しく、あちらでは議会に予備役の動員命令が提出されました。どうやら痺れを切らしたようですね」
眼鏡の男の言葉に部屋のあちこちから、ないわー、横暴ってレベルじゃねーぞ、因縁の付け方すら米帝様超えとかやだー、といった泣き言が発せられる。
「んんっ」
そのまましばらくざわめいていた室内を、初老の男が咳ばらいで静める。
正直なところ、彼自身内心は穏やかでない。
されど、この世界でも彼は指導者の立場になってしまったのだ。
安易に泣き言へ同調するような真似は許されなかった。
「……続けてくれ」
そう、彼は“それ”が終わるまで、強い指導者であり続けねばならないのだ。かつてと同様に、である。
全ては、あの悪夢の現出を防ぐために。
「……対し、こちらは既に全軍の準備が完了しつつあります。ディレクタス条約機構諸国も順次動員が完了するでしょう。……あちらよりも早く」
ぱらり、と眼鏡の男は覚書の頁を捲る。
「加えてユークはこちらの要請通り、セレス海越しに圧力をかけてくれるようです。これであちらの戦力をある程度、セレス海方面に釘付けできるでしょう。また、エルジア及びエストバキアからは非公式ながら義勇兵派遣の打診がありました。これは聖杯(カリス)計画に対する返礼のようです」
その情報を聞き、初老の男は心中の憂いを少しだけ晴らす。
正史に先んじること五年。かの小惑星はティンズマルク大学がその存在を発見し、同大学と公国宇宙開発機構の合同研究チームが地球上へ破片が落着する危険性までもを明らかにしていた。
そこで破片の落着に備え、落着が予想される各国を巻き込んで彼ら主導で計画、実行されたのが所謂“聖杯(カリス)計画”である。
地表に降り注ぐ惨劇を少しでも汲み取る、という理念から命名された同計画――阻止攻撃、軌道上迎撃、そして地上迎撃の三段階から成る迎撃網の構築は、彼らの国の国際的地位を大いに引き上げていた。
その結果が今回、あの超大国を敵に回してでも、各国が彼らの国に助けの手を差し伸べる覚悟を生んだのだ。
計画の実現に際し、万難を辞して各種迎撃設備の開発を成し遂げた国営兵器産業廠の面々には、足を向けては寝られない。
前世の失敗を繰り返さないために、各国を駆けずり回った外務省の面々に対しても同様だ。
「そして懸念材料だった国境無き世界ですが……少なくとも国内でフラグは確認されませんでした。ゴルト……かの啄木鳥も怪しい動きは見せていません」
今度は初老の男のみならず、何人もの人間が安堵したような表情を浮かべる。
この場に居る大抵の人間が知っている弩級の内患問題に見通しが立ったのだから、ある意味当然の反応であった。
739 :グアンタナモの人:2013/01/10(木) 23:41:54
「つまり、我々は差し迫った戦争に集中できると?」
「今のところは、ですね。ジョシュア=ブリストーなどといった火種から飛び火する可能性は否定できませんので。無論、警戒は続けます」
「そうか……残る懸念は」
初老の男がそう呟いて、顎に手をやろうとした、その時。
不意に部屋の戸――これまたこの国では珍しい障子戸――が開け放たれ、中年の男が一人転がり込むように室内へ入ってきた。
その様子に一瞬、室内に剣呑な空気が流れる。
しかし慌てて座り直した中年の男の姿を見て、空気の色は別のものに変わった。
何故なら彼の表情は、興奮を隠せないと言わんばかりの喜色を帯びていたからだ。
「失礼しました。先ほど、空軍の傭兵管理部門の担当者から緊急連絡が入りました」
中年の男はそこで一旦、言葉を切る。
自らの興奮を落ち着けるように何度も深呼吸を繰り返し、彼は再び口を開く。
「片羽の妖精……ラリー=フォルクの勧誘に成功しました。さらに“サイファー”というTACネームの使用を管理部門に申請した傭兵も確認されたようです。ほぼ間違いなく、円卓の鬼神であると思われます」
そして次の瞬間、場は地鳴りの如き歓声で満たされた。
「ようやっとスタートライン、か」
「そうですね。これで影に怯えずに済みます……後は実際にチートであることを願いましょう」
「ああ、そうだな……故郷を核で吹き飛ばす真似だけはしたくない」
中年の男が感極まった面々に寄ってたかって胴上げされるのを見ながら、ベルカ公国宰相ヴァルデマー=ラルド――かつて嶋田繁太郎であった男は溜息を吐いた。
これは歴史の裏の裏で暗躍した、ある秘密結社の物語。
――灰色の男たちの憂鬱。
勿論、続かない。
最終更新:2013年01月11日 19:23